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26/08/2008 安全保障来月下旬、南中国の明珠の一つと呼ばれる深せんに行くことを考えて、航空券をとろうとしました。ようやくスケジュールの調整と国内航空会社や値段の比較が終わって、支払いのステップに進んできました! 下个月俺要去深圳,打算提前预订机票。花了一下午决定了日程、比较了各个航空公司的价格,终于来到了支付页面。还赞叹了一下南航与国际接轨,可以直接在自己的主页上订票。 2年前5回ほど銀行に行ったり来たりして交渉を重ねてやっと電子支払が実現した中国建設銀行のカード、手元にありますから、多分大丈夫だろうと思ったら、身分証明番号とパースワードと検証番号を入力して、クレジットカードを選択して、またパースワードを入力して、気をつけて有効期限と3桁の数字を入れて、クリックすると、 前年我历尽千辛万苦好不容易搞定了建行的网上支付,一直以来在国内网上买买书啊CD用起来还比较方便,信用卡也好储蓄卡也好,都带在身边。今天也和往常一样,输入身份证、密码、验证码,选择信用卡,再输入密码,有效期限、CCV还是CVV码,点击!
個人財産をここまで守ってくださって、ほんとうにありがたいですけど。 无语……(说明一下,后来打电话去国内骂银行了,银行辩解说从6月开始必须购买新的安全工具,原来的签约网银不能支付。我考,流氓啊) 25/08/2008 [转载]回复为啥我们要搞这么奢华的奥运会要说这次奥运会比看比赛更加欢乐的事情,那就是趴在BBS的偶晕(Olympic)版看大家灌水。
由于我天朝严格遵守转播版权规定,在开头两天里我几乎只能看到NHK围绕日本选手开展的转播。
好在人民的力量是无穷的,总有许多方式可以与祖国人民天涯共此时。
在此要感谢TVANTS,QQQTV,sinaTV等各种软件、插件,及提供信息的好朋友们。
当然,还有与QQ争分夺秒抢新闻的偶晕文字直播。其中欢乐无需赘言。
尽管奥运会已经结束,但我复旦学子仍然坚守在舆论阵地上,进行着一贯被外国媒体无视的反思。
Ralph同学的回帖,被公认为是高质搞笑的,现转载一篇如下。
btw:我个人的观点是,当然不能因为我们还不完美就不办奥运会,只是奥运会已经办了,接下来要怎么样,fufu,大家都清楚。
【资治通鉴】 卷一百八十一
炀帝大业六年帝以诸蕃酋长毕集洛阳,丁丑,于端门街盛陈百戏,戏场周围五千步,执丝竹者万八千人,声闻数十里。自昏至旦,灯火光烛天地;终月而罢,所费巨万。自是岁以为常。诸蕃请入丰都市交易,帝许之。先命整饰店肆,檐宇如一,盛设帷帐,珍货充积,人物华盛,卖菜者亦籍以龙须席。胡客或过酒店,悉令邀延就坐,醉饱而散,不取其直,绐之曰:“中国丰饶,酒食例不取直。”胡客皆惊叹。其黠者颇觉之,见以缯帛缠树,曰:“中国亦有贫者,衣不盖形,何如以此物与之,缠树何为?”市人惭不能答。 翻译(zz): 翻译: 大隋朝第二代领导人隋炀帝执政第6年,在首都洛阳搞万国大爬体。正月时候,在端门街盖了个国家大剧院,直径五千步那么大。表演团体抽调了一万八千人,演奏时首都各界人民都能收听到直播。演奏会每晚举行,一直持续至第二天清晨,大剧院周围灯光照耀天地。大爬体整整进行了一个月,花费N多万。由于收到良好效果,此后每年正月都要同样搞一回。 