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31/03/2008 限界感私には、何か価値がありますか 人間としても、翻訳ロボットとしても、この世にとっては利用価値がありませんか 札幌に来た当初、将来についてあらゆる質問に対して、「日本語教師なりたい」と答えましたが、実に自分には必要な日本語能力も足りないし、年下(たとえ自分の学生としても)に苦手だし、T沢先生のように私についていけば問題ないという自信がありません。 また、小森先生親衛隊の女性たちに、「お国に帰ったら、日中の架け橋になりなさい」と要求され、意味が良く分かりません。要するに、日中の架け橋になるために、前提はまず中国に帰るべきというのです。そのOBAたちの観点は、ずっと日本にいれば、日本のすばらしさを中国人に伝えられないとのことです。しかし、よく考えれば、中国に帰ったら、日本についてのイメージは、ずっと帰国する時点に停滞するでしょう。学部時代の先生も、日本は上海よりよくはないと宣言しました。別に両方にも良いところも良くないところもあると思いますが、先生はいつも10年前の日本と来年の上海と比較するので、私には仕方がありません。 ですから、架け橋と言えば、私より飛行機 今までは、とりあえず翻訳もやりつつ、二つの国にいる友人と雑談して、少し情報を広げていましたが、私の言っていたことは、間違いがないかと毎日心配しています。知られるとおり、私は「嘘つきの者」で、「無責任」の発言が好みです。しかし、仕事の場合、どうしても責任は取るべきでしょう。せっかくのヤギ座ですので。正しい情報を向こうに伝えることは、まさに自分の使命だろうとも思っていました。 外国語を専門とする者にとっては、道具しか持たない寂しさもあるとよく言われますが、だからこそ、この道具を持って、人と人との間に橋を作れば、結びつけてくる人も、ことも、増えるようになるでしょう。 「文法しか練習できない」と言われた昔のアルバイト、本当にもう一度やりたいです。まさにその時初めて、「へ」と「に」との区別が理解できたのです。初めて、自分は価値がある人間だと分かりました。 しかし、そこにはもう、もう、戻れなくなりました。やっぱり、価値があるのは文法など技術的な抽象で、ゆるゆるという人間ではないでしょうか。 かつてそこまで愛したこと (ごめんなさい。もともとは今日の翻訳についての感想が書きたかったのですが、脱線しちゃいました。どうしよう。。。) 「限界感」と言ったのは、ある友人の推薦状(書いたのは教授、私は翻訳者)に、「成果を取得することを信じております」と書きました。日本史の先輩に見てもらうと、「取得」はだめ、「挙げる」と直したほうがいいと教わりました。6年前、「(空手の)帯を取得」と作文に書いて、先生に「取る」と直されたこともあります。「取得」はあまりにも漢語であり過ぎで、しかもこれだけではないでしょう。私として、「挙げる」とは相手に対する動作で、「取る」とは自分自身に対する動作で、方向性が違う二つの動詞だと理解しています。こう考えると、「成果」の場合は、他人に対する有用性が強調されると言えるでしょうか。このことは、今まで全然気づいていなかったです。(勿論私の勝手な考えすぎかもしれません、笑)でも、私のような、普段ひたすら言葉だけを重ね、気持ちを込めない日本語の使い方、本当に、もう、もう限界です!! もっと上達になりたいです。 たとえ15億人に踏まれる(橋の宿命 27/03/2008 「たそがれ清兵衛」『母べえ』を観ました。 吉永小百合さんに五体投地です~ 初めて観た彼女の作品は、あれ、伊豆の踊り子だっけ なんとこの月日の流れは、当たり前ですが、やはり驚きました。 彼女のお陰だろうか、ずっと友人に酷評された志田未来ちゃんの演技も ますます上達になりました。 妹役の佐藤未来ちゃんも、無邪気にとても可愛いです。 道具、町並みなどは時代の感覚はぴったり合います。 気になったのは「3丁目の夕日」は、光線がなぜか不自然な感じでしたから。 