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31/08/2007 騒音の地獄ー霜星寮121毎日4時にカラス、5時に車、6時にボイラー機、7時にキッチン、8時にロビーのクリーナー、9時にドアが掃除ばあちゃんにぶつけられ。。。いつも忙しいところでしつこいやつに邪魔されて、ぜんぜん徹夜できない。しかも徹夜してテレビ見る人がいる。これからの人よ、死んでも121号室に住まないよ!!! 30/08/2007 台湾是中国的一部分強烈反対両個中国或一中一台論。 之所以突然变得这么原则了,是因为我大学的师兄王翔突然带了两个台湾学生和一个韩国学生一起跑来了北海道,我和徐行gg跟他们一起吃饭,然后严重被刺激到了。台湾学生很可爱,韩国学生也不讨厌,但是大家互相介绍的时候,很自然的,就会出现这样的局面:(熟悉我的朋友都知道的)我去过韩国,我没有去过台湾。——我没有去过中国。——我也没有去过中国。这话从漂亮的台湾女生口中一落地,我就浑身不自在。试想你对一个朋友说你没有去过新疆,他会回答你说他没有去过中国么?所以东突势力无论如何也不及台独势力猖狂,而且怎么说呢,连跟我们差不多同龄的台湾青年都这么自然地认为台湾是一个国家了,那台独是从哪年开始的? 在国内的时候其实没有认真思考过台独的问题,一向很单纯地把它归结为是政治经济问题,现在也没有认真思考过,但是日本人对台独的看法如何呢?100%的日本人都不觉得台湾是中国的一部分,区别只是他们会不会在我们面前特意说出来,这让我们非常汗。记得三年级的时候青山gg说了“中国和台湾”这样的话,立刻被大家开玩笑地批判,原因在于按照中文语法,不同类型不同级别的词语是不能用“和”这个并列关联词来连结的。台湾是中国的一个省,和北京、上海、香港、澳门、安徽、江苏、新疆、西藏一样是省级行政区,(实际上,说中国和北京还凑和,说中国和上海会被人骂你上海人了不起啊居然看不起外地人,说中国和香港,因为现在港澳很乖顺,所以也不成大问题,说中国和西藏,听者会提高警惕看你跟达赖有没有关系,说中国和江苏会被人想你神经是不是有问题,说中国和安徽……估计没人理你。不过这些根本都是不可能的嘛),许多外企因为用了缺少台湾省的地图被大陆人民口诛笔伐,想当年我也有过“率团愤然离席”这种壮举(其实只是想走了,回来以后给自己的行为顺便找个借口,不是前几天别人提醒我早忘了,根本没想到啥民族气节过)。当年青山gg问大家台湾和我们一样吗?大家说当然不一样,但是反正香港澳门那么多行政区都不一样,干嘛就不能再多一种可能。敢情日本死活不肯承认自己是多民族国家难道是怕分裂不成(北海道冲绳独立吧我支持)。可是中国的政治传统是民族融合,不管历史书把多少民族的倔强和自尊给和谐掉了,现在的我们是抱着“民族融合”史观长大的。 所以为什么有一个民族就一定要有一个国家呢?作为台湾这个地区的局外人,我想不出台湾独立能有什么非常大的好处,也想不出台湾被招安能有什么非常大的好处。不过也许再不到百年就突然共产主义社会了国家这种暴力机构消失了,大家对于政治国家民族的观念统统被重新洗牌。wow,我看台还独什么独。 28/08/2007 行程预告偶将于北京时间9月5日下午4点抵达上海浦东国际机场
有谁要bg偶的啦请尽快留言,BBS投条,hotmail邮件给偶,千万不要用QQ和MSN
偶将视情况(退学手续啦,火车票能不能买得到啦等等)分配在各地的逗留时间
麻烦大家该攒钱的攒钱,该请假的请假
届时将使用中国移动梦网与大家进行SMS联系,号码不变
ps偶没有变瘦也没有变好看更加没有变的懂礼貌
