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    7/22/2008

    あの夏、いちばん靜かな海

     一ヶ月前ある日、アメリカの友人から不意なメッセージが届きました。
     ――水原の夏、あなた、覚えていますか
     
     覚えていますか。2005年の夏でした。
     卒業式の翌朝、Lサイズのスーツケースを引いて初めて浦東空港国際出発ラインを越えました。
     スーツケースの中に入っているのは、インスタントラーメンでした。
     金持ち向けとよく言われる大学間国際交流の一環になったサマースクールに向かう貧乏学生の私。
     大学の専門は理系とまったく関係なし、というより、実は韓国なんか大嫌いの私。
     ただ一人ぽちの夏休みが怖かったから、どっかへ逃げようと思って申し込みをしました。
     同行する人には、朝鮮族の子もいるので6週間ずっと彼女に頼りました。
     
     覚えていますか。初めて登ったキャンパスの山。
     荷物を学生寮まで運ぶのは大変でした。しかもそれから毎日何回もあの山を登ったり降りたりしました。
     授業は言うまでもなく、寮には熱湯がないので、シャワーもキャンパス外のジムまでいかなくてはなりません。
     そこで、ただで水泳もできます。
     毎日微笑んでいる受付嬢。
     筋肉を鍛えるためクロールとバターフライだけで必死に泳いでいる韓国人。
     殆ど毎日英語で声かけてくれた男。
     最後の日にアイスヨーグルトをご馳走してくれた中国人のお姉さんとお兄さん。
     そして、一階のFamilyMartでサンドビスケットを買って戻ります。
     
     覚えていますか。街中に満々と掲げられる太極旗。
     そして、旗に咲いている顔が大きなむくげの花。
     私は文化ショックを感じた時は滅多になかったのですが、韓国だから当たり前と思ったことが多かったのです。
     朝6時に工事をしに勝手に寝室に侵入した作業員。
     肩を抱いて店に誘おうとした声が大きなおばさん。
     あなたのデジカメはだめと言って、綺麗にとれらた写真をくれたホットドッグ店のおじさん。
     「卵の花」がいっぱい咲いている水原華城を観光する途中で出会った散歩される可愛いワンちゃん。
     郊外のタミナールで迷い子になった私に中国語で「小姐、請上車(バスにどうぞ、お嬢さん)」と言って大学まで送ってくれたバス運転手さん。
     ちなみに、川端康成が「ありがとう」で書いた運転手さんの敬礼を国境の田舎で見えました。
     
     覚えていますか。河回で作った紙の仮面と手鏡、そして一枚の白紙。
     そして、毎週の韓国文化体験タイムのこともありました。
     想像力に乏しい私は、キラキラ陶器を作れるあなたたちが羨ましいです。
     アリランの歌を全部覚えてきたあなたたちが羨ましいです。
     でも私も太鼓をよく敲きました。
     跆拳道(テコンド)がよくできました。
     その時、アメリカで黒帯まで取れたあなたと友達になりました。
     年下だけどおとなしいあなたが、板門店のあの「統一」という彫刻の写真を撮っている私の後ろ姿を何枚も撮りました。
     あなただけではなく、日本語専攻の弟みたいな彼たちとも一緒にお昼を食べて、韓国語を勉強しました。
     
     覚えていますか。図書館の前に植物の香が匂っていること。
     毎日午後視聴室で韓国ドラマと日本映画をみて過ごしました。
     ティッシュを大量消耗させたあのドラマの名は「夏の香り」でした。
     ばかばかしいストーリですが、ただ主人公の顔だけ見れば涙が溢れてきました。
     新海誠の「星の声」も見えました。
     「届かぬメールを待ち続けるのないように、心を硬く、冷たく、強くしよう」
     この言葉にも、また涙を掬いました。
     一万ウォンの国際電話カードが切れました。
     
     覚えていますか。6月末のくせにまだまだ冷たくて堪えなかった慶州の海。
     湿り気をたっぷり含んでいるから重さが感じられる塩味の空気。
     あのピアノが上手の朝鮮族の子は知らないとこから知らない花を摘んできました。
     彼女は靴を抜いて、砂浜に座り込みました。
     17歳の夏に裸足で海水と砂が踏みたかった私は、この22歳の夏に初めて不可能という言葉が分かりました。
     隣に彼女は花びらを切って、小さなテストをし始め、恋の運命を探していました。
     「(彼が)愛してる、愛してない、愛してる、愛してない、愛してる…」
     カモメが翔んでいる青空の下は、あの夏、いちばん静かな海でした。
    1/12/2007

    那些真相

      《共同警备区》这部电影,一改韩国电影过去给我留下的平庸印象。
      “兄弟,我可以叫你兄弟吗?”“从来都只有人叫我同志,还没有人叫过我兄弟。”
      “在共同警备区,能够维持和平的是靠真相的掩盖。”
      前年去过DMZ后,被推荐了这部电影。任何人讲述自己的历史都会带上主观色彩,就像我在DMZ韩方的军事博物馆里所看到的千篇一律的“共匪”,如此不可能统一的叙述、不可能统一的价值标准放在全球化的时代、在文化意义上的国境逐渐模糊的时代之下,怎能不引起冲突。国家之间的冲突不言而喻,甚至在每个人的头脑中,都很有可能发生冲突。影片中的悲剧之所以发生,正是因为在这样的冲突中滋生出的互相不信任。但是在悲剧发生之前,我们看到的首先是一幅非常美的人情图画。
      相似的情节也在一些描写中苏边境的书籍和电影中有所体现。巡逻的边境哨兵不小心越过了边界,被敌方的士兵发现,却因偶然的隐侧之心而得以留住性命。月黑之夜,两边悄悄传递起香烟、糖果,甚至再次越界,一起喝酒,一起游戏。朝韩边界比起中苏边界,更多的是一层民族血缘。说来有趣,20世纪初头在亚洲兴起了nationality,nation是国家,但首先是民族。原本近代国家的成立也是个民族独立的过程,但在朝鲜半岛,朝鲜民族却被拆成了两块(甚至更多到4块)。表面上看,朝鲜和韩国是两个独立的国家,但两国均受制于其他强国,既可以说它们有要挟周边国家改变国际关系的流氓性,也可以说它们其实只能靠要挟周边国家来获得自己生存的空间,在一进一退间喘息。这正是因为半岛的分裂,导致这个历史悠久的民族迄今没有得到真正的独立。
      许多年前朝韩初次在金刚山举行家属会面时,CCTV做了很多报道。后来我也亲眼看到过挂在板门店和金刚山的照片。都令我掉泪。还有客居江原道的失乡民。在如今这个速战速决经济之上的时代,江原道的标志是蓝色生死恋,束草因被那段爱情遮掉了50年回不了故乡的泪。
      小时候想的很简单,以为韩国和朝鲜手牵手参加奥运会就能象征很快会团圆,可年复一年,半岛依旧是火药桶。中日韩朝,一次又一次谈判,一次又一次冲突,在共同社总是翻译到日本人抗议朝鲜人说谎的新闻,但其实,我们需要的真的是事实吗?也许这话由我一个学历史的学生来说显得奇怪,但外交是外交,不等于历史。
    ps:没有注意电影是哪一年拍摄的,李英爱真是又年轻又漂亮,跟《亲切的金子》风格比较像,跟长今完全不一样
    8/14/2005