戦争はすべてを奪いました。 戦争に反抗する唯一の道は生き抜くことです。 (中国の)昔の戦争映画はほとんど「生は偉大死も光栄」というようなテーマが裏に押し付けられて、生き残るのはただ「幸運」だけと取り扱われ、人物の積極的に選択したものではないというふうに描かれたのですが、最近もだんだん変わってきました。 [90年代のドラマと言えば、生き抜く物語がありますが、当時はそう理解できなかったです。] 治安維持法、検閲、遥拝、徴兵忌避、赤紙、贅沢禁止、供出など 中国の一般人にとっては、想像はできるが「あれ、日本にはあったんだ?」と驚くかもしれない名詞がいっぱい出てきました。 妹のてるべえが食べたかったカステラとすき焼き、 似たような事件で、違う結局が来て、心が一層痛くなりました。 一々細かく語られるが、クダクダの感じはしませんでした。 緊張したり、ほっとしたり、笑ったり、泣いたりして おじさんもおばさんも隣組の組長も鮮やかに描かれました。 父との対決は、やや残念な気がしますが。 ただ最後の部分、山崎さんの死、その後、いきなり平成に入り、 おい、ちょっと と叫びたかったです。 考えれば、『たそがれ清兵衛』と似た感じです。 同じ片親と二人娘の平凡な生活。 同じ外から助けにやってきた善い人がいる。 同じ父親と母親(義理でも)の強い意志のお陰で、苦難を乗り越えられたのです。 同じ些細な幸せ。 同じ山田洋次監督。 最後、確かに山田氏らしい。 ps:先週の木曜日にも観たかったけど、休日+春休みなので、チケット買いを待つ人がエレベーターまで詰み込んでいた。上映まで買えなかったT_T今日も人が多かった。のび太もワンピースも大人気そうだ 26/03/2008 夏目漱石式青春 一年以前的今天,0点刚过,刚刚洗掉眼泪和妆,又半哭半笑地冲到1楼尽头晶晶的屋里,一手搂着她的脖子,一手举着我的手机。 1个小时之前把我弄哭的人,又发来令人落泪的电子邮件。而他明明是替我擦眼泪的人。(未完) 21/03/2008 你的婚礼亲爱的朱朱
下一次太阳升起,就是你的婚礼啦,我想,现在你一定怀着满心地期待睡在甜蜜里吧
尽管好多年以前就得到了邀请,但我还是很残忍地伤了你的心
我是刚入空协寻找外文系同学的时候认识你的
大一一进学校就被偷了自行车,从此,你风雨无阻地骑车载我一起去二附中体育馆训练
每次路过国权路的兰州一拉,我都在偷偷想什么时候去吃一顿,嘴上倒是缠着你教我俄语的大舌音
你教我俄语的“我爱你”,帮我扎道服的腰带,陪我一起“采访”(被逼的)永哥,抓春哥给我们开小灶
我们第一次去远处约会,是6年前的春天,大约正好是这个时候,我在崇明掉进烂泥坑4次
你帮我买了内衣,脱下外套给我,拍了好多傻乎乎的我的照片,现在还放在家里的写字台上
空协、军训、全系的大课,BBS,恋爱的话题,直研,研……是我们共享的回忆
虽然因为“我爱你”不需要大舌音,导致我至今没有学会第二句俄语
你一直都温柔地笑着,从大一的小男孩发式,到妩媚的长波浪
在午后的阳光里,发出耀眼的光芒
我最喜欢你的大眼睛,长长的睫毛,然后你毛绒绒的脑袋突然嘟着嘴凑过来要亲我
啊,刚才忘记了,大一的时候在你们宿舍我可一直是被蹂躏的对象啊……有圣诞节照片为证~
后来因为你们宿舍集体修二专,我就流离到了英专那一伙人那里去,中间做了不少傻事,每次每次,你都揽着我在5楼听我诉说心事
可是我那个时候反而听不懂你的理想,嗯……惭愧
直研的时候你又毅然站在了我的面前,递给我从文璋那里抄来的终极攻略
如果没有你大眼睛里坚定的光芒,我可能根本连火车票也不会去买
虽然我没能像文璋那样北伐成功,但在未名湖边听到好多好多发人深思的话语,才有现在此时此刻除了不能参加你的婚礼之外称得上幸福的我
从本部3号楼到南区20号楼再到北区67号楼,我们5年里一直住在同一栋楼里
遗憾的是直到现在都没有去你家玩过,你也没有到我家来过,虽然说起来你家所在的城市是我老家而我家所在的城市是你老家
曲曲折折,就是这么巧合
我知道你一定会顺利如愿在年轻美丽的时候踏入幸福的家庭生活,所以对你的恋爱一直怀有醋意,哪个男人会抢走我的你呢!!