大爬体期间,各国友好来宾都被允许进入丰都市,进行物品交换和交易。为了方便友邦人士的商业行为,大爬体之前,政府先进行了大面积的环境整治,房屋粉刷一新,并统一门楣形式和匾额标牌,连大树都以锦缎缠绕。商铺中摆满了各种珍奇货色,服务人员也都统一服装并进行了礼仪培训,哪怕是卖菜的都要做小资打扮。 大爬体期间,政府对所有来京的友邦人士热情接待,吃住免费,还可以往回带。但凡想给钱一律打回去:“我们大隋朝这么强大富裕,给钱?这是骂人!”于是友邦人士纷纷竖起大拇指赞叹:“大隋朝真美丽,大隋朝人民真热情。one world one dream!” 有别有用心的境外反隋媒体,专门采访了隋朝的一些阴暗面,报道说:“大隋朝还有不少生活在水深火热中的人民,而他们竟然把财富用在锦缎缠树上……”大隋朝新闻发言人对此表示无可奉告,然后封掉了这家媒体。。。 24/08/2008 スポーツは国境なし さっき、ボクシング男子48キロの決勝は鄒市明さんが優勝しました。これで、中国代表団が金メダル50枚を獲得しました。20年前、初めて見たソウル五輪は5枚だけでしたから、10倍という信じられない成績に対して、すごいとしか言葉はありません。選手たち、コーチたち、そしてご家族たち…おめでとうございます。お疲れ様でした。
正直に言えば、先週までは50枚を思っていませんでした。もともとそんなたくさん取らなくても、素晴らしい試合やパフォーマンスを見せてくれれば十分ですし(個人としては飛び込みは一番の楽しみと思います)。でも、好き嫌いなんかにもかかわらず、この日はやってきました。
鄒市明さんが金メダルを手にして、カメラに「これは中国人のものだ」と喜んで泣いた画面を見た瞬間、半分冗談の気持ちで「お~い、ご自分のものだよ」と言いたかったが、すぐ「よいじゃないか」と悟りました。確かに「挙国体制」よりカナダ、オーストラリアなど先進国のような選手はキャラを持ちながらスポーツを練習して、オリンピックに参加するほうがもっと相応しいと思われますが、体制の優劣によって選手たちの努力、そして気持ちを評価するわけはありません。北京五輪を通じて、変わっていく中国が覗けまして、その行方を楽しみにする同時、そのスタートと経由も無意味ではありません。
今の中国はもう金メダルに自信を求める必要はないと、よく言われています。そして、オリンピックに求められることは、自信のほかに、喜び、楽しみ、愛情、寛容…もっとたくさんあるはずです。1990年代よく罵倒された「海外軍団」がようやく認められる傾向も見られます。(選手にはまだ厳しいですが)アメリカ女子バレーボール、オーストラリア飛び込み、シンガポールバドミントンなどに「敵を助け」にいった中国人コーチたちには熱い拍手が送られました。勿論助けに来た日本人韓国人…コーチたちにも。その事実だけを国民に伝えたのは(残念ながら?)よく「思想統制」と批評された中国中央テレビも最も積極的な姿勢を見せています。
[これは面白いです。小学生の時、そのジャーナリスト兼キャストに憧れたことが昨日のようです。途中彼らも時代遅れのおっさんにすぎないと思ったこともありますが、やはり大人をなめにしてはいけません。普段見えなくても、穏やかな水面下、すごい知恵と力が流れています]