    最后一天

    @图书馆
      今天是在韩国的最后一天,既没有对这里的眷恋,也没有对回家的憧憬,一切只不过是按照日程表在流逝。因为已经没有多少韩币了,最后一天居然是在图书馆度过,疯狂的看了4部日本电影,也算是实现了我当要在韩国提高日语的宏愿。离开图书馆的时候有点不舍,一个多月来每天都来看碟,已经跟多媒体室的mm混熟了。犹豫了一下,还是没有说什么告别的话就走了。明天是周日,后天是国庆节,她们应该都会休息吧。
    @食堂
      比较遗憾的是没能再吃一次医学院的食堂。中午食堂的鱿鱼盖饭真是超级难吃,呀呸。又在校园里逛着拍了一圈照,只是绿树虽然美丽却都不上取景器。Brian和Justice帮我拍了最后的留影,等我整理好了就传上来。
    @游泳池
      晚上按捺不住想去游最后一次泳的冲动。在PC房消磨了一点时间,赶去PLAZA,迎接我的是第一天的那张笑脸。终于说出“It's the last time”,我那破败不堪的韩语,还只会说“First Time”呢。今天人特别少,应该不超过20个吧。瞅准了一条几乎没有人的泳道开始实践第一个“10个来回”,其实也就400米,但是已经没了前几天一口气游到头的锐气。还好,脚没有抽筋~
      几乎每天都在这个时间来这里游泳,1个多月来也认识了几张熟悉的面孔。总是一脸讥讽的双眼皮女子、佩服我从来不用泳镜的英语男子、还有要跟我一比高下的中学生——可惜潜泳还是潜不过我哈哈哈。值得一骂的是最近几天泳池的水越发混浊,浮力大得要命不说,我的眼睛开始受不了了。
      说好一起游泳的同学们最后都没有游,这让我觉得自己捡了个便宜。在国内大大小小的游泳池里,我都是以玩为主,从来没有见过像韩国人这么拼命的。被这种气氛感染,好歹我也练成了12年都没长进的自由泳~~~乌拉拉,现在我除了蝶泳都会啦,哈哈哈
    #新朋友#
      可见我这个人还是自闭症初级,呵呵,在最后一天还认识了两个新朋友。在人丁稀疏的游泳池里听到了中文,循声望去,一块巨大的蓝色泡沫塑料垫上坐了一个淘气的中国男生……果然会在游泳池里玩的就不是韩国人~~他们是在韩国长期留学的,来自北京的jj的韩语很好,看起来也很像韩国mm,呵呵
      来自长春的男生今年暑假刚学会游泳,对于各种泳式都抱有极大的热情——热情是好事啊,我都12年了才学会4种T_T要是没有热情的话,这个暑假就不会在游泳上有这么大收获了。1说还是应该充分利用签证多玩几天的,皑皑,现在后悔也来不及啦,有钱难买早知道,订机票的时候谁提起过明天就是独立日呢?留下汉大、汉江和济州岛的遗憾,期待将来能够回到这里,说韩语。
      游完泳又去了Red Mango吃了酸奶冰淇淋,韩国的冰淇淋是好吃的喔,造型也很漂亮。北京jj说她也喜欢一个人出去玩,长春的gg问我这一个月来有没有什么值得留恋的人,想了想觉得没有啊,呵呵。
    送别@寄宿舍
     
     
    8/10/2005

    한국에서(在韩国)……

    저의 이름은 허신 입니다. 저는 중국사람입니다. 상해복단대학교에서 일본어와 일본문학을 공부하고 있습니다. 한국어를 배우고 싶어서, 아주대학교에 왔습니다. 한국에 온 것은 이번이 처음입니다. 매일 한국요리를 먹습니다. 특히 김치와 불고기를 좋아합니다.

    가을동화를 좋아해서, 2주전금요일 강원도에 갔습니다. 3일 동안 있었는데, 통일전망대, 화진포, 설악산, 속초, 양양 등지를 여행했습니다. 한국말을 잘 못해서, 영어도 일본어도 중국어도 했습니다. 아주대학교에서 한국친구를 사귀었는데, 그 친구가 혼자 여행하는 것은 매우 위험하다 고 말했습니다. 하지만 한국사람들이 친절하게, 도와줬습니다. 한국의 경치가 보기 좋았습니다. 저는 한국사람도 한국의 경치도 좋아합니다.

    这里的破电脑的日文输入法居然是日文键盘,不能用IME……怒死我了……否则可以炫耀一下韩日对照,会很帅的

    私の名前はきょしんです。私は中国人です。上海復旦大学で日本語と日本文学を勉強しています。韓国語を習いたくて、亜洲大学校に来ました。韓国に来たのは初めでです。毎日韓国料理を食べます。特に、キムチとプルゴキが好きです。

    「秋の童話」が好きですから、2週間前の金曜日に江原道に行きました。3日間いて、統一展望台、花津浦、雪嶽山、束草、襄陽などの地方で旅行しました。韓国語はよく話せないから、英語も日本語も中国語も使いました。亜洲大学校で韓国人の友達を知り、その友達が、一人で旅行することはとても危ないと言ってくれました。しかし、韓国の人々は親切なので、助けてくれました。韓国の景色を見ることはよかったです。私は韓国の人も、景色もすきです。

    终于有了英文键盘的日文输入法~8月13日凌晨

     

    8/7/2005

    汉城迷路记

    今天又去了一次景福宫,看了民俗博物馆,还看到了敲鼓的演出

    本来想去青瓦台的,结果需要提前两周预约门票……可惜啊,只在外面转了一圈,还不小心迷了路

    转到了某座山上,意外的发现了韩国统一部的南北对话工作室。
    后来去了大学路,傍晚开始路的两侧有各种露天演出,有很多酒吧,不过比较贵就是啦(有空补完)

    8/6/2005

    Everland

    8/4/2005

    A Failure in Intercultural Communication

    Assignment5                                                       

    A Failure in Intercultural Communication

    The second biggest retailer —French Carrefour opened its first chain supermarket in Japan in the year of 2000,December.Though planned to manage 13 stores by the year of 2003, Carrefour sold all the 8 stores over Japan to Japanese retailer AEON on Mar.10th,2005.It just lasted over 4 years in Japan.

    Carrefour began its business in Asian from 1990, Taiwan, and by the year of 2000 it has 81 stores in this area. Why it earns success in China and Korea but not in Japan?

    Japanese is far different from the other Asian people. When Carrefour opened the first shop in the city of Makuhari, the consensus felt fear for the profit of small Japanese convenience stores. There are not many large-scale supermarkets in Japan, so people wanted to see how a hy-permarket will be. But after that, Carrefour has no more attraction.

    We know that Carrefour win the customers by the low-price. It’s the most important point for itself because it can gain the profit through the big quantity. As known, Japan is the most expensive country in the world, they never mind whether the price is high or low, in another word, Carrefour can’t attract Japanese customers by the low price.

    Second, Japanese houses are not as big as European, and everyone enjoys the fresh vegetable and fish, so they won’t buy many things they can’t eat or use up. In a Japanese restaurant, we can eat the Sashimi made from a living fish, even the temperature hasn’t been changed by the cook’s fingers.

    Third, most of Japanese women don’t work. Their job is housework, so they can go shopping everyday. I used to know a Japanese woman, whose husband is a manager of Sony. The housewife searches the discount information online, on TV and on newspaper and discusses them with her friends. If they buy food once a week, they will feel boring.

    Forth, Japanese people always make a point of peculiarity. They like family food more than supermarket food. In Japanese language, we can hear the word “ohukuro no aji”, which means “food made by mother (is the most delicious)”. So we can see many Chinese people buy roast chicken in Carrefour while see a roaster in Japanese kitchen. We can also hear another word “syokunin” means worker. Maybe Japanese are willing to devote themselves to planting a melon, baking a cake or making a toy even no foreigners understand that. I’ve read many books about that genius and I’m dreaming that if one day I eat the most delicious Soba noodles I will break into tears like in the Japanese TV dramas. Anyway, they believe human beings can put their emotion into food or any other works, but machines can’t. They don’t like big or huge because they insist that they are smart people and living on a small island.

    Any other reason is mentioned in a Japanese blog. The blogger said he went to the market on the first day, but didn’t see any French sellers or Parisiennes. Maybe “Carrefour” and “French” is standing for fashion for Japanese. So we can imagine how disappointed they were.

    Now Carrefour is managing more and more market in China. I think we can’t consider Japanese people in the way we treating Chinese and Korean people. We never know what they are thinking about.