某段日子频频遭到电话骚扰,在BBS上哀鸣的时候,突然接到保卫科的电话
明明是学校工作人员却亲切称呼我的小名——根本是只有你才叫的小名——于是我放心了!你的男朋友,不是从我这里抢走你,只是和你一起示范给我看
从来只模糊存在的相亲相爱这个概念的内涵
研一的时候你的双亲大人身体欠佳,你也非常辛苦,但你除了照顾家人之外,还不辞劳苦地忙碌着研究生会(?)的工作
嗯,今天以后你的人生会拥有更多的乐趣,那将是你和皮皮亲手发掘和创造的
我虽然一直以来都没能为你做过任何事情,或许将来也无法为你做任何事情,但我在远处会一直凝视着你,为你的微笑而微笑
去年9月我夜袭北区,彼时北区已经备齐密码锁防盗门,已经退宿没有门卡的我自然进不去
我在你窗下喊了一声,亲爱的朱朱帮我开一下门
你悠悠地答道:哎~来了。便走了出来,丝毫不露惊讶
那一刻,我恍然明白自以为是的出走,在你看来只是早上离家晚上一定还会回来
对我有这样的信心的,大约也只有你了。没有仔细对你说过我的放浪的计划,但你毫无怀疑纯粹地信任着我,信任着我
我说回家没有睫毛膏用,你立刻把自己刚打开的那支送给了我,还是我最喜欢的牌子
亲爱的,我给你的承诺,是不是从来就没有实现过呢……现在,这个疑问正堵在我的胸口
在你宿舍看了俄专韩专往日熟悉的女孩子们的婚礼的照片
回札幌以后,又在你的blog上看到你和皮皮的,校园背景的结婚照
这么多复旦的同学,以复旦校园做背景的结婚照,你们确是我所知的唯一
如此热烈无暇的信任和爱恋,让人重新正视青春那5年,突然一切阴暗都消失不见
只要有一个人幸福就好
只要有一对,今天,明天,后天……请用幸福感染未知的时间
祝我亲爱的朱朱和她亲爱的皮皮新婚愉快百年好合
ps……个么要不我参加你们的金婚纪念仪式如何? 19/03/2008 很女孩的小女孩从小学到高中,班级里、学校里的女生干部,都是很标准的领导人形象,各方面呱呱叫,做事情雷厉风行。
当然这个形象很有我自己的一份功劳。
忽然进了大学,班级的感觉被极端地淡化,年级里的女生干部只有团支书在我们班,也是标准领导人,其它人又没接触过,于是唯一可以讨论的就是社团了。
尽管我参加的空手道协会是个男生占压倒性多数的社团,但是我在大学的5年里,一共5届4位会长,有3位女生,男生只有1个,后来还成了某mm会长的“后缀”。
那几年正好是空协最风光的时候,每年招新规模都令其它社团望尘莫及。
因为习武,有时候孩子们不免会有些暴躁,而且,其实在中国,日韩的武术和武术文化都被遮上了一层莫名其妙的面纱,很能扭曲小孩的心灵……
于是每次和师弟师妹在一起,包括我在BBS上写的文章,都会抓住我们会长的核心意志“温柔的力量”。
我眼中的她们都是美丽的小女孩。那样的调皮可爱老成庄重全集于一身。
经历多了以后总是会感慨说,做一件事情一定要有爱。
这么说来在我唯一一次成功跳带(后来SARS之类的天灾人祸,跳带考试居然被取消555)的那一年里,空协是很有爱的,我对空协也是有爱的。
我喜欢训练的时候看着小师姐圆圆的脸,受了伤以后抹上药油接着陪大家一起练基本功。
喜欢早上在南区门口或者6教遇到那个美好坚定的女孩子,恶作剧地用日语对她说早上好。
那时候有个对我很照顾的男生,经常在教练师兄面前说我跟小师姐的相像。
然后我觉得他很烦,因为在我看来,小师姐那么女孩的小女孩,我是远远及不上的。
一旦被他们那样称赞,我就会变得焦躁不安。
我所要的,是完全不同的另一个世界,也就是现在,2008年我所身处的世界。
但是当时,我几乎完全沉醉在对面前世界的欣赏之中。我说不出来,但是我很喜欢她。
后来招新的时候,每年都会微笑去解释很多东西,然后很多人会说我的语气完全在模仿小师姐。
但是有很重要的东西我模仿不来,比如所谓恋爱。
感觉恋爱在00级是很流行的东西,到了01级却完全不同。
