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27/07/2008 [转载]Li Lei 和 Jim Green的故事(做人要厚道,转载要全套)继上次Han Meimei的故事之后。。。。
22/07/2008 あの夏、いちばん靜かな海 一ヶ月前ある日、アメリカの友人から不意なメッセージが届きました。
――水原の夏、あなた、覚えていますか
覚えていますか。2005年の夏でした。
卒業式の翌朝、Lサイズのスーツケースを引いて初めて浦東空港国際出発ラインを越えました。
スーツケースの中に入っているのは、インスタントラーメンでした。
金持ち向けとよく言われる大学間国際交流の一環になったサマースクールに向かう貧乏学生の私。
大学の専門は理系とまったく関係なし、というより、実は韓国なんか大嫌いの私。
ただ一人ぽちの夏休みが怖かったから、どっかへ逃げようと思って申し込みをしました。
同行する人には、朝鮮族の子もいるので6週間ずっと彼女に頼りました。
覚えていますか。初めて登ったキャンパスの山。
荷物を学生寮まで運ぶのは大変でした。しかもそれから毎日何回もあの山を登ったり降りたりしました。
授業は言うまでもなく、寮には熱湯がないので、シャワーもキャンパス外のジムまでいかなくてはなりません。
そこで、ただで水泳もできます。
毎日微笑んでいる受付嬢。
筋肉を鍛えるためクロールとバターフライだけで必死に泳いでいる韓国人。
殆ど毎日英語で声かけてくれた男。
最後の日にアイスヨーグルトをご馳走してくれた中国人のお姉さんとお兄さん。
そして、一階のFamilyMartでサンドビスケットを買って戻ります。
覚えていますか。街中に満々と掲げられる太極旗。
そして、旗に咲いている顔が大きなむくげの花。
私は文化ショックを感じた時は滅多になかったのですが、韓国だから当たり前と思ったことが多かったのです。
朝6時に工事をしに勝手に寝室に侵入した作業員。
肩を抱いて店に誘おうとした声が大きなおばさん。
あなたのデジカメはだめと言って、綺麗にとれらた写真をくれたホットドッグ店のおじさん。
「卵の花」がいっぱい咲いている水原華城を観光する途中で出会った散歩される可愛いワンちゃん。
郊外のタミナールで迷い子になった私に中国語で「小姐、請上車(バスにどうぞ、お嬢さん)」と言って大学まで送ってくれたバス運転手さん。
ちなみに、川端康成が「ありがとう」で書いた運転手さんの敬礼を国境の田舎で見えました。
覚えていますか。河回で作った紙の仮面と手鏡、そして一枚の白紙。
そして、毎週の韓国文化体験タイムのこともありました。
想像力に乏しい私は、キラキラ陶器を作れるあなたたちが羨ましいです。
アリランの歌を全部覚えてきたあなたたちが羨ましいです。
でも私も太鼓をよく敲きました。
跆拳道(テコンド)がよくできました。
その時、アメリカで黒帯まで取れたあなたと友達になりました。
年下だけどおとなしいあなたが、板門店のあの「統一」という彫刻の写真を撮っている私の後ろ姿を何枚も撮りました。
あなただけではなく、日本語専攻の弟みたいな彼たちとも一緒にお昼を食べて、韓国語を勉強しました。
覚えていますか。図書館の前に植物の香が匂っていること。
毎日午後視聴室で韓国ドラマと日本映画をみて過ごしました。
ティッシュを大量消耗させたあのドラマの名は「夏の香り」でした。
ばかばかしいストーリですが、ただ主人公の顔だけ見れば涙が溢れてきました。
新海誠の「星の声」も見えました。
「届かぬメールを待ち続けるのないように、心を硬く、冷たく、強くしよう」
この言葉にも、また涙を掬いました。
一万ウォンの国際電話カードが切れました。
