新新's profile星空叙事曲PhotosBlogLists Tools Help
    30/11/2007

    我们为什么要结婚

    为了拆迁多分房子
    为了从老丈人那里获得“第一桶金”
    为了合法地生小孩
    为了离婚
    29/11/2007

    宣戦布告

    即日より、近代史のある方と交戦状態に入ります。

    全面的か区域的かについては、まだ考えていなかったけれど。

     ======++++++============++++++============++++++======

    多事の秋は木曜日。
    でも、常に自分自身を批判することを先にしたほうがいいと思う。

    今日のK院講義での報告した時、マナーが悪かった。
    二人で二週間を以てやると言われたから、やり方が分からなくなった。
    けど、何でこんなふうになったのか、少し説明したかったのに、
    緊張して忘れた。
    別に説明が要らないと言われるかもしれないが、
    不満の原因は緊張してたことだ。

    それから、
    読む時分かったと思ってたことを、ほかの人にどう説明すればいい。
    近現代のことは、なんとなく分かってることが多いのに、
    厳密に論理できなくなっちゃった。
    なんとなく分かったから、深くまで考えなくなる。

    K先生の言い方がずるいと思う。
    けど、なぜ、もう一歩前に進むことができなかったのか。

    事実⇒道理⇒真理
    前に進まなければならない。
    現象だけが分かるのは、分かることになれない。
    進め!

     ======++++++============++++++============++++++======

    最後、訳が分からない話をいたします。

    一つ目は「成熟」
    ある社会が成熟した後、必ず滅びに行く。
    例えば、よくいう『源氏物語』の貴族社会。
    しかし、滅びる前に、新しい社会の要素は、もう既に旧社会の中に
    孕まれている。これも言うまでもないでしょ。
    母体が死んだら、胎児も死んじゃう。
    母体が死ぬ直前まで、脱胎すべきでしょ。
    言うまでもなすぎるから、具体例を以て説明できない自分はバカだ。

    二つ目は「原因」
    喉が渇いた時、目の前にローソンがある。
    持っているクーポンはセーコーマートのもの。
    貧乏だから、節約しなきゃ。渇いたから、速く飲まなきゃ。
    このとき、どっちを選ぶ?
    明治維新も、おそらくこれだ。
    福沢諭吉が学問のすすめを書きはじめた年、もう既にM5。
    新島襄が学士を取った年も1870年だそうで、
    同志社を創設したのは75年。
    維新の回心になるには、遅すぎたんじゃないか。
    学問も、キリスト教も、一年・一ヶ月・一週間の短い期間に
    力を見せてくれるものではない。
    能率的な考えは、当時言えば、天皇しかない。

    ヨーロッパの場合、ルネサンスから栄光革命まで何年間経ったの?
    フランス大革命までいくつかの理論が出されたの?
    日本の場合はどうだった?
    天皇が存在することはもう幸いだと思う。
    なければ、北朝鮮のような邪悪的な社会主義になっちゃうかもしれない。

    以上、ご覧の通り、
    これから、たぶん、あの方と全面的な交戦になるだろうかパンチ

    p.s.紀伊国屋に来年のカレンダーを買ってきた。
      イケメンのカレンダーです。毎日見たいです。
      院生机に置いてもいいてすかるんるんうちの国旗として―.―
    27/11/2007

    実験

     M9~M13年北大(札幌農学校)の学生名簿を見た。

     本科と予科からなっていた。北海道に来た学生は水準がばらばらなので、学力不足の学生が予科で最大5年間も過ごしたことある。

     M9年は予修科と呼ばれて、後予科、予習科など、さまざまな名称に変わったのだ。そして、M9年は最初の年で、本科にも予科にも一つの学級しかなかったが、M10年から、予科は1~3級に分けられるようになった。本科も1~4年に分けられたが、本科の4年は最上級とされたに反して、予科の1級は最上級とされていた。M9~M11のデータを見た時、留年も一つの要素として考慮した上、この三年間一体誰が上級生か誰が下級生かはかなり混乱した。運が良くて、やっと分かったのだ。