外国人コーチに感謝する気持ちを含めて作られたCMが流されています。その画面には、「金メダルは帰属あり、スポーツは国境なし」というセリフが飾れています。国の名誉、人民の希望を24年ほど考えた後、ようやくもっとたくさんのことが考えられるようになりそうです。それを、50枚の金メダルを獲得した後だけで言えるセリフではないと望んでいます。
ps:この日記が一度誤操作で消去したことがあり、最初に書きたかった内容に少し離れてしまい、仕方がありません。そして、その暫くの間、もう一枚が増えましたOrzロンドンは金メダル保衛戦にならないようにお祈りします。 18/08/2008 アキレスさん劉翔くんはアキレスのケがのため、110メートル障害の予選を退出しなければなりませんでした。 その瞬間、「鳥の巣」の叫び声が生中継を通して世界を驚かせました。 中国代表団のなかで一番期待される選手ですね。 それは金メダルが100%獲得できる意味ではなくて、一番「全国人民の」ほしい金メダルと考えられます。 しかし、残念な結果です。ナイケル、コカコーラを始め、決勝試合のチケットを買った人たちはもっとも悔しいでしょう。 私も、とても残念に思います。でも、金メダルのためではなくて、劉翔くんのためです。 この感じは、せっかく大学四年間一生懸命勉強しましたのに、卒業論文が書けなくて、ということの残酷さに似ています。 1988年ソウル五輪の時、その前のロス五輪で金メダル3枚を獲得した李寧さん(聖火をつけた人)は銅メダルしか取りませんでしたから、帰国の飛行機が着陸した後で地面に降りる勇気が出ないほど「全国人民」から圧力を受けたそうです。 果たしてそれは「全国人民」の思いだったのかはよく分かりませんが、もう20年後の今日になって、すこし違うようになるのかしらと、正直に言えば、心配をしました。劉翔くんが勝てるかと考える時よりも緊張しました。 そして、その時、誰かさんが「オレなら許してあげるぞ」とネットに書きました。したら、もっとたくさんの人に「劉翔くんは何も悪くないよ、許すという言い方は不適切だよ」と反論されました。 午後の記者会では、コーチと陸上チームの指導者との発言は、ずっと「選手」と「国民」と挟まれて進んだようです。コーチとして弟子を庇おうとする気持ちがはっきり見えますが、なぜか、言葉遣いはとても気使うようです。あんなにぺらぺらの英口語がそのような記者会で使われることは、夢でも見たことないでしょう。ちょっと可哀そうです。 ここ数年来、「ちょっとした大事件が起こったら」というような考えを抱いている人はきっと少なくないでしょう。だって全部望む通りに成功裏に終わったら、反省する人はいるわけもなくなりますから。たとえ深夜無人のバスが爆発としても…まさかテロリストはアキレス腱に進入した細菌だって… でも、これも、私たちに「オリンピック」、「ヒーロー」、「個人」、「国家」などについて反省させるきっかけになるでしょう。劉翔くんには失礼なんですが。 とにかく、早く快復するようにお祈りします。金メダルなんか、そんなにいらねえ。 お疲れ様でした。 15/08/2008 幸福感(2)两个人的房间 不一定是爱的厝顶
