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    30/11/2006

    ◎実相寺昭雄氏が死去 「ウルトラマン」を演出

     
     テレビの「ウルトラマン」シリーズや映画「帝都物語」で知られる映画監督の実相寺昭雄(じっそうじ?あきお)さんが二十九日午後十一時四十五分、東京都文京区の病院で死去した。六十九歳。東京都出身。
     早大卒業後、ラジオ東京(現TBS)に入社。一九六〇年代に「ウルトラマン」「ウルトラセブン」などの演出を手掛け、独特の照明技術を駆使した陰影のある映像で日本の特撮映像の第一人者となった。
     六九年に「宵闇せまれば」で映画監督としてデビュー。TBSを退社して実相寺プロを設立し、情緒的なエロチシズムの中に人間の本性を描いた「無常」(ロカルノ国際映画祭グランプリ)「哥(うた)」などを発表した。
     荒俣宏(あらまた?ひろし)さんの幻想小説「帝都物語」や京極夏彦(きょうごくなつひこ)さんの「姑獲鳥(うぶめ)の夏」も映画化。七〇年代に演出した特撮番組のリメーク映画「シルバー假面」を完成させたばかりだった。
     オペラの演出も手掛けたほか、著書に「星の林に月の舟」「ウルトラマン誕生」などがある。東京芸術大名誉教授。妻は女優の原知佐子(はらちさこ)さん。(了)11/30 10:55 
    【編注】 死因は不明、自宅は非公表
    【共同通信】Kyodo News (C) All Rights Reserved

     
    26/11/2006

    F.L.尼伯龙根之歌[11]

      “您可不可以再多跟我讲一些那时的事情?”antonia急切地问到。
      于是,老板娘带着她爬上屋顶的阁楼坐下,开始讲述那些年纪远比她大的故事。
      “在dreammoon攻下我们的城镇以前,我们也有自己的首领。他是一位上知天文、下识地理的先知,然而那时却因为年事已高而无力带领大家抵抗dreammoon的进攻。在被攻占后的最初几年里,大家对外来者的统治都十分怨恨,表面上不说,每年也会按时进贡,但我们心里都明白,我们的命运,从这时候开始已经不再像从前一样掌握在自己的手上了。每个人都听说这位君主骄傲、骁勇、好战,不知道哪一天,他就会强迫我们的青年去充他的炮灰。
      “那一年,我们听说dreammoon把战火越烧越远,一直攻打到了女巫regenblume的土地上。但是他再勇猛也是一个普通人,怎么可能敌得过可以摄人心魄的魔法。被俘虏的将士一个接一个地死去。然而不可思议的是,dreammoon活着从女巫的土地归来了,虽然伤痕累累、脸上还挂着血痂。——这些,我都是从过路歇脚的客人口中听来的。”
      “那么后来呢?那位君主,他是怎样触怒了女巫的?”antonia问。
      “关于你问的这一段,我猜想是在dreammoon离开regenblume的国家之前发生的。迄今为止,虽然大家猜测纷纷,但没有人知道真相。一年之后,dreammoon和一位叫做tangrong的公主举行了婚礼,紧接着我们这个镇子就闹起了饥荒。眼见就可以收割的稻谷一夜之间全部枯死,果实又被冰雹打坏。以前的那位首领、我们的老先知,当时已经卧病在床,挣扎着让年轻人把他带到祭坛前向上天祈祷,也还是无济于事。
      “就在开始有人陆续饿死的时候,一天,dreammoon带着几位大臣和一批粮食来了。那是我第一次见到他。当时我还是个小女孩,本来我也和大家一样,心里非常怨恨他给我们带来这么多苦难,可当我见到他以后,立刻改变了原来的想法。不错,他是气宇轩昂的君主,但他吸引别人的并不是他的外表。他在城外就下了马,一路挨家挨户嘘寒问暖,走进城里来的时候已经两脚泥泞。小孩子们听过大人的描述,都怕他,也有远远地向他扔石子、弹弹弓的,但他不仅不生气,还抱起那些在生病的孩子、给他们糖果。总之,这个时候大家已经全都把怨恨转向了那个莫名其妙的女巫了。dreammoon分发了粮食,又去拜访了先知,商议如何应对接下来的严冬。总之,那一年就这样过去了。”
      “那位先知,他老人家还在人世间吗?”
      “他还活着。虽然十几年来他一直躺在床上,但他始终在为我们祈愿。”
      “那么,您可以带我去看看他吗?”
      “可以,”老板娘指着阁楼的窗外,“最远的那棵马尾松下,就是老人的家。不过,在出发前,我们还要带上点东西。”
      “是什么?”
      老板娘从角落里翻出了好几面小圆镜子,用一块布包好,拎在手里,带着antonia下楼了。

      此时,在遥远的四季温暖的国度里,女巫regenblume正在聆听schonne的汇报。
      “很快天气就会冷了吧?”
      “是的,女王陛下。虽然我们这个国家没有寒冬和酷暑,也没有树叶飘零的秋天,但是antonia他们马上就要面临更大的威胁了。”
      “威胁?你去给?”regenblume轻蔑的扬起嘴角,端详着自己美丽的长指甲,“这一次你做的不错。但是,我希望你能够再多给那小丫头一点折磨。不、不仅是她。”
      “还有什么?”schonne心头一惊。
      “所有违背我的人,所有蔑视我的人。我希望,他们都能够很好的体会到比风雪更甚的冷。我说的折磨,不仅仅是在身体上的,不不,那太没有水平了(其实我很想用“技术含量”这个词,但我不想把这个故事变成搞笑片,所以请大家自己替换一下、笑一笑),schonne,你知道,怎样的伤!感觉最痛!”