     大学史も面白かった。それを読む時、以前読んだ『日本科学史』の話を思い出し続いた。維新以降日本学制の改革は、なんとなく中国現在学制の由来がそれに学んだ、あるいは同じ先生に学んだのだと感じる。(間違いないね^^)

     でも、学制改革の最中、いろんな混乱が起こされたのは想像しかねないだろう。M9年は初級生で、M10年は2級生になり、これだけを見たら、進級だと思うはずなのに、実際は留年だ。ある方はM11年に1級生になり、ある方はまた2級生のままで、この場合、まさか評価基準が変わったので、前者は1年生に戻ったかなとも考えられる(でしょうか)。帰省した時、自分の学級を言うと、親族に誤解されたことがあるのか。また、『三四郎』のよう、当時の大学院は現在の大学に相当するらしい。しかし、本当の状況を知らなかった読者は間違えた判断をした可能性が高いだろう。

     実は自分も学制改革の参加者・実験の対象だ。小学校で受けた語文(中国の「国語」授業の名称)は、理念も方法もテキストも同年目のほかのクラスと違うのだ。これとセットとなっている5・4・3学制は、地元で実現しなかったので、結局小学校は6年まで延長されて、普通の生徒と同じように普通の中学生になった。(実験の影響といえば、違う小学校の実験的クラスの生徒は、中学校、高校でよく友達になれること―.―)

     とりあえず、私は実験動物だった。

     いろいろの意味で、私たちは実験動物だ。

     学制だけではなく、さまざまな制度における実験に参加しているのだ。消極的に受けるのだけではなく、自分自身の行動によって、実験の結果を直しつつあるのもである。
    24/11/2007

    どんな国の私?

    この世を乱す人間は二つのタイプ。女と文学家。
     
     (K先生と一日デートする)木曜日、現在の日本はどんな国家精神を持っているのかという問題が提出されました。(汗)個人的な意見としてはS氏の答えの「民主主義」に賛成しますが、ほかの人はまた「ほかの国家と区別できる特徴」と要求して、結局正解が出てこなかったのです。その後、川端と大江両氏のノーベル文学賞受賞辞も登場しました。K先生は「美しい」はどこまで作用するのかに疑問を抱いていそうで、それはたぶん「美しい日本」の意味で、大江の場合はおそらく「あいまいな私」であろうとおっしゃいました。えー、と気になっているので、図書館から岩波の大江氏の講演辞集を借りてきました。
     
     川端氏はノーベル賞受賞が1968年で、「美しい日本の私」をタイトルとしてスウェーデンの受賞式で講演を行いました。26年後の1994年、大江氏は同じ場所で「あいまいな日本の私」をタイトルとして講演を行いました。大江氏の講演は彼の先輩のことを改めて考えた上でまとめられたと思われます。つまり、決して単なる模倣ではないのです。川端康成文集(中国社会科学出版社、10巻、全集ではないけど)が初めて中国で出版されたのは1996年4月で、大江健三郎作品集(5巻、光明日報出版社)は1995年5月です。私が彼らの作品を読み始めたのは中一と中二の時なので、殆ど同じ時期でした。(因みに、それまで出版された川端氏の小説は代表作だけでした)。二人の区別が明らかに感じられるほどですが、深い原因が分かりませんでした。
     
     川端氏の講演辞は以前、中国語訳者によって「我在美麗的日本」というタイトルに翻訳されました。大江氏が受賞した時、訳者たちは先のは誤訳であったと意識しましたが、結局前例に踏襲して、大江氏の講演辞を「我在曖昧的日本」に訳しました。したがって、中国人読者は、二人が「日本」という国家の前に自分なりの形容詞をつけた、と受け入れました。
     
     「美しい日本」と「あいまいな日本」というような理解は正しいですか。日本語版の大江氏講演辞を読んでから、この理解は間違いないと信じています。外部からの目線と内部からの目線とのズレは、大江氏の指摘した「あいまいな」ところだと思われます。
     