房间内的两个人 是不是有约定 可比爱若消失 留落来的是空的房间 可比空的等待 结论就是决心 若我 不敢对你有太多的依赖 若我 可能是你的某一段往事 这首《若我》收在亚亚的台语专辑里,想必知道的人并不多。然而,亚亚的每一张专辑里都有一两首角落歌曲会深深打动我。亚亚早年的歌的内容大多是一场恋爱的结束,或者是各分两地的等待,因此她也成为了(台湾)军中公主。也不知道台湾严格的服兵役模式扼杀了多少两小无猜。 在我还小的时候,虽然自己没有看过台湾言情,但感情观念100%受到的是台湾少女文学以及校园民谣的影响(现在当然是100%日剧影响),而且确实台湾乐坛编织出来的故事几乎每一个都能震撼大陆的(特别是大家心里的)排行榜。其中印象特别深刻的是999朵玫瑰,冬季到台北来看雨和心言手语,不知道和我年纪相仿的女生记得这几首歌的人是不是很多。
亚亚签约sony新力之后第一张专辑《真的还是假的》坚定地转型,但是却没有留下几首脍炙人口的歌,尽管今天回忆起来《爱情Stay》这首翻唱玉置浩二的歌非常缠绵,但是以亚亚的声音来配合玉置深沉的旋律还是显得吃力。整张专辑也仿佛落在严冬中,特别适合深夜和失恋——尽管能看见黑丝绒上闪烁的星星,甚至就要以为那是爱情的讯息,结果却只是亿万光年外早已化成的灰烬,用尽全力传来的最后一缕微光。所以,《心言手语》选择雨后的新绿来装饰封面让我觉得重新放松起来。苏格兰风笛,碧蓝大海,辽阔草原,竹叶潇潇掩映的小屋,梦中的咒语,一切都显得清新充满异域风情。每一首歌,我都那么喜爱,可惜如今已经无法用清脆的声音唱最后一首《放在心里面》了。对于自己是什么时候变声的,我几乎没有概念,只模模糊糊觉得似乎挺晚。
但其实,那段时间应该是亚亚事业比较不顺利的一段岁月吧。天杀的姚谦指出亚亚不具娱乐性,但却故意忽略了艺术性+人性一样可以博取人心这一点。《第二道彩虹》的歌声很美,但文字却那么干燥,仿佛失掉了什么目标。《天天天蓝》,《她沿着沙滩的边缘走》,《天堂》,一下子便与世隔绝了。之后的《恋人》,也是我喜欢的专辑,所有的照片都在北海道拍摄。9年之后我走过同一片向日葵田,仰望仿佛伸手可触的蓝天,于是懂得了为什么越是如画的风景越能衬托悲恋的无念。
在亚亚许多歌里都曾经出现的空白的明信片,正是从这里,寄向了台北。
不很清楚那究竟是怎样一个故事,只是觉得伤人最深的无非就是这种东西。很用心的感情,不被俗世所容,很用心的工作,不被俗世所容。
所以,台语专辑《爱到史艳文》就是在这样的背景下被作为亚亚暂别歌坛的休止符,纵然全世界都爱那阳春白雪,我依然不为所动,史艳文,似乎是台湾地方戏的名角之一。封套上粉红色的喜庆,庆得却是弟弟的婚礼。这样亚亚就消失在了台前。
一直到所谓一秒不早一秒不晚经度纬度都正正好Mr.Right突然出现。弹指十年间,这个世界横行的早已不再是凄婉小女人。看蔡幸娟一抹情歌中的哀婉嫁作人妇那清脆歌喉却丝毫不改,便可以预料人人都可以把幸福描绘成朴素平实。我始终相信对爱情认真一定有好处,而这一天也终于到来。不知道10年前那张空白明信片是否还保存在亚亚身边。
偶尔会对女人究竟有几次初恋而存疑,但这个问题本来就是不值得深究的。无论是曾经怎样的恋爱,对于今后的人生起什么样的作用由本人来决定。所以不管初恋如何如何,将来的幸福必然能超过那些蠢事。或许正是用心爱了,用力哭了,才会懂得珍惜自己也珍惜别人。等一个爱我的人,便可以获得漫天遍地。 14/08/2008 もう一枚のパスポート(附中文)それは何ですか?そうです、顔です!