    Another example is in the politics. When Japanese journalists and volunteers are taken away in Iraq last year, Koizumi did not rescue them first but censured they had brought great trouble to their nation.

    The most painful one is a young man named Kouda Syousei, whose head was cut by Iraq men. He is just fond of traveling and met a French man in a hotel. After hearing the French man’s story in Iraq, he also entered the dangerous country and never come back. He ignored that he is not French man, he is Japanese so it will be dangerous for himself. We know he is not soldier, but he is still Japanese. What a sad failure case.

     

    Appendix

    http://www.carrefour.co.jp/
    the homepage of Carrefour Japan, we can see the great plan they made

    http://www.izumiya-ri.co.jp/kaigai/news.html
    the overseas business of Carrefour

    http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/03/07/20050307000081.html
    Carrefour is developing peacefully in Korea

    http://www.bay-web.com/makuhari/carrefour/carrefour1.shtml
    introduction to the first market of Carrefour Japan, at Makuhari

    http://rcm.cside4.com/sekine/carrefour.htm
    http://plaza.rakuten.co.jp/nawoki/diary/200503090000/
    Japanese customer’s view of Carrefour Japan, comparing with Carrefour Korea

    http://www.bizman.cn/2005/5-11/95826.html
    http://www.jmrlsi.co.jp/menu/case/case-new29.html
    http://www.jmrlsi.co.jp/menu/caseshort/2005/s02.html
    the report of failure in Japanese market

    http://www.bo-sai.co.jp/iraqjiken.htm
    http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2004/hostages/yokogao/
    http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2004/hostages/
    http://www.ne.jp/asahi/hp/syow-yow/note0049.html
    Japanese news reports about all the Iraq hostages.

     
    8/3/2005

    BoA

    本想去上网,却被典子拉住,神秘兮兮诡异兮兮地问我愿不愿意化妆……
    为什么要化妆?难道她要帮某品牌拉人搞活动?有谬免费试用试吃试穿……?
    典子狂笑道:我觉得你化了妆的话肯定很像BoA~~
     
    我像宝儿?22年啦……上天垂怜我了吗……不错,本小姐的同学中不乏帅哥美女,诸如貌似安在旭者,貌似安贞焕者,被宋承宪貌似者……一把一把抓,八过除了Javaboy这小子曾经在公交车上大喊“你长得好像曾志伟!”之外,再缪人有虾米火眼金睛能把偶块顽石雕琢成玉璞啦。这回好,刚被无数人当成日本mm,就有日本mm居然说我像宝儿,wow,我还是蛮喜欢宝儿的其实~~
    8/2/2005

    江原道足迹——《蓝色生死恋》以及众多(二)