psps此次日程紧促,北京可能去不了了,还望北京的各位xdjm海涵,争取明年从北京转机(but到时候机票肯定更贵T_T) 18/08/2007 青春18青春18是一種新奇的東西。隔壁的一群人函館両天一夜狂喫海鮮一万円不到据説還去了小樽散歩。。。hmmm還好没被遇到(ノ_-;) 我要網絡我要省銭我要去函館我要去長崎我要去死(>_<) 16/08/2007 纪录片はじめに
日本における日中戦争史の研究といえば、山西という中国の地名がよく耳にする。あそこには中国の高校歴史教科書にも書いていない事実があった。これは近年よく問題視される[①]元日本軍の残留部隊が旧軍閥であった国民党軍の閻錫山部隊に協力して中国内戦にも参加したという不思議に思われるが、史実である。
終戦からもう60年も経て、戦争についての記憶も、戦争に対する認識もだんだん変わってきたのだろう。戦時体験を持っている人、あるいは直接に戦争と関っている人は年をとって、この世を去ったのも少なくない。当時を語られる方が少なくなる一方、「極密」資料の公開や、国際関係と外交戦略の変動に従い、かつて隠された事実が浮き上がってくる傾向も見落とさなければならない。この流れの中で、2006年7月から、山西残留問題を取り扱うドキュメンタリー映画『蟻の兵隊』(池谷薫監督、蓮ユニバース製作)は日本国内で公開されている。
また、同じ山西省で起こった旧日本軍性暴力被害者たちを主人公とするドキュメンタリー映画『蓋山西(ガイサンシー)とその姉妹たち』(班忠義監督、シグロ製作)も2007年4月末に札幌で上映されたので、監督班忠義は日本に20年間ぐらい留学・仕事をしている中国人である。同じ60数年前に、同じ山西省であった歴史を、今日本にいる人々(日本人と中国人)はどう見るのだろうか。当事者たちはそれから異なる国土に住んで、異なるイデオロギーの下におかれたので、それをどう語るのだろうか。本文はこういう問題を持って、ドキュメンタリー映画がこの題材を取り扱う時の特徴も踏みながら、二つの作品を比較してみようとする。
1.悲劇――裏切られたばかりの者
二つの映画の主人公は同じ戦争そのものの犠牲品に違いない。それに、同世代のほかの戦争体験者より、もっと辛い人生を味わわせられたのである。
兵隊さんとしても、普通戦争が終ったら国に引き揚げられるはずなのに、『蟻の兵隊』の主人公、奥村和一はその後、国民党軍にも参加させられたり、共産党軍の俘虜になり、働かせられたりしたので、三つの軍隊を体験した。しかし、本人たちにとっては軍の命令によって残留されたが、日本国政府はそれを認めないので、昭和21年3月まだ中国にいるうちにもう「現地除隊」になった。このわけで、他の元兵隊のように、軍人恩給ももらえず、復員後の就職も上手くいかず、周りの人に「裏切り者」と見られた本当は裏切られた者である。日本政府に対する不信感の中で、自分がその時、この国のために[②]何の罪を作ったのか、自分が人間としてどう生きてきたのか、と常に自問していたわけであった。
それと反して、「ガイサンシー」(山西一の美人)たちは元日本軍による性暴力の被害者であることは疑う余地がない。戦後、中国国民政府も中華人民共和国政府も日本政府に対する戦争賠償権を一切放棄したので、彼女たちは当然日本政府から賠償金をもらうわけはない。一人の人間の権利を政府がとって捨てたのは、そもそも適切とは言えない。故に近年、韓国も中国も民間人によって賠償請求の声が高まっている。しかし、日本国内における「慰安婦あるいは従軍慰安婦は存在しない」「売春だった」とかなど反発の論理も強く、裁判も勿論全部請求棄却となって、さらに歴史学者の立場から彼女たちの「証言」を信じできないウソ同然だと書かれた本[③]もいっぱい出てきた。この情況に対しては、裁判で彼女たちと知り合った班忠義は9年間続いて彼女たちのことを記録して、「慰安婦」になった真相(漢奸の裏切りと元日本軍の強要)、と「慰安婦」であった真相(お互いに庇って、助け合い、姉妹となった)を探り続いた。