覚えていますか。6月末のくせにまだまだ冷たくて堪えなかった慶州の海。
湿り気をたっぷり含んでいるから重さが感じられる塩味の空気。
あのピアノが上手の朝鮮族の子は知らないとこから知らない花を摘んできました。
彼女は靴を抜いて、砂浜に座り込みました。
17歳の夏に裸足で海水と砂が踏みたかった私は、この22歳の夏に初めて不可能という言葉が分かりました。
隣に彼女は花びらを切って、小さなテストをし始め、恋の運命を探していました。
「(彼が)愛してる、愛してない、愛してる、愛してない、愛してる…」
カモメが翔んでいる青空の下は、あの夏、いちばん静かな海でした。 18/07/2008 翻訳拒否はトイレットペーパーよりも軽かった(明天要早起暂时就不翻译了)
小泉孝太郎・大泉洋 1944年8月5日、オーストラリア・カウス捕虜収容所 1104人の大脱走 ~あの日、僕たちの命はトイレットペーパーよりも軽かった~ 戦陣訓を早く忘れて、精一杯生きていくことを願う大泉は、帝国軍人としてやはり死を望む小泉を助けて、代わりに自分が銃弾に撃たれた。しかし、帰国後、大泉のことをずっと敬愛して悔しかった小泉は、彼が妻に書いた手紙を持って、彼の実家に訪れた時、手紙を渡すことができなかった… 前半は楽しいけど当たり前の感じで、平凡に展開してきたこのSPは、終盤に入る前に、一つ予想以外のエピソードが現れてきました。 今回は、中国のネット上で活躍する字幕作りチームが1時03分と1時31分のセリフに対して、「翻訳拒否」をしましたから、友人にはぜひそのセリフの意味を教えてと頼まれました。きっと「軍国主義」の言葉だろうと思いましたが、実際観たら、そんなにたいしたものではない感じでした。 脱走する前に、大泉がした脱出した後は何かとの質問に対して、班長は「靖国で会おう」と答えたこの言葉と、オーストラリア軍の銃弾に撃たれて死ぬ直前ある人が叫んだ「大日本帝国万歳」と二つのところです。 それは別にこのドラマが主張する理念でもなくて、それを言った人物が持つ本音と必ずしも一致しているわけでもないですから、翻訳拒否をしたのは笑われるべきほどの大袈裟になってしまったのではないかと思っています。 ドラマでは、他にも「鬼畜米英」や「非国民」など、戦時の用語がいっぱい出てきました。日本人にとっては、それは常識かもしれませんが、一般中国人には、あまり親しい言葉ではないでしょう。私たちは日本兵のことを「日本鬼子」と、朝鮮戦争の頃に「美国(アメリカ)鬼子」、また外国人のことを「洋鬼子」と呼ぶことがあります。同じように、太平洋戦争中、日本も英米のことを「鬼」と思っていました。彼らが考えた敵は英米です。しかし、私たちはその戦争を中国と日本との戦争だと認識しています。分岐もあるし、同じような情緒もありました。これは知らなければいかんと思います。 今回の大日本帝国万歳と、映画「大日本帝国」の篠田三郎が死ぬ前に叫んだ「天皇陛下万歳」と、いずれも賛美と思いかねます。彼たちが生きたかった理由もお母さんですし、死に賛成した理由も村八分への恐怖です。どちらかというと、国家ではなくて、家族や郷土です。しかし国家に強制されたから、というところは悲しいことです。 また、靖国も靖国だけど、物語を語るための一つの言葉に過ぎないですから、歴史を述べる時もそうだし、現在の人の心情を考えて、皇帝の名前を忌避するように敏感な言葉を伏せることはなんだろうとしか考えられません。一言で言えば、翻訳拒否を通して、自分の愛国の心情また政治的立場を表明するのはあまりにも甘すぎると思います。 まあ、孝太郎「ちゃん」の演技は相変わらずあれだけど、最後まで(最後だけ?)観れば楽しめる作品です。 |
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