大一的时候我们系几个人经常在二食看到某学术男和他韧带极好的女朋友忘情。
然后知道,哦,原来别人是这样恋爱的。
如今00级的师姐们大多有了美好的归宿,(呵呵,今天才把情报凑全,所以才)写点流水账怀念一下。
说起来,我不是一个愿意信任别人的人。当然这个信任要分出程度。
现在很多年过去,我可以故作姿态地宣称在复旦5年我几乎没有信任过任何异性,除了我的辅导员和食堂的几位大叔。
而且后来后来后来,那些统统要用“后来”二字指代的事情,让我相信,人与人的隔绝。
这是一个绝对的事情。
我大二的春天,大三的春天,看着临近毕业的人们在BBS上惜别,频繁更换签名档,他们,还有他们的好友,为那一场场对“天造地设”的摧残而落泪。
我只是根据煽情的文字猜测,没有评头论足的意思。
即使是伤感的,也那么美,是很多女孩子的青春岁月的回忆,其中也有那么一两段,发生在我认识的人身上吧。
毕竟因为有那些回忆,才让她们在我的记忆中定格成很女孩的小女孩。也许当事人完全不能接受这种看法吧。
再后来因为很多不能两全的事情,我也对社团若即若离,好像一直都在跟核心吃吃喝喝,帮着画画写字,做翻译。
但是没有进步了,加上后来在我的教练永哥哥那里混了很久才混到紫带(555我要茶的)
跟毕业生自然是早就不联系,跟同年的会长,以及后来的会长,也根本在物理上失去了见面的可能。
作为没有坚持下去的逃兵,我封锁了关于空协的记忆。老实说,有很多事情并不是很开心的嘛……
到札幌来了以后,忙碌和焦虑中,我也自然而然的明白了空手道之于我的不再有可能。
但是偶然,会翻开故人的博客。
偶然,会想起来那几个女孩。
然后想起来,我已经身处我曾经想要触摸的世界。 17/03/2008 泣いた誰もいない研究室に、泣いている(3分間)
朝、母校のBBSでチベット関連記事を沢山読んだ
その中、ちょうど先週ラサに旅行にいった校友の発言もあった。 騒乱のリーダーはラマだった というのを、地元のチベット族も漢族も他の少数民族も思っているそうだ。 自分は、中部と西部に行ったことないので、発言権を持たないけれど、
生まれてから、チベットの歌と踊りがよく聞こえて、好きだ。 漢族の一般人にとっては、少数民族は全く兄弟だ。 むしろ、子供を3人目も生んでもいいし、進学の試験加点出来るし、いろんなお祭りを行い、服装も綺麗なので、とても羨ましい。 先輩も友人も(母校の日本人留学生も含め)チベットに行った体験ある人はいる。
彼らによると、チベットの人々は、執政党に感謝するそうだ。ダライも一番最初、PRCと組むつもりだっただろう。結局反共勢力と一緒になり、もう数十年間も戻ってきたことはないはずだ。で、こんな人は何が分かるのか。疑問です。 共同通信の報道も読んでいる。
私は、他の国はどうでもいいけれど、日本政府と日本人の反応に関心を持っている。 まったく、日本を信じているか、信じたいから。 (やっぱり共同は、どちらかに傾けることは比較的に少ない、と思う) でも、こうすると、自分のこころを他人に採点してもらうような気がする。 或いは、告白した後、返事を待っているような気持ちです。 しかし、問題用紙に答案を書いた方も、採点する方も、誰もチベットに行ったことはないので、どうやって判断できるのか。 小学校の時、地元の師範学校(今は日本の教育大とほぼ同じような存在に昇格)に勉強しているチベット族の学生が、小学校に来て、チベット語の歌をいくつ教えてくれた。同じ机を使っていた男の子は、父親が軍人なので、6年生の前半までずっとラサに暮らしていた。彼は、チベット語も上手で、師範学校の学生と親しかったのだ。