    7月30日:D2束草속초——雪岳山설악산——大浦港대포항——襄阳양양祥云里상은리——束草속초
      一早起床奔赴雪岳山,公交车900,享受了一下汽车在山野之间狂飙的乐趣。距离入口还有10来站,道路两旁就出现了无数的“民泊”和MOTEL。雪岳山国立公园,还是很大的,导游手册上有两条徒步攀登路线,还有缆车路线……拿不定主意走哪边,所以先去了神兴寺(신흔사),其实应该是“新兴寺”,至少庙门上是这块招牌。我的感觉是韩国人对待汉字并不严格,只要发音对了,他们就懵了。这条路线有庙宇无数,最后的终点是蔚山岩,我并不打算爬上去俯视束草市容,姑且走一段再说。这段山路除了桥就是近乎干涸的山涧,宽阔,山谷里都是白色的岩石,意外的给人很整洁的印象。寺庙的建筑与此前看过的无甚不同,只是四大天王的面容果然不一样。在冥府殿里意外遇到一个会说日语的汉城老爷爷。本来我想脱了鞋进屋看一个韩国女人祈祷的,他拦住我说要从偏门走进来才行。好在我意会了他的手势,进屋以后他就用日语问我是不是日本人……发现我们可以用日语交流,实在很激动,他给我解释abcd……各座殿的名字和用途(可惜那张纸条我找不到了T_T)。他家住在汉城,是来为家里的病人祷告的。
      接下来在路上,买了一种奇怪的鱼片。这一路有很多,老大妈卖麦芽糖和鱼片,500\,价格不菲。我冲上去问大妈鱼片的名字,她说叫做칩비,我掏出字典查了很久都没有查到是什么东西……从这位大妈开始,我学会了一个伟大的词:single,혼자,独自。发音听起来像“虹桥”-_-bbb本来想去内院庵,奈何内心始终惦记瀑布,于是回头。想去权金城,又以为束草塔也可登高(教训啊,那座塔只有170多米……),最后还是坚决地走上了瀑布探寻之路。一路上穿过美丽的树林,树上都挂了牌子,可以让小学生在春游的同时认识一下植物。途中有两家饭店拼命拦我吃饭,我对老板阿姨说:“回来再吃。”阿姨说:“肚子会饿的哦~”结果就被拦着进行对话练习:——来自中国,去看飞龙瀑布。——路上要一个小时,拌饭和冷面很好吃哦。我这么浑的韩语居然都能表达如此丰厚的意思,pf自己一下。一路上沟沟壑壑桥桥,很像黄山翡翠谷——更让我回忆起万佛山,因为方向跟它是一样的~(十分怀念,少年时大家结伴上路,现在就得自己探险了。)
      终于走到飞龙瀑布——我瞠目结舌——真是小,或者是因为夏季枯水期的缘故吧,当然了,瀑布本身也不高。许多家庭在这里纳凉、戏水、拍照,我也拜托了一位黄衣服的男生帮我拍照,哈哈,不过他居然拍进了自己的手指,而后来我的朋友们看到照片的时候都没有反应过来那是手指~
      休息了一下开始往回走,毕竟我的日程安排不容拖沓。一路上从山谷的缝隙中望过去都是美丽的天空美丽的云朵,还有干净清爽的岩石。返回的路上毅然决定放了先前一家饭店的鸽子,在先遇到的饭店吃午饭。一番讨价还价之后决定还是吃拌饭,把冷面留到阿爸村,意外的是老板娘奉上土豆饼一份,作为サービス(发音一样我就写日语吧呵呵)。我面对着一大桌丰盛的午饭,抱着冰水拼命喝,泡菜拼命吃~好好吃哦~过了一会儿,又从山上下来一大群学生在旁边落座。不一会儿,一阵大风,把他们头顶的遮阳伞全给掀翻了……昏过去再爬起来接着写……出于对去襄阳的交通的不熟悉,我故作老练的问了一下老板娘——结果,老板、老板娘、伙计们纷纷帮我打听、切磋、商谈……直到老板拿着手机barabara了好一阵子又把手机递给我,听到里面传来一串日语,我才意识到我可没有表现出老练。结果,我就用日语跟观光案内所的担当聊了7分多钟,最后他给我留电话号码的时候,我死活听不出来他说的“i-”是几,终于他崩溃了,问我:你是日本人么?我说:中国人——好吧,那位观光咨询担当把韩语的“2”和日语搞在一起了,虽然发音确实很像。于是老板一大家也知道了我不是日本人,顶礼膜拜してくれた……Orz真的非常感谢。
      从雪岳山到襄阳中间经过一个地方叫做大浦港,这里的海水非常非常漂亮,纯净得不得了,此地名产是——江原道万年不变的鱿鱼。走出雪岳山国立公园之前还不忘到处搜刮了一叠旅游情报,在这中间看到了我无论如何去不起的凤凰公园滑雪场的照片,真是非常豪华呀~遥想大关岭牧场,也是一个与偶们无关的地方~闲话休提,偶已经乘车到了襄阳高速,再换车去祥云里。这当中还不慎迷路一次——告诉司机去祥云里,司机确定后偶买了票,开始欣赏襄阳的景色。襄阳是座小城,或者说是个小镇,感觉……只有一条街……街道不宽,建筑不高,橱窗里却意外地热闹非凡。一时间,司机大叔喊我下车,一眼瞄到站牌却不是상은리,我犹疑之间向大叔递上纸条,然后不得不接受自己发音不准被带到了一个错误的地方。大叔一边按住我坐下,一边继续狂开。于是从城镇到郊外,一片宽阔的……田野,最后终点站……东亚大学校……汗,韩国的学校取名还真是一个比一个强,不错不错……最后又经过熙熙攘攘的街道,回到襄阳高速车站。
      大叔告诉我该乘哪一辆就溜了,我把停在站里的汽车一辆辆都里外打量了一番,觉得好麻烦啊好麻烦怎么这么远车还这么破而且整个襄阳只有一个祥云里是我要去逛的-.-;坐在脏兮兮的车站门口,旁边一个大妈开始跟我搭讪——天好热的喏(现在我早就忘记这句话要怎么说了,汗)你去哪里?车还有多久才开?啊终于到了祥云里,已经下午3点。一下车,就看到了巨大的海报牌——《秋日童话》。夏日午后的太阳火辣辣的照在麦田也不晓得是稻田或者是玉米田里,忘了说,玉米是江原道的特产,美丽的우수수。乡村的公路有点破,对面田埂上有大姐在卖玉米。车站像个小土庙,很有趣的建筑,我可以画出来却描述不好(其实一路上都这样,日本也是这样的)。
      一路往前,走进传说中的乡村小学校,门上的字我拼了又拼,却还是不知道要怎么念:P
      这座已经被废弃的学校,现在是《菊花香》的作者金河仁和妻子的工作室,曾经在《蓝色生死恋》里做了俊熙和恩熙逃避众人的家。走进学校,门厅里摆满了与电视剧有关的陶艺作品,杯子、钥匙圈,还有其他一些手工艺品。有一位阿姨坐在收款处……皑皑买不起了啦也不想买,因为小时候的俊熙一点也不英俊,要是有卖宋承宪的海报、元彬的剧照呵呵呵呵……一楼的第一间是恩熙的房间,最里面则是俊熙的房间,中间有金河仁的作品陈列室、陶艺工作室,参观者可以自由参观。兄妹俩的房间里陈列着拍摄当时的道具,墙上么贴满了海报(还包括其他影视作品中的) 。恩熙的大娃娃和俊熙的吉他应该是比较代表的了吧~看着宋承宪的海报增四眩目到晕死过去啊~心_心~当仁不让地在墙上写上了自己的名字,还拍了照片,可惜笔迹太细看不清楚了啦~走廊上也摆满了美丽的陶艺作品,还有——终于出现了可爱的元彬——三个人合影的海报。阿姨问我喜欢宋还是元的时候,我很口是心非的回答说喜欢——宋承宪(宋承宪在江原道之灵不要飘洋过海来报复我啊~~)
      在校门口拜托一位年轻的妈妈帮我拍照留念,她是带着小儿子来这里的。我挺不能理解为什么一个妈妈自己带着儿子到这里来玩呢?//thinking走出学校,那位妈妈又开着车停在了我身边,问我去哪儿,愿意载我一段。我非常无耻的上了她美丽的红色跑车,发现原来后座上还睡了一位美丽的小女儿。哦~真是非常美丽呀。回到先前那座小土庙,开始等回襄阳的车。小土庙里居然有一张脏兮兮的沙发,但我还是总是联想到农村的土地庙……人就是这样昏倒的,呵呵呵呵
      回到襄阳高速车站,在Paris Baker买了两枚朴实的面包,上车,一路上忍不住诱惑,透过公交车的玻璃窗拍了n张暮色下的大浦港,虽然明知那些个照片没有什么质量可言,但就是不想忘记吧,呵呵呵呵……
      尽管天色已晚,偶还是冲到了束草海水浴场,总觉得前一天在花津浦没有跳进大海(在庆尚南道也没有)实在太遗憾。海水浴场从束草高速车站往东不远就是,穿过长长的喧闹的商业街——非常非常热闹非常非常繁华,勾起了我对小时候的北戴河的回忆,不过当年可以炒炒海鲜,现在偶可是兜里没米滴~很多韩国家庭都是开车载着帐篷来的,行李和玩具都可以放在帐篷里,玩起来比较自在。可怜我只能……非常ws地冲进警察局,询问每一个想游泳的人都迫切需要知道的问题——更衣室在哪里?当然偶承认是偶一个字都不认识才会导致这种局面的出现,然后一群小警察就很热情地冲上来保证说能去帮偶借一套救生衣之类好玩的东东来,可惜时间太晚,大家都已经开始收摊了……偶很ws的在该派出所的wc更衣……接下来,小警察们又非常high的冲上来帮偶拍照(很ws的海豚照),其中之一barabarabara了很久,另一个赶紧骂他……迟了,他们bara的是ms英语的东东——“你有bf瓦?”“你觉得我们谁比较帅?”——偶立仆,看起来他们的年纪都跟偶差不多,说不定比偶还小些(偶只是看起来像高中生而已),也许不太常见到偶这种冒冒失失的外国人,总之总之非常可爱。——因为,接下来,偶在海里捡到了一只海蜇,当偶非常稀奇的把它举起来的时候,小警察们一起喊道:危险~~它会咬你的~~
      7点,捧着大叔警察送的某种牛磺酸饮料离开海滩。偶想另找一处投宿,于是朝着另一个方向开始晃悠。结果后来绕了青草湖一圈,还是回到了昨天那家찜질방T_T
      束草是一座小城,没有高大的百货商店,夜晚也非常温和。路上没有多少人,人都集中在了湖边。临时搭建的舞台上,不知来自何处的乐队正在邀请台下的孩子们一起上台演奏这种可能是他们自己发明的鼓,DJ大声问道:有汉城来的吗?谁是江原道的?孩子们非常积极,这样的表演不涉及对自己智力、乐感、品德的评价,没有必要含羞或骄傲。我随便找了把椅子坐下,听全场的人们一起狂喊——大!韩!民!国!如果现在中国还有露天电影,想必也是这样在推动着社区人们的团结性吧。
      广场的外围是束草观光塔和博览馆。博览馆修建成船状,偶用的那只相机无法拍下全貌。原本想上观光塔瞄瞄,但是8、9点钟天已经完全黑了,一楼接待售票处有位jj会说非常流利的中文(说不定是东北人了啦),热情欢迎我翌日再访。我背着包沿着湖朝찜질방走去,湖水黑黑的,深深的,像是半凝固了,路修得很整洁,许多儿童骑着车嬉戏,父母长辈们就坐在路边聊天。空地上堆着个大集装箱状物品,似乎是即将到来的音乐节的舞台器具,上面写着大大的“CATS”~
      路的尽头,有一座奇特的电话亭,看上去和普通电话亭没有什么两样,但是里面却没有电话机。直觉告诉我这里面有猫腻~于是我冲了过去,仔细观察,在门上发现了许多签名——天哪,原来这是《蓝恋》里恩熙打算与俊熙私奔时的外景地,这个电话亭当然就是供他俩诉衷肠用的哦哦哦~~~身后有一座游乐场也曾在电视中出现过,金光闪耀上下起伏而转过弯就是我的投宿之处——桑拿>.<
     