要するに、二つの映画主人公は、戦争当時におけてはみな他人の捨てコマとされ、一度肉体と精神のレベルで裏切られた。しかし、戦後もまた政府・国家に裏切られ、損害を蒙った[④]。そして、今や恐らく他の人間に忘れられて、人間性のレベルでもう一度裏切られるかもしれない。忘れられないために、誤解されないように、事実を、人間性の強さと弱さを後代に伝えるべきと思う。
2.ギャップ1――加害者と被害者
同じ裏切られた人間と言えても、二つの映画主人公は極めて反対する場に立っている。蓋山西たちにとっては、奥村さんたちこそ自分に被害を与えた加害者である。しかし、これはただ私たち局外者の断言にすぎない。本人たちには「真実」はもっと複雑な意味を持っているのだろう。
奥村さんは自分の残留の真相を探るために、2005年5月中国山西へ出発した。そこで資料を調べたり、地元の人と話し合ったりしていた。地元のテレビ局のインタービューも受けた。女性アナウンサーは「人を殺したことがある?何人ぐらい?」と質問してばかりいた。奥村さんは顔が変わった。答えたかどうか、映画に見られなかった。このシーンも意味深いと思う。実は、奥村さんは山西に着た後、わざわざ初年兵訓練を受けた処刑場にも行った。初めて人を殺した場所に行ってみたら、当時のことを思い出して心境を語ってくれた。人を殺したとは絶対本人の意志ではなかった。奥村さんが求め続いたのは人間は何のために悪魔に変わった、何のために人間失格となったのかと考えられる。昔兵隊になって人を殺したのは強制されたので、その後「残留された」事実が認められないのも以下の原因からである。終戦後、武装を解除しなくて中国で戦ったのはポツダム宣言など終戦条約違反を意味する。こう考えると、奥村さんたちの人間失格は完全に国の都合によって勝手にされたと言えるだろう。
しかし、一般の中国民衆はそこまで戦争を認識しようはなさそうと思う。皆国のために一生懸命戦ったからこそ、今の自由と幸福を得たわけである。マスコミ(映画のテレビ局など)の宣伝も日本側の戦争責任承認に拘って、戦争そのものを深くまで考えることは研究者しかいない。むしろもう一方の当事者のほうはより多くを考えた。
一つ非常に面白いところがある。同じ山西の出来事だから、奥村さんと蓋山西ら「姉妹たち」の劉面煥さんや万愛花さんと裁判支援などのきっかけで知り合いとなった。『蟻の兵隊』映画の中、奥村さんは山西羊泉村で劉面煥さんと対談したシーンもある。かつての加害者と被害者(直接な関係ではないが)は、60年経った今日、共同な記憶を持ちながら、意外に一種の理解が達成しできたそうに見える。
3.ギャップ2――ジェネレーションとジェンダー
『蓋山西とその姉妹たち』は本来、「蓋山西」侯冬娥を主人公として作ろうとされたが、侯さんは1994年もう亡くなったので、結局本人を語らせるのは不可能になった。映画は侯さんのことを全部他の人が語ってくれた。この「他の人」は同じ元日本軍性暴力被害者 の女性、当時のことを知る子供世代にあたる男性、女性たちの家族などいろいろいる。
ドキュメンタリー映画のいいところは「映す」ことと思っている。活字で表せない人の顔が見えるから。同じセリフを言おうとしても、泣きながら話すのと笑いながら話すのと、見る(聞く)人に違うイメージを与えるのだろう。
『蟻の兵隊』の最初のシーン。靖国神社前、奥村さんは女子高生みたいな子にあんたたちなぜここに来たのかと尋ねた。女の子たちは焼きそばを食べながら茫然な微笑みながらも、答えなかった。これを見ると、やはり若者が靖国を散歩の場所しか思わないことが分かった。