チベットの学生が「内地」の師範学校で勉強できるシステムはずっとある。同化政策と批評されるかもしれない。どうせ世の中すべてのことは違う立場から見ればまったく違うので、もういい。 今回のことについて、考えるべきなことが多すぎる。
民族国家のすべて 集権と自治との矛盾(=合致と対立の二つの側面) 文化多様性の保護と近代化との矛盾 大体先住民族の文化をそのまま残すのも私たちの価値観だから、 彼らをずっとあんなにさせるのは、本当に彼らの為なのか、或いは私たちの「動物観賞」の為なのか、私は答えられない。 自分は、まったく知識不足のものです
どうせ、この日記を書いたのも、自己満足の為だから。 なので、さっさと「私の個人主義」の後半も読み直したい 12/03/2008 郵便局が好きですガス、電気、携帯、電車…日常生活離れられないものがたくさんあります。この中一番好きなのは、郵便局です。 比較的によく行くのは北大病院前の郵便局ですが、最近駅の郵便局にも頻繁的になりました。私はゆうちょ銀行を利用しないので、行くのはすべて郵便の依頼です。お姉さんもお兄さんもいつも親切だし、並びもほとんどいらないし、圧迫感はない場所です。 中国の郵便局はやや乱暴ですが、それでもサービス業で一番親切感を持つのです。乱暴とは届く途中郵便物の扱い方をさしていますが、実際、何回も本を送ったことがあり、損害はなかったです。そして、F大の近くの郵便局は、いつも「2週間ぐらいかかりますよ」と言っても、実際5日間もう届いたのです。 このようなことは日本にも会いました。この前の金曜日、上海の友人にお祝いのチョコを送りに、北7条に行きました。そこのお姉さんはすばやいスピードでチョコを大型封筒に入れて、750円を求めました。SALよりも安いですが、封筒で大丈夫ですか~と不安でしたが、今朝、友人から「もう届きました~」と連絡が来ました。そういえば、最近上海郵政ももっと丁寧になったのかな、とりあえず嬉しかったです。 昔日本文化か日本社会についての本を読む時、郵便局が何でも手紙として届けるというおおげさな言い方も出てきました。確かにお金とお菓子も封筒に入るのは奇妙なのですが、多分日本の方から見れば、中国の郵便局も不思議でしょう。できれば、自分を手紙にして実家に送りたいです~ もう一つは、印刷が失敗になったハガキは交換できること。郵便公社以後は交換料金をかけるようになっていますが、やはり気遣いが良い措置だと思います。えーと、聞きたいですが、手書きの場合も、ミスをしたら交換できますか?(笑) そして、留守の時届いた郵便物に関する再送達システムもすごく良いと感心します。インタネットで申し込むと、2分間済ませます。ただし、毎回も朝9時半に来たので、この時間帯は、もともと無理でしょうか、そして、送達の人も大変でしょうか、と思います。 中国の場合、EMSだけは直接に家まで届けるので、ほかの小包とか送金とかなどはまずお知らせが来て、このお知らせと身分証明を持って、郵便局に行かなければならないです。実家の近くに大学郵便局があるので、まだ行けますが、たまにも変な遠くの郵便局で取り扱うので、不便でした。あと、以前、送金などの依頼票はただでしたが、いつの間にか有料になり、ひどいです。まあ、以前は郵便と電話と一つになっているので、かなり儲かる会社でしたが、現在は郵便だけが低い料金を維持して、電信と携帯の会社が勝手に世間のお金を奪っているのですから。 あまり価値がないことを書きすぎた感じでした。 読んでくれた皆さんに悪かったです。ごめんなさい。 やっぱり郵便局との付き合いは、どこかの誰かを思いやったり、どこかの誰かに思われたりする気持ちなので、楽しいです。 ※某コンビ二の大昔(?私の時空感覚は正しくないかも)の抽選であたったトスターが予告なく届きました。 