     二人の作品から見てみましょう。戦前の川端氏、新感覚派の代表的な理論者として、率先して在来の文学流派と異なる道を探っていました。伊豆の踊り子の美、在日朝鮮人少女の美、山村の運転手の美など、いろいろな労働者・社会のどん底の人間の感情世界を描きました。戦後に入ると、「戦争宣伝」の経験も持っている川端氏は、米軍の占領によって、日本伝統の美が守られることができない懸念を持ちながら、現代社会においての伝統の美を再発見して、小説を書き続けました。『雪国』も『舞姫』も、伝統の代弁者というより、伝統の崩壊していく過程の記録者の作品であろうかと思います。しかも、男性より、女性がもっと速く新しい時代に慣れていそうです。(昔、川端作品の女性像は全て男性視角の女性像と思いましたが、今から見れば、必ずそうでもないですねorz)『古都』も、伝統的な京都北山四季の美を描き続く中、伝統的な紡績工場(及び職人が持つ芸術)の崩壊と新しい機械化工業の発展、伝統的な倫理観(ふたこ、婚姻)の崩壊と新しい倫理観(血縁、恋愛)の出来上がるのを展望しつつ書きました。川端氏は「美しい日本」にいるからこそ日本の独自の美を世界に紹介できました。
     
     大江氏は『広島ノート』で、被爆者の苦痛を聞く同時、国家官僚と無産政党の行動を批判していました。対立するはずである二つの集団は、原爆に対する態度は驚くべきほど一致しました。民主主義ととっても、共産主義をとっても、被爆者にとっては結果は変わっていません。誰も責任をとらない現実の下、この国家の国民として、国家に対する認識があいまいにさせられました。
     
     受賞は26年間の差がありますが、両氏の文学活動の根底にある精神は同じ「敗戦」から生まれた、あるいは「敗戦」によって拡大されたのであると思われます。だから、二人の講演辞の構造も同じだと思われます。前に言ってた「誤訳」のところは、「美しい日本」と「あいまいな日本」に置かれていなくて、「の」の意味に置かれます。ある新訳は「美麗的日本的我」と「曖昧的日本的我」に翻訳しましたが、これは「の」が持つ従属意味に注目しているのです。つまり、川端は日本の川端、大江は日本の大江です。戦後の知識人は先の戦争を反省した結果には、個人を国家に無条件的に繋ぐことは正しくないという結論があります。この「戦後」はおそらく今現在のことを指しているでしょうか。川端や大江両氏の時代はどうでしたか。個人と国家とのつながりが失った後でも、アイデンティティの薄くなることも回避できないことかもしれませんが、マルクスが指摘した人類社会のビジョンは国家がない社会であることを想起すれば、その時こそ、個人にとっては本当の自由が得られるのでしょう。
     
     大江氏の講演辞に「痛苦とともに、日本人は新生へのモラルの基本として、不戦の原理を選んだ」と書いてありますが、実際、冷戦の終結、高度増長の終わり、歴史認識と貿易利益における隣国との衝突などいろいろ変わった戦後60年代に入ってから、「不戦」もそろそろ終るでしょう。いいえ、現段階で言う「不戦」はそもそもアメリカの嘘と日本人の夢(農学部の集会を見ると)に過ぎないでしょう。もしも、百年後の人類世界で、「不戦」がもう一度降臨してくれば、その時、百年前私たち(日本人だけではない)の平和への理想が叶えますかしら。では、今までの戦後日本国家の精神というと、個人的な意見ですが、これは「戦後日本という国家になる」ということではないでしょうか。
    23/11/2007

    精神は考えるべきなものですか

     昨日の院講義で天皇制の最終回がなされました。次回は「維新の精神」に入り、また担当者になりますが、もうこの講義に対して興味がなくなりました。まずいよ。
     
     勿論F田先生は偉い。ですから、われわれは最初から理解できなかった。しかし、「流動」の意味を勘違いしたより、「流動」の意味を聞いたほうが悪い、と思います。国家機関の政策決定過程についていろいろ討論しましたが、しかし、何が郷土ですか、先生のおしゃった「二重構造」のほかにも何があるはずなのに、明らかにされなかった感じで終りました。郷土と農業=農村とは違う概念だろうと思います。