実にむかつく話です。 はい、一から話しましょう。 昨日から日本のマスコミ(時事系)は「中国メディアは五輪開会式の「口パク」を一切報じず」などを見出しにして、おお騒いでいました。 しかし、その「一切報じず」はでっち上げです。8月11日のテレビ番組に二人ともインタービューを受けたそうです。たとえネットに掲載された記事の一部が消されても、(紙面の)新聞やテレビの報道は報道じゃないですか。 ウソばっかり。 でも、ウソと言えば、先に嘘をついたのは北京五輪当局に間違いないです。春節聯歓晩会という大晦日番組では、口パクが当たり前のように使われます。多くの場合は、事前に歌を録音して、中継の時はその録音と画面とを一緒に全国に流すことです。ですから、今回、開会式の翌日、「口パクだった」と聞いたら、またあれだなと思うだけで、まさか別人の声だと思いませんでした。結局、口パクもいろんなレベルがあると教われました。はい、負けました。 ほんとにウソばっかり。 ところが、個人としては、別にそれもそれで仕方ないと感じて、笑って、忘れようとする時、もう一つのウソを見つけました。 そうです!毎日新聞のこの見出し、「容姿でふるいに非難続出」の中の「容姿」のことです。 バドミントンの試合の時、うちの大学は日本選手が可愛いから応援しようと主張した人と、選手は顔で評判するもんじゃないと反論する人と激しく論争したそうです。確かに、中国女子選手は、髪をとにかく短くして、服装をとにかく地味なスポーツ系にした人が多いです、特に柔道や重量挙げなど女性は女らしいと思われません。それは、今までの教育では「人間はこころの美しさは一番」と子供に教えてきたのですから。しかし、ほら、歌手としては、声が一番大切だろうにもかかわらず、やっぱり顔ですよ、顔でしか選ばれませんでした。 そうだ。ウソばっかり。この世のもう一枚のパスポートは顔ではないでしょうか。もはや本来のパスポートよりも有効ですし。ウソばっかり。 … … 今回の事件は大体以上のようです。どうでしょう。 あんなに感動した後、突然に「実は違います」と教えられて、どう思いますか?私の感想を言いますと、その時の感動はそのままこころに刻まれていて、全然変わりませんが、そのやり方(人ではなく)が嫌いです。それは本当の花火が撮れないですからCG動画の花火を流すこととまた性質が違うと思います。 まあ、そのうち、多分「舞台に出たのは中共指導者の孫だ」というような「真相」も出てくるでしょう。その時また、顔が可愛いなら選ばれるよというのもウソになってしまいます。 私たちはいったい何のために歯を矯正して、髪を染めて、整容手術を受けるのですか ――と自分の子供にはこう聞かれたくありません。 残念です。現在の中国では、八重歯であってはいけません。一重瞼ならどうぞ切ってください。というようないろんな変な考え方をうちの母も持っています。将来、時代が変わると、それらの観念はすべてウソになるかもしれません。 というより、早くウソになってほしいです。 简言之,假唱我不介意,双簧就是你不对了,双簧不写两个表演者的名字是无耻的行为。
如果说不得不双簧,那也是没有办法的事情,但是什么都只根据脸来判断实在太原始了。
要说人类到底还是败给爱美之心,好像也是事实,但是欺负我们换牙的小朋友实在是顶顶可恶。
以上。 09/08/2008 聖火をつけた人々(その他)許海峰さん、初めてオリンピック金メダルをとった選手、私と同じ安徽出身。
李小双さん、双子のお兄さんと二人とも体操選手、中学校時代の公認イケメン選手、歌も上手 高敏さん、飛び込みの女皇様、私には初めてのオリンピックに関する記憶です。1988年の夏、黒白のテレビの前に、一生懸命彼女に応援しました。 . . . そして最後は李寧さん。点火式はともかく、AddidasとNikeとは怒るかもしれません… 素晴らしかった、開会式は さすがに張芸謀さん もともと期待していなかった私も完全に、感動しました。 一番気にいたのは、足跡の花火です! なんか、「今すぐ北京に行きたい~」と思うようになったほどです。 今回のオリンピックは、生中継は各国国境以内に限定されるので、日本にいると中国のネットメディアは使えないです。ですから、NHKでしかみられません。中国チームの試合は一部は残念で見られません。でも、日本にいるのはまだましかもしれません。