コンビニに愛されてもとても嬉しかった馬鹿ゆる今月のRPは危ないですよ 09/03/2008 Teatime春は花茶 夏は緑茶 冬は紅茶 さあ、秋は何ですか? 現実的な選択のはオレンジかラベンダー入りのコーヒーかな お茶は苦い飲み物です。 子供の時こう考えた。おじちゃんの机に、いつも白いコップがあった。 蓋をはずすと、すがすがしい香りがすぐ部屋に溢れているのだった。 お客さんが来た時も、大人も必ずお茶を一杯入れる。使うの沸かしているお湯だから、子供は触らせられないのだ。うちの子供たちは、飲ませられもなかった。味見をしたことがあるが、渋い、苦い、まずい~と思ったはずだ。 正式にお茶を飲み始めたのは、お酒よりずいぶん後の話だ。 大学3年の夏、一人で黄山に行き、地元の旅館に、新茶を飲んだ。翌日山登りの途中ずっと飲んでいたのも、ポットに入っているその黄山のお茶だった。それからはずっと黄山のお茶の力を借りて、怠ける気分と対抗している。 子供時代お茶に距離を置けたのは味の渋さの他に、入れ方の神秘的さも一つの原因だった。西洋風のジュースはインスタント、コーヒーもココアとチョコもインスタント、伝統式の蓮根や胡麻の汁粉もいずれもインスタントなのに、お茶だけは、面倒臭い。茶葉は杭州の龍井、安徽の霧、福建の岩で、ティーポットは景徳の紫砂、水もできるだけ由緒ある渓流、湖水、せめて花の弁から集めてきた露ではなければお茶になれない。 こう考えると、一生お茶が飲めなくなる。この困難を乗り越えられたのは、家教の教え子の御蔭だ。紙コップで全中国のさまざまなお茶を2年間亘って入れてくれた。そして、今よりちょうど10年前から、コンビニでペットポトルか紙バック包装のお茶ドリンクが商売になり始めたのだ。レモンティーをはじめ、紅茶、ウーロン茶、緑茶、麦茶…種類は氾濫するほど増えてきた。それで決めた。自分でお茶を入れて飲むようになる。 ――[中国出張の豆知識]――中国のお茶系のドリンクは明らかに日本のソフトドリンクより甘い。サントリウーロン茶は普通、砂糖カット、無糖の三つのレベルがある。紅茶にレーモンジュースを入れるのは基本――[終り]―― 数多くのお茶の中、一番よく飲むのは黄山毛峰。札幌に持ってきたものは、あまりにもカフェインが低いので、渋みもないし、睡眠にも影響しない感じ。ある意味で興奮できるならよかったが。。。マイボスに献上したものはなかなかの高級品らしく、しかもマイボスは腕がある人物なので、お茶にはお米の味も感じられる。すごいお茶ではないかと思うのだ。 安徽のお茶には歴史がある。実家はほぼ緑茶を飲むので、紅茶というとヨーロッパのことかなと思っていまう。しかし、イギリスの紅茶は祁門から運ばれたのだ。1998年一番ブチブルジョっぽいCMはこう宣伝している。 「100年前、祖国に離れ、イギリスに行った。100年後、イギリスからローヤルの品格を持ち、帰ってきた~祁門紅茶~」 メーカーは台湾企業なので、すぐ祁門は黄山の祁門だと思い出さなかった。分かってから、また自分の誇りになった。故郷にすごいお茶があるのだ!ただし、紅茶はティーバッグが多いので、あまり気にいらない。やっぱり市販のレモン祁門は飲みやすいと思う。 今のようなあまり日差しが良すぎる午後、暖かいなかで、本を手にして、飲んでいるお茶はすごいお茶ではないかと思うのだ。 実際は白菊と枸杞子でつくった飲み物だ。乾燥する秋に向けて潤沢する効果がある。札幌は乾燥するからいい。先週、北六条御息所様が持ってきたジャスミン茶は春向けのお茶だ。緑の葉だけではなく、大麦、蕎麦の実、ゆずの蜂蜜漬け、干しりんご。。。皆お茶になれる。このように、一年中の季節・気分によって自然の実を楽しんでいるのは楽しい。 