     朝の学部講義では、自分の最大な欠点を見つけました。本を読むと、作者が書いた内容を何も考えずに受け入れました、自分の頭をその方向へ改造したとも言えるほど。反論を出す能力はありません。確かに、世の中すべての本も信用できるのではないですが、そんなに信用できない本と気付いたら、たぶん読むことはしません。出来れば問題を簡単化して、早く解決したら遊べます。(こんな自分はもう死んでもいいかもしれません。)

     それに、午後の話題はいつの間にか「日本はなぜ日本であるか」に飛んでしまいました。これは、中国はなぜ中国であるかと同じような考える必要はない問題でしょう。特に、政治学だけの範疇で考えるなら、いつまでも正解を得られないだろうと思いますよ。
     
     この国家は何でこの国家であるかを考える時、まず考えるべきことは地理位置でしょう、それからは言語、気候、民族、風俗などでしょう。つまり外面的な特徴は先に考えられるでしょうか。
     
     赤ちゃんの自我意識はどのように形成しますか。なぜゆるゆるはゆるゆるでありますか。鏡の中のゆるゆるを見た時、これは自分だと意識した瞬間、自分が存在している実感が出てきました。ぐずぐずさん(仮称)と一緒にいる時、ほかの人が「ぐずぐずさ~ん」と叫んだ声を聞いた時、あ、それは自分ではない、と意識した瞬間、自分のほかにも人間が存在することが分かって、したがって、その人と自分とは違う人間だ、と分かりました。そこで、自分は独特な自分になりました。われわれの国家に対する意識もそうでしょう。世界地図を読んで、ここは中国だ、そこは日本だ、アメリカは西半球の国家だ、といろいろ発見しました。その時、中国の精神は何であろうか、日本の精神は何であろうか、全然考えなかったでしょうか。
     
     それ以降、われわれは赤ちゃんから大人になりました。周りの人と付き合うと共に、自分の好み、性格なども、だんだん他の人と区別できるマークになり、周りの人が持つ判断の基準になりました。でも、同じ性格の人はいっぱいいるし、同じ顔の人も世の中に三人ぐらいがいる(研究室の通説)し、こんな時、この人と自分との間にどんな出来事があったのかはもう一つ重要な判断基準になります。
     ぐずぐずさんはゆるゆると一緒に山登りをしたり、水泳をしたりするクラスメートです。

     この時、歴史はもっとも大切なことになっています。
     
     しかし、精神は何だろう、精神はどんな役割であろう。
     頭が行き詰まったので、本を借りに図書館に行ってきます。
    22/11/2007

    無差別殺人

     ○野先生の国文学講義を聴きに文系6番教室に座っていたのです。
     その前はゼミに報告しましたから、少し遅くなって、かなり黒板に近いところにいました。

     60年代の新体詩を朗読させられました。読めない漢字が三つほどありました。知っているはずなのに、やっぱり41時間連続作戦はちょっと、もう呆然の状態に陥りました。自分は留学生だと言いたかったが、それを言うエネルギーもなくなりました。

     日本人の朗読は、さすが日本人の日本語ですね(汗)。昔の先生、青山先生の朗読は、まだ頭の中で鮮やかな印象が残されていますよ。

     前回、小森先生講演会の時、司会者に感想を言わせられました。その後、小森先生は全員日本人の会場で外国人を発言させることは一種の暴力でしょうと言ってくれました。(笑)そう考えれば、昨日の授業は無差別殺人でしたよー
    17/11/2007

    漱石は売れっ子作家

    木曜日のK○講義で、氏が曰く
     「こころ」の初出は朝日新聞で、現在で言えば一般人に読んでもらうための小説です。当時の夏目漱石は今の渡辺淳一のような売れっ子作家です。…(以下省略)