オーストラリアにいる友人によると、向こうのアナウンサは殆どの時間は沈黙だったそうです。でもNHKは谷村さんを誘って、CCTVよりも良いかもしれない解説をしました。さすがに一衣帯水。でも最後の通訳は中国語より早すぎました。別にいいですが^^ 顧みると、1990年アジア大会の後から、今日の開会式はもう考えられ始めたと言えるでしょうか。勿論こんな具体的な形ではありませんが。例えばたくさんの人により、一つの巨大な図案になるという発想。 一つのワールド一つのドリーム。「地球に優しい」ということもこの夢の一部分でしょう。今日のニュースによると、最後の李寧さんを推進する動力は人力だそうです。(ほかのところで使われるエネルギーも知りたいですけど) 今日まで、どのぐらいの数の人々は貢献しているのでしょう。 缶は「カン」ではない
五輪開会式NHKの解説はCCTVのよりも画面に合っていると思いますが
一つだけ、気になるところがありました 「缶」という古代の楽器がありました。その字の読み方は「かん」ではなくて、「ほとぎ」だと思います。(Goo辞書には楽器の意味はありませんが、形についての説明はあっています) それは日本語の「缶」はCanの当て字「罐」と同じで、中国語の「缶」ではないですから。「罐」の中国語読みはGuan4で、「缶」はFou3です。音読みフのほうがもっと近いでしょう。 古代の楽器というより、もともと容器の一種ですから、それはほとぎですね。(勿論缶「かん」も容器ですけど^^)実は昨日の太鼓の形でもありませんけど、花瓶みたいかもしれません。 小学校の国語に、「藺相如が秦王に缶を叩かせた」の物語がありました。その戦国時代の楽器ですね。 07/08/2008 靖国このドキュメンタリーは今札幌で公開されているのです。
以下は(不真面目な)感想です。 混乱。 寝てしまいました。 さて、もう少し詳しく書きます。 まずこれは映画だと言いたくありません。光線は暗すぎ、画面は揺れすぎ、撮っていた人の目線はどのぐらいの高さだったのかとずっと考えていました。最初の30分は、とにかくさまざまなパフォーマンスが映されていますが、フォーカスが合わないかもしれないから、とても見辛かったです。 そして、分かりにくさ。春に話題になった頃、マスコミはこの映画の客観性を褒めるためによく「実際この映画に解説や文字などはあまり入っていない」と強調したことを覚えています。しかし、一回観るとすぐ分かりましたが、それは客観性の保持というより…まったく分からないですよ。 始まりのところ、靖国刀は今でも神社境内で作られているという説明がありました。しかし、映画の中の職人さんは(マスコミによって)神社の中にいる人ではありません。この人は誰か、お年はいくつか、どこに住んでいるか、いつから刀を作り始め、中断されたことないか、父も刀の職人か、地元に刀製造業は発達か、今日本中このような職人は何人?家族はどう思う?恐らくそのお爺さんの知人に徴兵された人もいたはずだろう…といろいろ問題が出てきます。しかし、一つも答えられませんでした。 続いて、パフォーマンスの単調さ。靖国で行われるパフォーマンスというと、大体そういうもんだろうと思います。しかし、それは毎日毎日行われるわけではありません。単にそれだけを撮ると、靖国神社の素顔が描くことはできません。監督は一体ナニをダレに見せたかったかは分かりませんが、多分なんとなく知っている人にも、まったく知識を持っていない人にも満足をもらえないでしょう。中国人の観衆だったら、じゃなぜ私の日本人の友人、そんなに優しい女性も靖国に行ったのかと質問する可能性もあります。このような質問に対しては、平日澄みやかな青空の下に靜な境内のシーンは不可欠だと思います。実は、絵馬に明らかに中国人や韓国人が書いたお祈りも見られるし、じゃなぜ彼たちは平気にそこまで進んでいったのですか?「中国に戻れ」とは言われずに。 この意味で、この映画はやはり一極的に偏っています。左か右かははっきりと言っていませんが、表に偏っています(裏はどう?)。 勿論、個人としては興味津々に観た部分もあります。 台湾から来た原住民の女性が神社の職員に詰問しているシーンです。最初はこのグループはどんな人かは(服の文字が見えないから)全然分からなかったですが、やっと中国語が流されました。彼女の気持ちはすごく伝えられると思います。