『蓋山西とその姉妹たち』の中でもそれと似ているシーンがあった。母の世代と言える蓋山西たちのことを述べている地元の男の人はずっとみょうな笑顔をして、女性の体とか悲惨な病気とかに関する言葉をとんとん口から出てきた。同じ中国人として、なんとなく不気味だと、不思議だと思っている。
逆に同じ女性被害者同士、いわゆる「姉妹たち」が語る時、強調するところはまた変わっていく。体の状態、病気ではなく、ヤオドン(地元の洞穴式住居、元日本軍に占拠されてレープする場所として使った)の中で、侯さんはどうやって自分より幼い少女を庇って、皆それを感謝して生まれ姉妹でなくても姉妹同然と心を結んだことを訴えている。
本だけを読む時、作者は慰安婦といわれた女性など戦争被害者に対する感情は殆ど同情、尊敬で、戦争には憤怒、憎しみに決まっているが(例えば中国で出版された陳慶港『血と痛み:26人の慰安婦の告発』のドキュメンタリー)、ドキュメンタリー映画だからこそ、以上のことと、自分の父を殺した「日本鬼子」と対面しても淡々と話せる人のことが見られる。文字に隠された感情はレンズを通して一気に釈放されて、人間の寛容も感じるが、上の二つの例のような、悲しいこともある。
戦争は遥かな過去のことである。女性は一人の人間ではない。おおよそ、その人はそんな目にもあったとか、うわさっぽい話をあっちこっちしゃべられたら、その人が人間としての重さ、尊厳は感じなくなる。監督はわざわざこれをこのまま残したのは、どういう目的を持つのだろうか。
靖国神社とは、近年日本の東アジア国際関係における大きな問題点であろう。あそこに対する認識は勿論戦争認識に強く関っている。国のために戦ってもいいのか、政治に聞かないと平和が守られるのか、これは国際問題だけではなくて、日本国内で普通に暮らしても考えなければならない問題と、映画は強く観衆に求めている。
また、山西の女性たちは皆白い手ぬぐいを頭にかぶっている。これは回族というイスラム教の少数民族の習慣ではないかと今思っている。イスラム教であれば、女性にはセックスの面はほかよりもっと厳しいから。そもそも山西のような内陸地方では、貞操を失ったとか、レープされたとか、今でもけっして笑えることではない。しかも日本兵と。恐らくこちら辺には監督が言いたい話はまだまだあるだろうと考えている。
4.「話す」の意味――語った人と語らなかった人
そもそもドキュメンタリー映画の効果を考えた時、ドキュメンタリーの特徴である「ありのまま」と映画の特徴である「編集」と上手く結ぶことができるかと疑われる。カメラの前に行動したり話したりする時、カメラの存在を意識しているのか、このカメラの存在がどんな影響を与えるのかは考えなければならない。また、研究書と異なって、個人を主役とするので、その言葉の確実性は定量的な分析ができない。
しかし、世の中で「生きる証拠」の言葉に対して反発が高まる一方、事件の当事者たち実際そんなに話したいわけでもない。人間としての尊厳、家族や周囲の人とか、いろいろ配慮を持つからである。奥村さんも家で妻にもあまり話さなかった。一方、「蓋山西」の姉妹たちもずっと話さなかった。真夜中突然に叫びだし、目覚めた時、ただ子供に「悪夢をみたのよ」と淡々と答えた。
劉面煥さんの場合もずっと他人に話しなかったが、1990年代にはいって、性暴力被害者の聞き取りをしていた小学校の先生に説得されて「自分の過去はどうであったか」ということを始めて告白したのである。この点については、奥村さんの話も裏付けられた。奥村さんは山西から帰ってきたら、始めて妻に自分の過去を語った。そして、やはり言ったのはよかったと感じた。それまで世の中で理解を得なかったのに、一番身近い人が理解してくれたから、二人とも「積極的になった」のだから。(以上の叙述は『私は「蟻の兵隊」だった―中国に残された日本兵』奥村和一、酒井誠、岩波書店、2006年、166-178頁により)。