04/03/2008 坊ちゃん昨日から坊ちゃんを読みなおしている 実は日本語版は初めて! 分からない単語、結構あった! でも全体的な意味が分かっている そんなに中国語版を読んだことはないけれど まさか 坊ちゃん団子を食べた自分も 坊ちゃんっぽくなったのか 坊ちゃん団子を買ってくださったのは うちの上司様 今日は今年度芥川賞候補になった中国人女性作家の新聞記事を読ませた 小説を書いてくださいって言ってくれたんだ 無、無理です こころは狭いですから BTW:北大には、明治時代から中国人(清)留学生がいた どんな人たちでしょうか 03/03/2008 タイトルは何がいいのか植民地(海外)神社についての本を読んだ。
終戦60周年の年、F大経済学某教授が書いたY神社の本の一部分を訳した。 中国(主に旧「満州国」地方)にあったいくつかの神社、忠魂碑などの沿革だった。 なぜ世界経済の教授がY神社に宣戦するのか、分からないけど。 当時の仕事は、出版された本を官僚に献上しに日本語に訳するんだ。 だから、「日本にはこういう本がない」のイメージがあった。 手に入ったのは最後の1章だけで、全体は読んだことない。 内容は別だけど、とにかく、中国語文章として読みづらい本だ。 憎しみが紙に沁みこんでいるんだ。 一人が泣きながら、何かを言っている時、泣き声が大きくなって、言いたいことは聞こえなくなる感じがする。 だから、この海外神社の研究書を読んで、かつてのイメージが変えられつつあった。 確か「植民地の神社」を言う場合、旧「満州国」と占領区の神社は研究対象とされないのもあり得る。 でも本の中の表などのデータはとても詳しい。 というのは、経済教授の本は一個一個の事例を収集するのだけとしか取り扱えない以上、事例はすべてではない。 でも、沿革を見れば、特に戦後の用途は朝鮮半島と台湾のものと変わっていないんだ。 あれ、特殊性はないのかな? 今まで公園として使われているものも少なくない。 (様子は多少変わった) それから、上海のバンドを思い出した。 同じ外人の造った建築だけど、同じ今まで使われている建物として、 なぜそこ【だけ】は上海の誇りになれるのかな? 植民地実験の本がもっともっと読みたい。 01/03/2008 テラビシアにかける橋予告編を見た時、これだ!とすぐ観たくなった
観るのはLAST上映の前日だけど いい映画でした~ (予告編はネタバレだったみたいが、観る時はもう忘れたので~) 5人兄弟の真ん中、唯一の男の子のジェス君 と隣に引越しにやってきた凛々した少女、レスリー 近所の森で 二人だけのマジック世界を構築しつつ 学校でもいじわる子と対抗しつつ 毎日を楽しめている keep your mind wide open 人間というものは想像が凄い 夢を持って生きることは、想像力に働きかけることだ 流行新語で言えば、ビジョン(VISION) 人は夢から生きる力を得るべきだ 自分の夢だけではなく 友達の夢も、よくよく見て、聞いていれば、栄養をとれるんだ 世の中一番楽しい事は同じ方向へ眺めること 一番良いところは、憎しみがなかった もし私が♪の教師になったら、見習う~ 「なぜ私たちは友達になれないのか」 悪魔のような8年生とは最後、友達になったんだ 姉妹に、父に愛されているんだ よかった でも、でも、なぜ一番大切な宝は、失うことなのか 経過すべきな儀礼かもしれない レスリーのスタイルが好き ファンタージーが好き 父と母と落陽の光 創立者の彼女を失った後、 テラビシアはまた新しいプリンセスを迎えられるのは よかった |
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