         =============+++++++++++++================

     それは本当にそうですか。ゆるゆるは、先生のこの話を考える時、個人的な感情は避けて通るわけにはいかないんです。前提としては、自分は漱石ファンです。渡辺氏の小説を読んだことはないですが、映画とドラマを通して少しでも知っています。そして、3年前、渡辺氏は復旦大学に講演に来たので=氏の講演を聞いたんです。だから、直感的に比較できると思います。

     渡辺淳一の作品と言うと、すぐ出てくるイメージは変な男女関係だらけです。『遥き落日』のような作品もいくつあるんですが、結局そっちは上手くいけなかったので、男女関係を選んだそうです。若い頃好きな女(もう死んだが)をずっと忘れられないこととか、幸せな家庭を持っているが究極な性愛を追求して死んだ女のこととか、バカのように家族を捨てて心中しちゃったこととか、もっといっぱいあるらしい。しかし、それは本当の純愛であることと思わないんです。例えば、「愛の流刑地」は、ある意味で、作者の自分自身に対する、しかも妄想による生じた愛であると考えられます。渡辺氏の小説では、主人公が医者か作家の場合が多いのは、自分のことをモデルにしたわけです。そもそも作家に憧れることは、今の時代で少しあり得ない気がします。作家が偉いの?冗談じゃないよ。無条件的に憧れてくれる女性は作家の妄想です。そんなバカな女性を気にいて、いわゆる「恋」を創作の源泉とする男性も、臆病の者に違いないんです。

     もう「自己を中心とする妄想」と言っちゃいましたから、漱石の自己本位に対する批判は無視できなくなりました。批判はしていましたが、『道草』はおそらく渡辺氏と同じような妄想から生まれた作品ではないだろうか、と思っています。しかし、こんな妄想を漱石は捨てようとする気がありました。つまり、本人は妄想を認識していたはずです。渡辺氏は認識したかどうかよく知らないんですが、たぶん本が売れるために読者を認識させたくはないと思います。

     『道草』のいらいらしていることも、『こころ』の先生の死も、複数の作品にも見える子供を生んで育てられないことも、すべては人間不信から生まれた悲劇です。でも、他人を信じできない人は、殆ど最初は自ら誰かを、何とかの信念を裏切ったんですから、不信の結果は自分の蒔いた種です。漱石はこれを上手く書かれたので、素晴らしいです。

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     いくら同じ流行作家であると言っても、時代が違うから、流行の内容も明らかに違うでしょう。なぜ明治時代では、人間の本質と行方を問わなければならないと思われて、今はセックスの本質と行方を問わなければならないと思われるようになったんですか。これは、明治より平成は堕落したわけではなくて、平穏の時代は激変の時代よりやる気が無くな
    りやすいと思っています。水でもそうです。なかなか流動していない水なら、いろいろ底に沈んでいくことがあります。ですから、人間性のような難しいことを考えなくてもいいです。別にセックスはもう十分複雑ですから。

     要するに、流行自体は何も悪くないです。問題は、どっちが目的かどっちが手段かというところです。この意味で、漱石と渡辺ははっきりと異なっています。

     ある年齢以上の、渡辺に興味ある男性は、殆ど家庭には問題があります。そんな過剰な誇りを持っているおっさんたちは、この社会の障害となります(例えば日本文学を少し読んだことあって、渡辺を日本の象徴を思い込んで、不倫を試したい中国人)。

     ある有名な中国人翻訳者は、自分が尊敬する日本作家は二人がいると言っていました。一人目は漱石で、もう一人は村上春樹だそうです。村上は間違いなく売れっ子作家です。でも、売れることを通して、一般読者を考えさせるのは一番いいんじゃないですか。これは、啓蒙と麻酔との区別でもあります。
    14/11/2007

    Always・続 三丁目の夕日

    こゆきが想像的な指輪をつける左手をじっと見るシーンは美しい
    11/11/2007

    我没对她说

    F.I.R.的歌的时候,找到这样一首歌,曲风明显停留在上个世纪的
    工整
    然后找这个歌词,搜出来的歌手不是阿沁,而是这个叫B.A.D的乐队,发片是在00年到04年
    专辑的名字叫做