特に、戦争当時は加害者と被害者であったから、決して向こうの情況を知るわけはなかったが、今奥村さんも「蓋山西」の姉妹たちも始めて向こうの人々の情況と心境が分かった。共通な戦争記憶を基礎として、共通な戦争認識が可能になり、これを将来の世代に語り続いていくのだろう。
おわりに
『蓋山西とその姉妹たち』の公式サイトには、こういうような班忠義の言葉が書いてある。
「戦争体験を伝えること、国を越えてそれを共有することは戦後60年も過ぎて難しいことだ。しかしだからこそニ度と悲惨な戦争を繰り返さないために想像力を持ってお互いに歴史に向き合う、平和を守ろうとする人達とその共同作業を一緒にしていくのが20年近く日中を行き来してきた私に出来る事だと思っている」(http://www.cine.co.jp/gaishanxi/index.html)。
しかし、100パーセントの共通歴史認識は到底あり得ないと思っている。映画を通してもう十分見えた。ほかの元日本軍兵士は「慰安婦はなかった、それは売春だった」とお金を女性たちに手渡したと強調したが、山西省の場合は家族の人は土地を売って身代わり金を払ったら、娘を家に運んできた。ただ、これからの可能性はどうなるだろうか。
戦後60年代に入った。イデオロギーが薄くなってきたかどうか、なっていくかどうか分からないが、世の流れは人間として過去の真相を知る権利があるとされている。なぜならば、過去の上で今の自分が生きているのである。そして国際文化交流の盛んで、日中間、及び他の国家地域との間にも、人的交流が文学や映画の交流を促進する。日本人が外から中国を見て中国題材を取り扱うのも、日本にいる中国人が国を離れて外から中国を見るのも、極めて重要な意味を持っている。班忠義監督はこれから中国においても上映したがるそうなので、中国人にとっては、遠くからの視角は面白いだろう。賛成するか反発するか関らず、まず二つの国における共通な「知」を形成させるべきだと思っている。
[①] この問題を言及する出版物には、回顧録のほかに、波多野澄雄・戸部良一編『日中戦争の軍事的展開』などの研究書や論文がある。また、中国で出版された『河本大作与日軍山西「残留」』(中華書局、1995)という史料集もある。
[②] 奥村さんの場合は最初から日本が戦争を勝つことを信じなく、自分は死ぬために軍隊に入ったのだと言ったが、他の人は恐らくそう限らないと思われる。また、山西残留はやはり「天皇のため」だから、自分の本心ではなくても、国家のためという大義名分であった。なのに、結局それもまったく反対するように認識された。国家というものに対する虚無感と、かつて人殺しをした自分に対する詰問と交ぜ織り、奥村さんは人間そのものを見直してきた。
[③] 同じ侯冬娥、万愛花たちのことは秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(新潮選書、1999年6月)にも書いてある。秦氏は「いずれも生年月日すらはっきりせず漠然とした証言」だと過酷な評価を与えた。(同書198頁)
[④] 性暴力被害者の女性たちについては、責任は日本側のみではなく、中国政府側にもあると考えられる。前掲秦氏の研究によっては、1995年裁判当時、中国への調査が極めて困難であったのは、恐らく賠償放棄の国の体制を超えたので、タブーと視されるだろうか、と。しかし、1995年は戦後50周年に当たり、中国中央テレビは慰安婦問題も含む沢山のドキュメンタリーを放送した。この辺は、日中、また日韓間に横たえるズレである。 |
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