    7月31日:D3青草湖청초호——阿爸村아바이——观光塔헥스포타워——束草灯塔展望台속초등대전망대@束草속초——汉城서올——水原수원
    最后一天
      一大早匆匆告别찜질방,由于提前买好了下午1点回汉城的车票,我必须赶在那之前回到高速车站。一面吃着早餐零食,一面已经走到了青草湖边。湖的东面相当荒芜,大片的空地上堆着奇怪的建筑材料,穿过小小的草丛便是渔家的简易工棚,清晨船还都停靠在岸边,水鸟自在的飞来飞去,但它们非常精明,我都来不及抓拍。对岸的观光塔和群山的轮廓非常柔和,我想,今天一定又有许许多多游客去雪岳山了吧?这时候我感到非常后悔,为什么自己不会画图、甚至连拍照的技术都接近于0……我喜欢这开阔的湖面。
      沿着湖走到桥,就是《蓝色生死恋》最重要的外景地——阿爸村了。桥下是连接青草湖和外海的水道,摆渡船就是电视剧里恩熙乘的船。这里处处都可谓历史遗迹。阿爸村的居民来自于朝鲜咸镜道,当年内战的时候他们搬到三八线以南,但战争结束、尘埃落定后却再也不能回到故乡,只好在这块小小的土地上安家。这里的建筑风格与京畿道很不一样,但自《蓝恋》风靡亚洲以后,各色与之有关的招牌也多少掩盖了些他们的苦楚。小小的村落里,几乎家家户户都在做着饭店的生计,出售著名的咸兴冷面、鱿鱼灌肠,并且家家户户都挂着宋&宋的合影。在据说是最正宗的那家店里,我领教到了Fans们的狂热:纸糊墙壁和天花板上签满了**到此一游一类的话——大多数是KBS组织的旅行团,当然主要是韩日中——甚至连冰箱门上还贴着签了名的泡沫饭盒。我在另一家店里吃了享有盛誉的咸兴冷面,可能是荞麦面条,质地非常坚韧,所以需要用剪刀来剪断!面里的梨丝很好吃,明太鱼酱更加是一流啊~~感动的流泪。老板娘让我尝试一下两壶不同的汤,味道果然截然不同,不过我始终没有搞懂其中的奥秘。结帐的时候,老板娘说:“一个人来这里的例子非常少,所以呢,我少收你500元~”开心,她还帮我拍了两张照片……那么顺便鄙视一下之前在屋后沙滩上死活不肯替我拍照的一个男人,这不是bt么hengji。阿爸村后的沙滩非常美,恩熙第一次与泰锡散步就是在这里拍摄的,当然,沙滩上免不了也树着不少剧照,可惜年代久远不像乐天百货店的裴勇俊照片可以当成真人以假乱真。
      离开阿爸村,我乘了趟渡船回到束草市区。这两条渡船非常奇特,由船上的人拉动架在河上、贯穿船底的钢索而开动,而船的故事里也留下了日据时代的殖民阴影。百年来,船儿就在固定的位置上来来回回,接结着青草湖与东海,连结着江原道人与咸镜道人,从这个意义上说,也算是连结着韩国与朝鲜。而现在来自亚洲各国的人们前来这里参观,船儿是不是就连结起了小小的韩国和大大的亚洲呢?反正,他们是要用电视推动旅游兴国的。
      一上岸,风光就完全不同了,这边家家户户摆着的、挂着的都是鱿鱼。我拿着地图向前走,竟然不知不觉就多转过了一个街区。原本打算在这附近的邮局给朋友寄明信片,但韩国的规矩是邮局周日不上班,我怒。只好往灯塔的方向走去。小时候在电影里看过很多关于灯塔的故事,可是我自己不是住在海边的小孩,对这些感到非常好奇。这时候的束草,感觉很像80年代的合肥,当然朴实的楼房里拥有的都是现代化的设备,但空气中的温热和宁静都能与那个印象重合。束草很小,街心就在湖边,于是我两天的行程几乎绕了青草湖整整一周。街边有块绿地,有座收复纪念碑。看来,某场内战在人们心头还会盘桓很久……纪念碑的对面就是KBS在束草的电视台,似乎每座城市都有?呵呵,我不太清楚。好不容易走到灯塔,却看到一块木牌——整修至06年——我哭,还好没走几步还有一个景点——灵琴亭,这里的海浪挟着风扑过来的感觉真的很爽,呵呵。这里的海滩没有沙子,因此也没有人,大家都站在亭子里,远眺海面,真的,对面就是日本了。
      从海边我又乘车回到观光塔,亲身证实了这座塔是多么的巨傻无比。不过塔里的解说员jj答应了第二天替我寄明信片,还死活不肯收邮费,无比感动~~
      离开束草之前,我做了一件直到现在都非常自豪的事情,那就是我冲进了车站边的易买得,在公共饮水机处灌满了我的太空杯……真是灵感啊,否则接下来的遭遇会让我活活渴死。
      本来束草到汉城只要4个多小时,汉城到水原1小时左右,我最多7点就能够到学校了。然而,周日的公路略有些拥挤,直到近7点我才到达汉城。在宽阔的马路上等待开往亚大的公交车,终于~~我跳了上去,开始睡,却忽略了重要的一点……我乘错了车。学校到汉城一般都是3000路和3001路,我错把3007当成了3001,车倒是开往水原的,却并不能到亚大。我看着水原站在眼前掠过、又看到世界杯赛场的路牌,却看见车转了一弯……起初我还没有当回事,渐渐的,车开上了田间小路,窗外都是庄稼……我想起了《爱有天意》,那也是水原,可是现在无论这车怎样开,终点站却都不会有我心爱的人>_<~我壮起鼠胆,走到司机身边……哐当!那么年轻的GG都不会英语(更糟糕的恐怕是我的英语也不怎么样),我只好很BT的强调:我要去亚大!于是司机GG立刻明白过来,尽管我们都知道我该乘3001,但是到如今想换车也难了……司机GG示意我坐下(天哪这已经是3天里的第2次了)呼哧一下把我拉到了荒凉的终点站。事已至此,我就乖乖做听话状,一言不发的跟下车。只见司机里里外外barabara了一番,一位大叔便端着茶杯出来,冲着我喊:“小姐,请上车~!”中文!!!我两眼发直,如遇救星,就在那位大叔的指点下上了88路——我知道,这车总算是到学校的了。88路的司机大叔用手挡住了刷卡机,让我坐在最前面,于是我便成了一副免费专车护送回校的派头。一路上,我用破破烂烂的韩语回答着司机的问题:我刚从江原道回来……我只学了4周韩语……起初的半小时里几乎没有其他乘客,越发像是专车。我一下子非常非常不好意思,出发前的气势都被丢到了身后,这些天里超常发挥的韩语也慢慢回落到了此前的水平。
     
    7/31/2005

    江原道足迹——《蓝色生死恋》以及众多(一)