    《失去联络》
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    我没对她说
    若爱她是我今生最孤独的温柔 一定是我忍不住的错
    若想念是我今晚最心酸的沉默
    继续吧 我不想要解脱
    让这咖啡杯温暖着我的手 也好过让冷空气穿梭
    我没对她说 留下吧不要走
    她的选择 我该纵容
    我没对她说 我有多么难过
    她说快乐 别的地方才有 我怎能不放手
    ------------------------------
    接下来,大家推荐这首歌,这个时候我还在念高中吧,下载不到

     
    无所谓
    整个夏天 只剩面包屑
    有一点心悸 不太敢喝咖啡
    因为想念 在失眠边界 不小心掉进暗恋你的季节
    整个秋天 刷牙有霉味
    寂寞的要命 太诚实的惭愧
    终于开口 沉默的拒绝 我彻底输掉和你的暧昧
    过不完冬天 无所谓
    不敢承认 无所谓
    再次见到你 我正提着垃圾过街
    我有多么的狼狈 无所谓
    等不到春天 无所谓
    爱不到明天 无所谓
    可怕的是看着你牵他的手过街
    就算是再伤心欲绝 无所谓
    ----------------------------
     
    转变说是一转眼之间,其实已经过了十年。
    相信的变得怀疑、坚强的变得脆弱、执著的变得麻木、到最后什么都被否定。
    渐渐习惯不言不语,包括应该言语的时候
    我们回不到过去了,就算回得去,过去也不曾有过我们
     
    这一周,是大家跑来跑去的一周
    等不及我感叹
    又收到博士大哥哥的mail说正在青森
    说起青森,我只能想到一个个又圆又甜的大苹果
    然而人世间没有圆满
    看起来圆满,也未必香甜
     
    切菜的时候,胡萝卜在砧板上做前滚翻,刀刃就擦在了手指上
    有生以来第一次因为切菜血流成河
    然而就这样,一直做好菜才去处理伤口
    真的不太疼
     
    我没对她说,我没对他说。
    2000年的时候,在我们谁都没有注意到的时候,这些音符
    在我们不知道的地方,滑过了青春的指尖

    若想念是我今晚最心酸的沉默
    10/11/2007

    歴史の現実的な役割ー晋恵帝ー

    ゆるゆるは歴史には愛はない生物です。
    小さい時読んだ百科全書は、歴史の巻の内容はさっぱり覚えていません。たぶん、読んだこともありません。
    だからこそ、歴史はよく目の前に飛んできました。
    自己PRをしに来ました。

    2007年春以来、中国では物価暴騰が深刻化しつつあり、国民(人民といったほうがもっと適切かな)が苦しんでいます。
    ⇒ここでいう中国は、大陸だけではなく、台湾も含まれています!

    大陸はインフレの原因で、台湾は台風のせいで、豚肉をはじめ、値上がる一方です。
    数日前、台湾農委会の官僚、蘇嘉全主委は立法院で、野菜一本の値段が200元(台幣)となっている現状に対して、「5元の野菜を買えばいい」との発言をしました。
    この発言は激しい批判を招きていました。

    晋朝のある年、食糧が足りなくて、飢え死にの百姓がたくさんありました。
    その時、晋恵帝は「米がなければ、なぜ挽肉を食べないの」と言いました。
    今回蘇主委は台湾のマスコミに「晋恵帝」に譬えられているのです。
    まあ、大陸でも、牛乳が高いので、これから豆乳にしようと言った人もいますが。

    したがって、シンガポールのマスコミは、なぜ
    台湾の民衆が政府と官僚を批判する時、中国史の人物に喩えたのか、を
    これは台湾が中国の一部分であることのいい証ではないか、と分析しました。

    LAF。。台湾は自分の歴史を持っていると同時に、大陸との同じ歴史も持っていますから。
    07/11/2007

    うそ姫

    最近在研究室很受欢迎的一个测试
    我果然如此不堪
    USOnittei
    很佩服某些人是这样的
     
    Mi
    02/11/2007

    革命无罪,造反有理

    最近看到的旧报纸:
     