ちなみに、現場の同時通訳の言葉遣いは彼女よりずっとずっと乱暴です(むしろもう通訳じゃねえよ)。 お寺の住持さんのお話です。多分、これは一番の見所だと思います。でも、また下手な撮り方に負けました。大体撮影の人は、自分の関心だけを撮っていたでしょう。映画に何枚の賞状が出てきますが、すべての書面はカメラにカットされてしまいました。ゼミでK○先生がこの史料の省略された部分が見たいと言った時の気持ちは分かりました!500万画素のデジカメでも良く撮れるはずなのに... もう一つは集会を「妨害」した日本人青年に「中国に戻れ」と繰り返して怒鳴した中年男。事実に即って記録するのは勿論良い事ですが、長すぎではないかと感じられます。正直に、最後はその青年の「日本人です」だけが聞きたかったですが、その辺の音声は曖昧ですし、編集のアンバランスでもありますか。まあ、もしそれはドキュメンタリーのあり方だと言われれば、私は言葉を返しません。 そして、例えこの映画は中国で上映されるとしたら、カメラがいきなり遊就館に移っても説明がついていないことはけしからんと思います。しかも、遊就館に展示されるのは、実物だけではなくて、文字もありますよ。漢字いっぱいあるから日本語が分からなくても、親しいと思わない中国人はいるわけはないと思います。そういう言葉遣いは、ただ戦争の結果と立場が変われば、まったく違う雰囲気違う効果になりますよ。靖国の「戦前と変わらない」という特徴は、ある意味で歴史教育にいい教科書を提供しているのではないでしょうか。しかし、出来上がった映画によっては、「靖国=刀=戦争=昔から変わらない」の繋がりは一番強く印象に残されています。靖国の今にとってのもっと豊な意味は見られません。大体パフォーマンス自体も過去より今の何かを目的として起こされたほうが多いと思いますが… 多分監督は糸として職人さんのことを使おうとしたでしょうが、私ならそれを一番最初に全部使っちゃいます。なんとなく、靖国をめぐって展開されるパフォーマンスはその原初をだんだん離れてしまって、人々もそれを忘れてしまったような気がします。確かに刀は刀ですが、しかし、「靖国」という名称は、国に命を捧げる意味ではないでしょうか。その時代の人にとっては、その表現形式は戦争に赴くのですが、今ならきっと変わったでしょう。(今の教育は駄目と言った年寄りによって、彼の持つ靖国観は人殺すことと関係ないですね) 最後、最後の10分ぐらいは完全なゴミタイムです。全体1時間に短縮して欲しいです。えーと、中国人の映画は張芸謀以外全部駄目と思う私ですから。 以上、いろいろ文句を言いました。でももし時間が昨日に戻れば、やはり見に行きたくなります。1800円なら絶対損の気持ちになりますけど、私は1000円で観ましたから...かな? PS:EDの字幕に文化庁助成と書いてありましたっけ?見付かりませんでした。 05/08/2008 研究の経済学珍しくマイティーチャーに「徴用」され、書庫でちょっと労働しました。主役は中国の北から来た二人の研究者です。久々国内の情報が聞こえて面白かったです。えーと、ここの「面白い」の意味は間違えたかもしれません… その先生たち(二人とも若い女性^^)から聞いた(私が一方的に盗聴)話ですが、研究テーマの選定にも経済学の鉄則が適用されています。つまり、一本の論文が書かれると、それが読みたいという人がいなければ、失敗です。でも、読む人がいないのは、現状です。その原因で、経費の申請も難しいです。国の経済に何かをもたらすことができなければ、国からお金をもらうわけ断然ないでしょう。 うん、それはずっと前から聞いていた話ですが、今日は違う場所で同じ言葉を聞いて、気持ちが複雑になります~ 勿論自分の今のテーマは、経済効用がゼロに近いです。でも、今、ここでこれができるのは、きっとそれなりの意味があります。「日本史だけどしたことは日本国内ではない」先輩の一人は、今になってようやくできる課題だよと励ましてくれました。えーと、今日もちょっと思いましたけど、もしかしたら今しかできないことかもしれません。経済にはどうかが言えませんが、自分の「人生探し」の一つの試し(遊び)になれば、良いと思います。 えーと、学生でいいですね。 |
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