    7月29日儿童半票
    D1:水原수원——汉城서올——束草속초——高城고성——束草속초
      因为周五停课,所以提前了一天出发,准备工作一直做到凌晨2点。校门口3001路到了良才驿,就已经用掉了第一次问路:一个帅帅的发Focus晨报的大男孩,告诉我去地铁站的方向。出地铁站差点迷路,它有一个巨大的地下饮食娱乐城,因为在这里兜得太久,造成了后面的连锁“笑果”。原来서올터미널(Seoul Terminal)又叫강남터미널(Gangnam Terminal),害得我以为走错。研究了许久才确定是哪一个售票窗口,所谓一环扣一环,这5分钟之差导致了最后一张12800/13900的일반(一般)车票售完,这是8:00的车,下一班居然是——13:30!我无论如何不想等到那么晚,也无论如何不愿意买20500的우등(优等),如果那样的话我还不如直接从水原去束草呢。售票姐姐跟我比划n久(这种英语也好意思开外国人售票窗口),把我扔给了一位아자시(大叔),他拿了一堆ms退票的票子让我挑,我坚持不接受20500的天价,在潜意识里不慎使出了高木传授的跺脚功——于是立刻被当成日本人——这时,大叔变魔术似的拿出了一张10300的车票问我要不要,我分明看见是속초 우등正在纳闷为什么这么便宜,大叔已经勒令我付钱。拿着车票,发现还有아등二字,用脚趾头想想也知道了——儿童半票!!7:50发车,上车吧……检票叔叔跑来问我是不是日本人,本来想给小日本墨黑的,犹豫了一下还是说了实话,估计这个由于也可能会让他们相信我是日本人,谁让他们英语烂要跟我飙日语……
      优等车很舒适,就是颠+吵+晒+冷,没怎么睡着。中途休息时冲进了观光案内所拿了一堆简介。11:30左右车停在襄阳(양양) ,看了一眼车站,立刻打消了从襄阳回汉城的念头——简陋得跟五十中后门149车站差不多,根本没有卖票处……当即FT乐,看来还是要遵循最早那个绕圈子跑的路线了,水原——汉城——束草——高城——束草——襄阳——束草——汉城——水原……早上意外省下的3000元(其实可以算省下1万元)还是要贡献给江原道交通事业的。
      从襄阳开始,bus一直沿着东海岸前进,现在正是韩国的旅游度假季节,处处是沸腾的浴场。11:45到达束草,迅速决定先去花津浦(화진포),不,索性就去到最远的统一展望台(통일전망대)吧。在车站买好了31日回汉城的一般返程票,该死的又是13:30,要是有下午2、3点钟的就好了(事实证明13:30还是正确的,慢慢看后面的吧)。在车站案内所问好CityBus,发现我的发音还是太不准确,所以从这里开始一路写纸条。到统一安保公园居然要3940,好贵,吐血了,不过路上开了近2个小时……hmm强烈谴责旅行手册。终点站,下车,司机大叔又帮我写了纸条,但我还是找不到去公园的车(旅行手册不是声称有班车往返+门票5000元么?)于是跑到一家hotel门口,问了两个看似不良青年的家伙,他们倒是很热情,我顺着他们指的方向走过去,竟然就是公园入口!那么继续案内!大妈英语不行,会说几句日语,告诉我说“没班车了”以后就再也听不懂我说的日语了。刚拿到手的介绍说花津浦也有安保展示馆的,我郁闷啊,早知道不过来了,直接去游泳多爽,反正我上周才去过DMZ的西头嘛……售票大妈异常热情,问我有没有“自用车”,我竟然听懂,大摇头,伊便搂着我的肩膀帮我找了两个年轻人愿意载我~~感动死!原来他们都以为我是日本人,连大妈让我填单子的时候还说:“なまえ、なまえ、”,真是亏了我能听懂啊,多掌握一门外语就是好T_T后来让我搭车的姐姐说她也觉得我像日本人(太好了总算不说我像韩国人了),说我so shy,so weak,但是brave。
      统一展望台的检查没有板门店DMZ的严格,一方面是因为这里不下地道,另一方面这里比较平民化,说出这里的代表性地名大家一定都知道,展望台看下去就是朝韩家属会面的金刚山。8分钟的安保教育我没有听,听也听不懂。汽车开进公园以后还蛮远的,一路都是军事风格。哥哥话不多,姐姐的英语不错,而且2000年的时候去过中国。他们对北京奥运会很感兴趣,说到那个时候中国的基础设施建设会比韩国更好的。姐姐还问我觉得韩国男生怎么样,我口是心非大赞了一把,尽管我还真的没有见到几个帅哥。姐姐大批哥哥不帅,估计人家辛苦开车的快精神恍惚了吧……哥哥请我喝了매시자(柠檬味大麦茶?)1000元,味道极好。姐姐一直帮他擦汗,很贤惠很恩爱喔~~。
      这个展望台比都罗展望台大,乘列着飞机和坦克,博物馆里又被朝鲜的各种日用品……酒、钱币、金日成……没有英文,姐姐就翻译给我。这次总算天气不错,在望远镜里看见了朝韩封锁线,只是姐姐说应该可以清楚地看见金刚山才对……hmmm我就不奢求了。展望台下面有佛像和观音像,供与家人离散的韩国朝鲜人民祈祷统一……我问姐姐韩国人到底能不能去朝鲜,她说还是可以的比如绕道中国,也有韩国人热爱社会主义偷偷跑到朝鲜去的。东海的波涛拍打着岩石,只有海鸥可以自由翱翔——你说,这海水到底是韩国的海水还是朝鲜的海水,还是——甚至是日本的海水呢?哥哥姐姐拍了一次性的快照合影送给我,把我送到1路车的车站。
       回到车站,去花津浦,900元。这次报站时听懂了가을동화(秋日童话),其实听不懂也没有关系,下车就是宋承宪宋慧乔的大照片(可怜的元彬……),不得不说这已经成了束草甚至江原道的著名摇钱树,不知道송승헌在江原道服兵役会不会受到点优待。居然还要走1.7KM进去,我倒,一路都是“民泊”,赚翻了啊。到了海洋博物馆、花津浦海水浴场,案内,no 英语,no 日语,我才学了一个月的韩语大放异彩~~澄清了关于“安保公园”和“安保展示馆”的误会。案内所的mm跑着给我拿来了韩文的地图,这下好多了——看来不是所有韩国人都认得汉字的。
      前往金日成别墅,又有一家案内所,jj说不来英语,问我:“日本人ですか。”我汗:“日本人ではない。中国人です。”jj闻声大喜,一口流利的中文(从小在中国长大)!问清了所谓安保展示馆就是金日成、李起鹏和李承晚的三座别墅,还问了下关于束草的찜질방(可以住宿的桑拿浴室),jj给了我韩文版的束草地图,可以放心去玩了。喜出望外的是金日成别墅并不需要门票,虽然有个售票处。里面随便逛,随便拍照,介绍看不懂但是可以猜。服务员小gg非常非常热情,自动售货机超级便宜,我连喝了一罐百事一罐咖啡,恢复了斗志~~从别墅的高台眺望东海,真的是非常美丽。金日成的别墅,但是并不豪华——事后发现已经是三座别墅里最豪华的了。
      天色渐晚,无处寄存行李,我只好打消了在花津浦游泳的念头,真是可惜死了。但是沙滩一定要去,好歹踩一踩宋承宪踩过的沙子嘛~~海滩上有很多《蓝色生死恋》的剧照,风头都让宋宋占尽了,可怜的元彬就像不存在一样。我终于醒悟为什么中文版翻译成“蓝色”了,原来就是大海啊……好像在剧中并没有太大关联的,无非就是传统到死土到极点的——“电影里的阿姨都在海边哭所以海水是咸的”。沙滩上很多可爱的小朋友堆沙、把自己埋在沙子里,真想尝试啊,皑皑,一个人出来玩肯定会遗憾的。
      海滩不大,随便拍了几张便回束草。花津浦的道路一边是海,一边是花津浦湖。从下午的阳光洒金到黄昏的云霭薄施,都分外迷人。湖里不停有大鱼蹦出湖面,远处群山起伏,这次终于用相机拍出了层次,可惜了夏天没有著名的花花,看来春秋才是旅游天哪。
      回束草的公车居然要了我3960,奇怪的价格让我觉得没有天理,找到桑拿浴室,居然比汉城的7000高出3000,大概是因为条件太好,有各种健身、娱乐设施,屋顶还有露天游泳池、酒吧,可以观观青草湖夜景。这个地方是向隔壁药店一位大叔问来的,他是我这次旅行遇到的最有意思的人,在纸条上给我写:“次建物、4增(层)……”要不是我的日语背景,我还真看不懂呐~
    7/29/2005

    今天出发去江原道

    今天因为有部分同学参观LG所以不上课
    我没有报上名所以去江原道
    查了很多信息
    我会小心的
    7/28/2005

    也许要改变计划

    挖坑,不要踩
     
    明天早上不上课,因为很多人要去参观LG,可惜我没有报上名
    所以我可能会选择明天早上出发去江原道。这样,即使来不及,也可以在周日晚上回到水原。
    现在需要查询当地的天气,我可不想在大雨中爬山。
     
    虽然一直知道国际青年旅舍这个东东,但是没有仔细研究过。
    才知道在韩国的青年旅舍会员价只要5000韩币而非会员价仍然要好几万。
    但是在上海,差价只有几块钱
    应该早点弄一张的说……
     