    1969年5月16日 北海道大学革命学生把学校的象征——克拉克博士半身像——
    用石灰粉刷上了“青年们,革命起来~”的英文标语(原本是Boys, Be Ambitious)
    来北大修学旅行的高中生们义无反顾地在博士像前合影
     
    1969年11月14日 札幌市主妇桑田洋子携3岁长子来到北大校园,将博士塑像擦洗干净
    “尽管与北大没有直接关系,但作为市民,要为北海道的象征做些力所能及的事情。”

    バイト先で古い新聞を読みました。
    正確に言えば、新聞の切抜帳です。
    1960年代の学園紛争や安保反対運動の写真も見えました。
    予想以上の激動した時代ですが、その時、中国もいろんな運動を経て、やっと無産階級文化大革命を始め、世界範囲でも革命の時代と言えます。

    生まれる年は1983年で、「四人組」はまだ裁判を受けなかったが、
    幼児園の頃から「傷痕文学」(文革に対する反省)の作品を知りはじめました。
    (今考えれば、1983年とは文革の終わりからただ7年間しかない年ですが、小さい時は文革を古代のことと同じように認識してました。なぜかは分からないんですが、うちの母はよく文革のことを話しましたけど。傷?見えない)

    幼い時から慣れたことを、ふたんは考えるわけがないでしょう。
    幼児園児の自分にとっては、小学生の自分にとっても、それはその時代のイベントに過ぎません。
    ゆるゆると同じ年の中国人なら、スローガンを叫ぶことが上手と思われます。映画から学んだ戦争時代救国運動のスローガンと、両親から聞いた動乱年代の革命造反のスローガンと、教師が教えた平和建設年代の民族振興のスローガンから、私たちの近現代史になっています。

    小学校入学直前の6月に、北京で起こったあの事件は当時、「反革命運動」と評価されましたが、間違ったのは内容だけ、形式ではないと私たちは認識しました。合肥にもUSTC(U.S. TRAINING CENTERではない)があるので、運動をやっている学生の姿が毎日見えました。カッコウいいと思いながら、自分もカッコウいい、しかも正義な一人前になりたいと思いました。その時、革命は問題を解決できる唯一の手段であると本気に信じていました。*今は「信じない」ではあいませんが

    正義、plus硬い態度 equals成功
    大学二年の高校同窓会では、北京大学の友人と復旦大学の学部別差別を話した時、友人は「お前たちなぜ造反しない」と提言しました。冗談ですが、中国の北大生は今でも「革命」を続けそうです。しかし、ほかの大学ではあり得ないです。現実は、みんな革命したいですが、勇気や目標はないです。つまり、造反しても役に立たないです。ネットで革命を追懐するのだけですが、革命への情緒は相変わらないです。熱血で、考えずに大げさに話すこと。

    もし有名人になりたいなら、革命運動は一番出世に速い道かもしれません。また、途方にくれる人にとっても人生を変えられるチャンスです。
    しかし、破壊をせず、幸せになりたい人が一番多い現在、革命を除けば、ほかの生きる道もたくさんあるでしょう。まず自分の中に存在している「革命」を考え直すべきです。その後、新しい解決する方法、人間としての進み方も習いたいと思います。
    p.s.
    1969年5月16日 北大のクラーク像は過激派学生によって白い粉を塗りつけられた。「Boys, Be Revolutionary」=「大志」より「革命」へ
    01/11/2007

    日本史研究室第一回三种神器争夺战

    将于明日晚7点于札幌市北区北17条西4丁目某300元店举行
    内容:炸鸡排、饭团、蛋包饭还是啥,吃完者胜
    如两人都吃完,则移师大将继续比试肉丝炒饭
     
    (公认)王者:M2伊藤
       挑战者:M2高桥
        裁判:M2松本
    正式比赛之余,还将举行二种神器争夺战
              M1 坂爪 VS  M1见山
     
    若伊藤获胜,则cosplay
    若高桥获胜,则bg伊藤
    第二组比赛以友好为目的,尚未设置奖惩措施