    一切都会变的。旅行的计划,上课的计划,人生的计划。还有,NEMO,我的爱,我不敢带你去呢~
    7/27/2005

    水原三星

    今天参观了位于水原的世界著名电子企业——三星
    偷偷拍了照片,等到电脑好的时候传上来
    游记明天再写
    7/26/2005

    江原道旅行计划

    水原巴士客运站——束草市外巴士客运站8:00-18:30,19900,4小时30分钟
     
    束草高速汽车站1,7,9市内巴士——青草湖;
    束草郊区汽车站7-1,9-1——青湖洞;
                         7,7-1——雪岳山入口,10分钟1班,雪岳山门票3400\
     
    襄阳,高速汽车站步行5分钟——汽车站——祥云里
     
    高城,束草——大津;或市内——郊区bus站1-1路;前往花津浦和统一眺望台。
     
    观光咨询电话:束草观光咨询所 033-635-2003,033-639-2568
    花津浦 033-680-3362
    雪岳山 Seorak
     
    今天打了个电话询问了束草的旅行咨询所,有点放心了,所要做的就是合理安排行程和尽量节约。
    但是我在不同的网站上搜到的信息竟然大相径庭,这又让我担心起来。
     
     
    7/24/2005

    总是一个人

      今天又去了汉城。本来说是在梨花女子大学附近购物,顺便去大学里瞅瞅,然而除我之外的其他人前一天逛得太high,承受不住接连两天逛街的疲劳和兴奋,终于不愿意往大学的方向挪动一步了……于是我又很绝情的一个人脱离了组织……
    地铁惊魂曲
      去梨大的时候在地铁上有一个小插曲,A和B坚持走a方向,这和我根据地图得出的结论相反,并且我在售票处的线路图上清清楚楚看见了“梨大”是이대……但是大家还是上错了车,然后再跳下来,往回坐——小安啊,要勇敢发表自己的意见,还有,不要对自己的错误、可能会犯错误看得太重,你知道,每个人都会给周围的人添麻烦,越是关系亲密,伤害越多,但是因为彼此宽容,才不觉得这是伤害,由此,关系才会再进一步。为此,勇敢的承担发表意见的责任吧。为了挽救更大的错误或者危机。——不久上来一个加拿大女孩和一个韩国女孩,我便被拜托去问如何补票,孰料,这个韩国女孩竟然是跟C mm在加拿大同一个大学,大家聊得很开心。凡见到欧美人必提北京烤鸭,没错的!
    梨大站前街
      梨大站前街类似于以前的五角场,有些专卖店,有些小店,服装价格中等,手表、饰品较明洞为便宜,但是没有明洞花色繁多,而且有很多made in China,所以基本不谈了。有意思的是这里有很多巴基斯坦老板,在某家店门口,看到2000一对的耳钉,我问老板可不可以给折扣,他很严肃地说不行,又补充道:“but because you are cute, I will give u a bargen”,最后4000元拿了3对,也还好,不算很便宜的说。不过他的店里面有很多漂亮的小东西,当然,大多数也是我见到过的他把我拉到镜子前面,帮我戴上一串pp的项链、手链、耳坠,说:“I made it for you~”那时候的笑容真是可爱(打倒我们队伍中的种族歧视者),不过这玩意儿太贵了,逃吧。
    梨花女子大学
      最后我一个人去了梨花女子大学,从站前街走过去只用了2分钟,没有带照相机真是很可惜的。一进校门是一座很雄伟的教堂——不好意思,在韩国,这样的教堂已经很十分雄伟了。由于是暑假,整个校园十分宁静,欧派风格的建筑在高大的绿树掩映下显得庄严肃穆。梨大的博物馆、图书馆、学生活动中心都是很男性化的建筑,可能这也正适合女子大学吧?但是这些大楼最多只有高高的台阶,没有高高的柱子——大学,即使需要大楼,也不需要光华楼那样的大楼。我们批评说复旦的光华楼太突兀,梨大的楼却因为绿树和木槿花而与山、天空融合在一起,同时,虽然建筑基本都遵循了对称的原则,但校园里的道路却不是对称的,这样整齐又多变,形成了梨大建筑奏鸣曲。(完)
    7/23/2005

    餃子を作った

      今天在韩国学生根明家里包了饺子。虽然大家都有过包饺子的经验,但是真正完全自己动手,从买面买菜买肉,到和面煮熟吃完,这还是第一次。
      为了今天的饺子,根明还特意去买了一根擀面杖,只花了1000韩币,乐得他大叫便宜。而我们买到了3000元一斤的超级优质精瘦肉之后,也开始感慨学校食堂的恶毒。肉啊,我要吃肉~所以我们决定今天的馅采用白菜猪肉和韭菜鸡蛋。三个人一起去了根明推荐的菜场,看到了许多泡菜和泡菜饼~~可惜不是真空包装,不能带回国去。
      到了根明家里,根明的哥哥和表妹热情迎接,大概已经做好了吃的准备,然而包饺子工程浩大,怎是他们可以想象的?前期工作无非是洗菜、剁馅和和面,我在家里一贯是擀面和包,对于其他没有太多心得,所以也就不主动去招揽什么,王飞和许润争相和面,比较好玩。但是和到一半以后,王飞终于承认自己并没有亲手和过面、正儿八经参与过完整工序……众人汗。(未完待续)
    7/22/2005

    当我是外国人——互教

      自从01年踏进外文系,我们的词典里就出现了一个叫做“互教”的词。只不过一直以来都是我找留学生,这次我变成了可怜的惨遭压榨的短期留学生。
      因为只有6周的课程,所以原本并没有打算找互教,但是一周下来,退掉了无聊的当代韩国社会,初级韩语又过于简单,我觉得自己开始有荒废暑假的倾向——不行,我的米。于是拜托了志愿者李根明,帮我找了个Language Partner——河信吾。
      这位筒子曾在长春东北师范大学(又是这个欠扁的学校)交换留学3个月,对中文很有兴趣,信奉基督教,说话很慢很有耐心。长相虽然不算帅,也比另外两位大叔好很多了(后来才发现有一位大叔会说日语的会说日语的,我大哭啊用日语教韩语是多么方便啊)。他知道我不愿意用学校的教材,每次就自己编一篇句型,写很多例句。我发誓我从来没有这么认真的互教过,当然一方面也是因为我现在的韩语水平实在太苍白,所以他教我什么都OK啦。只是,很难搞懂的过去时制词尾我迄今仍然没有搞懂,韩语的词尾受单词自身读音影响太多,又不像日语一样好歹有个归类。这么繁杂的语音系统只让我有像杀人的冲动。
      好在我本来就是外文出身,又有日文基础,所以皮厚+领悟能力让我热爱胡说八道,不管,反正能搞懂意思就行。感谢一周多来信吾的教导让我总算能避免荒废的危险。写到这里发现他的名字有点像日本人,不仅如此,他的侧面还有点像我们亲爱的玲chan,只是玲二郎同学的顾盼飞扬不是谁都可以学得会的啦~~
      顺便在这里提一下另一位大叔徐承赏。其实他的年龄并不大,只是看起来比较老。他在美国读高中的时候跟日本学生学了日语,迄今已有5年,发音标准,语法准确,下次我要来试探一下他的词汇深度。他说因为想跟中国mm结婚所以要学习5年中文,我倒。不过今天秋天起他也要去服2年兵役了。因此,他说要跟我交笔友,可以练习中日韩英4种语言,我再倒。(完)
    7/21/2005

    家乐福鸡同鸭讲记

      昨天从DMZ回来以后下定决心要去家乐福shopping了,于是按照南理工小朋友说的路线走了过去。实际上绝对不是他说的步行15分钟,而是45分钟单程……考虑到不能给以省钱为目的的购物增加1600Won的交通费用,一咬牙,拼了!终于看到了标志性的教堂,又走了15分钟,上帝啊,好几次我都以为自己已经走出水原了。
      好不容易看到家乐福可爱的红蓝标志,我又发现自己找不到卖场的入口。原来这里的家乐福是地下一层和地下二层。第一次来的我,完全找不到从B1到B2的电梯,瞅见收银台处开始拉链条,我还以为他们要下班了,赶紧拉住一个jj问:“Where can I buy some food?”于是,光是一个food就重复了3次她才知道我要的是食物她比划比划说要从外面绕,于是我绕了出去,发现还是不对,又冲进一家卖衣服的店,问:“打扰了,请问去地下二层怎么走?”这次更好,大概我这句话说得太流利,人家jj冲着我狂飙韩语,我才发觉我根本听不懂什么前后左右笔直拐弯……
      终于找到了可爱的面包(我居然会说面包可爱,汗)的踪影,正在货比三柜台,被一阿妈妮拉住,让我品尝1的面包。试吃?这个我最喜欢了,不仅有面包,旁边还放了一盆奶油哪!原来5个3000Won的面包买5赠2,另有一种干点10个2800Won,考虑到前者更加能够填饱肚子,义无反顾。孰料买好以后阿妈妮继续拉住我,问东问西,我想说我才来了3个星期,无奈只会说21天,不会过去时(那个变化的词尾太复杂,从来就没有记住过)于是说学了14天韩语……没事干总盯着日本产的果酱,购物篮里还放了本字典,您说,您在家乐福见过我这种人么?阿妈妮倒是爽快,又递上面包要我吃,还拉了一个年轻经理来跟我说英语……原来伊发现我是中国人了,大汗……转身走到熟食部,看到试吃的烤肉,既然一旁的韩国母子都在狂吃,我为什么不吃呢?一边吃着没什么味道的肉,一边哗哗流泪想:以后每天都走过来吃口肉的说
      家乐福的东西比较便宜,但也不是最便宜,而且这里的饼干品种很少,没有我最热爱的乐天巧克力饼,看来一段时间之内我还要继续贡献600Won给宿舍小卖部。泡面也不是很便宜,大概2300Won5包,怎么比得上我在上海600Won5包啊……还好我带得多……买了大包装的饼干准备留一点带回去分咯~这里2倍包装的饼干价格也是2倍,不存在量贩式优惠,所以其实没有一次买太多的必要。记得以前高木说日本的速溶咖啡和中国不一样,貌似和韩国是一样的,考虑到将来可以去日本腐败,我死活按捺住了自己购物的冲动!
      接下来遇到一对母女问我哪里有卖包……天哪,我唯一能听懂的那个“包”,还是因为1发音与日语相同……我很皮厚地告诉她们说在地下1层——其他的我想说也说不了了,btw,那个“我不知道”我到现在还没有记住……
      又遇到一个文质彬彬的中年男子,似乎是想打听哪种饼干好吃,我郁闷的开始飚英语,结果他的英语更好~~“You are foreigner here?”废话,当然是啦!顺便打听了一下还有没有其他饼干,得到了否定的回答之后,我开始担心我的荷包……能不能顺利撑过3个半星期?家乐福虽然远,还是要多来来的,恐怕。
      顺便说,我在这里发现了轮滑鞋,只要1万9千多,怎么会这么便宜?可怜我没米啦
    7/20/2005

    DMZ——共同警备区

    (今天的DMZ tour还是不枉此行的,拍了一些照片,但是受到电脑限制暂时无法上传,请大家期待)
     
      尽管复旦只有我一个人报名参加,尽管前一天被室友的电话骚扰到凌晨,我还是兴致勃勃地踏上了开往DMZ的客车。难得来到韩国,我的目的之一,本来就是为了亲眼看一看所谓韩国和朝鲜的历史问题会给现在的人们留下怎样的伤痕。
      板门店,金刚山,青瓦台,这三个地名是我记忆中最早的,关于朝鲜半岛历史的关键字。青瓦台总统府政变,金刚山朝韩家属会面,在板门店被绑架的美军士兵詹金斯……记得2000年的奥运会上朝韩两国代表团共同入场的镜头给过我很大的鼓舞,我从内心期盼有朝一日我们的国家也可以团结在一起,然而那之后的5年,知道的越多,对“统一”的说辞就越麻木。我们每天大骂日本文部省的时候,不知道自己的教科书里是不是也有多少水分呢?
      奇怪的是每次在新闻里看到朝韩家属会面的镜头我都忍不住会流泪。在我真正站在自由之桥上的时候,看到远处另一座已经被炸毁的桥的桥墩,看到桥头悬挂的碎布和国旗,看到铁丝网上一幅一幅朝韩为了促进离散家属会面举行的会谈的照片的时候,我又想哭。在共同社看到曾我瞳一家的照片,都没有这么激烈。满脸皱纹的老人抱着自己失散多年的兄弟或者丈夫,年少时候的人生梦想被一条纬线阻断;一家四口抱着穿着盛装韩服的纸偶泪流满面,一定有很多期待了50年的重聚破灭在死亡的讯息之后。我们都会爱上一个人,因为爱而忍受不了哪怕是一天的分别,而骨肉相连又被硬生生拆开,50年,是连Eason也不能咏唱的鲜血淋漓。50年之前,50年之后……
     
      离开自由之桥的第二站是都罗瞭望台。这里有一座兵站,帅气的韩国士兵向我们介绍了整个DMZ的地理和历史,可惜伊的英语发音实在抱歉,偶也缪听懂多少。瞭望台有一排望远镜,只需500韩币就可以看大约5分钟,可惜今天雾太大,所谓的朝鲜村庄连一片瓦也没有看到,还不如我直接用肉眼观察来的清楚,最后跟可爱的兵gg拍了合影。
     
      最激动的当推第三隧道的观光。据称,朝鲜为了南侵而挖的隧道迄今已经发现4条,70年代3条和90年代1条,其中第四条的规模最大,并且其出口距离汉城仅有4公里。我们参观的第三隧道于1978年被发现。来之前光看观光案内我还以为隧道是挖来沟通的,现在才知道原来朝鲜声称这是他们的煤炭坑道,但韩国方面怒斥说花岗岩地质层不可能有煤矿……双方各执一词,这在隧道的博物馆里也得到了充分体现。我们引以为豪的抗美援朝战争被描述成“北朝南侵借助了中共人海战术”“中共对能否获胜不抱信心所以在停战协定上签字”,在南北分裂历史年表上,一个又一个“共匪”的字样让偶们中国学生很想吐血……不过历史本来就是国家机器书写的,这本来就无可厚非。只是联想到中韩政府一直对日本文部省耿耿于怀,但为何中国政府不介意韩国旅游景点的yy,这恐怕也不是我这么愚钝的人两句话能说清楚的了。我所做的,仅仅是写下来,作为大家的眼睛来观察吧。同样,在南北统一进程年表上,也只罗列了韩国对朝鲜的医疗、食品援助等等。隧道的尽头是“第三隔断障”,往前还有两座障壁堵塞隧道,所以,我们最远走到了离朝鲜170米的地点。这个曾经在许多电影和文学作品里被描述成中国人民的朋友的国家,真的不是那么简单的角色。(皑皑还不晓得六方会谈怎么样了)
     
      最后一站去的是都罗山车站。远景规划的目标是修建从汉城到平壤的铁路,用现代化交通工具来抚平南北人民心灵上的创伤。我们在护照上盖了车站的纪念印章,感觉像唐僧倒换关文。站厅里有小布什的油画,4个美国学生跳过去大拇指向下bs他,芬兰人冲上去竖起大拇指结果被其他人kick,这令我们捧腹大笑。
     
      DMZ的旅游纪念品之一,竟然是在共同警备区里种植的大米。50年间从未有人类进入破坏过那里的生态,所以周边的农作物品质都很优良(我们一路也看到大片农田长势喜人,但是一个农民也没有,因为这里是定时放农民进来耕种的,汗)。也许缤纷多彩的动植物就是DMZ留给地球和朝鲜民族子孙后代的礼物了吧。
     
    7/17/2005

    suwon world cup stadium

    shu ru fa huai diao le ,ming tian bu shang