      面对女巫凌厉尖锐的要求,schoone依旧心平气和地站立着。似乎实际上他才是一切的主宰者,他知道这个游戏背后全部的规则。确实,前面曾经提到过,schonne是多么睿智的一个人,在这个魔法的国度里,他的智慧甚至在regenblume之上。可他却逃不脱regenblume的安排,也救不了因为爱他而失去生命的Joi。他只能沿着自己的宿命走下去,尽管他始终在努力寻找命运锁链上最薄弱的一环。
      schonne,antonia,Joi,hatsuki……每个人,都在这样继续向前走着。

    25/11/2006

    白線流し~空も飛べるはず

     二日間深夜まで続いて見てとうとう終わった「白線流し」の話です。
     たぶん2年前だろうが、初めてspitzの「空も飛べるはず」の歌を聞くと、すぐ気に入ったのだ。すごく励ましてくれるのだ。その後はhatsuki先輩が「これはドラマ白線流しの主題歌だよ」と教えてくれた。ずっとドラマを見てみたいのに、暇がなくて、気持ちが合わせなかったから見なかった。やっぱりこれが気が沈んでゆっくり味わうはずなドラマなのだ。
     「白線流し」というのは岐阜県にある高校の卒業式で行う儀式で、このドラマは高校三年生の物語。九十年代の日本の青春ドラマはほとんどそうだった、友情、夢、人生の道そして迷ったこと。今見れば少し嘘っぽい感じだが、高校時代の私ならきっとそれを信じるわけと思う。しかし、今更たた静かに最後まで見てしまうのができたのはもう十分で、感動とかの気持ちがあっても、それに従ってやるわけはなくなった。
     ここでは、ただ自分の体験、高校あるいは大学では自分に起こった体験を書こうと思う。
     その時は気がついていなかったが、周りの人たちとの付き合いは足りなかったかもしれない。いつも自分が一所懸命訴えるに対して、他人の気持ちをちゃんと聞くかどうか今覚えていない。確かに誰が何が好きとか聞いたことあるが、この人がどんな人とか、周りには誰と誰が仲良くとか、このような問題は答えられない。だから大学に入った後、「クラスメートでは誰かと誰かが恋をするよ」を聞くたびに、「そうか、思いがけないね」と驚いた私。つまり、自分の気持ちだけを中心とした高校時代なのだ。
     それから大学では、さらにクラスメートの好物も知らなくなた。四年生になってから、初めて「皆すごいなあ」と気づいた。nasyo、jumperやyolky、一番仲良いような友達でさえも、今まで何が起こったら、「あ、彼女のやり方はそうなんだ」とふっとした。何回もこうしてから、結局自分が友情には何かをしたことあったかいと迷うようになった。それに、今にも残ってきた中学校時代、高校時代の友情は?別に、存在するかどうかも分からないから。昔いつもたくさんの人に囲まれた私は、いつの間にかこんな淋しい人間になったのだ。
     今考えられるのは全ての問題が恋にあるのだ。恋そのものにはかからないが、自分と周りの人たちの抱いた恋への疑問から生まれた問題だ。とは、今まで正真正銘の恋することは一度もできなかったからだ。なぜ親友以外の人と話し合っても許されない、なぜ好きでも打ち上げられない、もしあれはルールなら、私誰も要らない、何も要らない。ーーこうすると、とうとう全てを失った。別に、自分が捨ててしまったとも言えるのだ。でも何でそんな考えが自分の心にあったっけ?やはり自分のせいではないか。
     だから、今更誰かの友情がほしいとか、こんな話はもう話せなくなった。自分のできることはただ静かに生き抜いて、いつかたぶん来る再びのめぐり合いを待つことだ。
    22/11/2006

    日舞

     この前の土曜日、日舞五條流の師範五條鈴彩さんと鈴の助さんが北大の留学生センターに来たのだ。講座の後、皆は婦人会から借りた浴衣を着て先生のご指導のもとに日舞のいろはを体験した。その時先生たちが今日の午後にエルムプラザにワークショップがあるのを紹介してくれた。今年はちょうど北海道日本舞踊協会が成立したことに当たり、東京から藤間流の師範がくるのだ。藤間流というと、日本舞踊の一番歴史長い流派であることは当たり前だけど、やっぱり大好きな女優星光子さんが所属する流派であるわけで、見に行きたいと思う。チケットは2000円でもいいんじゃ…
     こう思って、午後の授業をサボってエルムプラザに行った。会場の外で、受付の先生たちに「誰かに紹介されたか」って聞かれたら、「五條先生です」って答えた。思い掛けないかったのは、先生たちはある封筒から一枚の招待券を出してくれたのだ。「お金はいらないですよ」って。なんとかお得な気持ちで会場に入ったのだ。
     先生はたくさんの例を挙げて「伝統文化」を説明した。例えば、日本人の数え方や人を呼ぶ時の手振り、それと中国人とアメリカ人との区別とか。たぶんふつうはそんな細かいところには気にしないが、言われたら誰も「確かにそうだ」と悟った。そのことには日本の伝統が生きているのだ。こういうような説明は優しくて分かりやすい。さすがに名門家だ。^^
     次は藤間流の方々の演じた時間。「春が来た」とか知っている曲も出てきたのだ。面白い。
     それからは質問コーナーと体験コーナー。函館からの一人のばあちゃんは「今日は若者がほとんどいないよ」って、ついに「伝統文化」と今の「いじめ自殺」との関係までも話しちゃった。面白い。隣のばあちゃんは何度「前に行って体験しなさい」って励ましてくれたから、一番前に立ったのだ。すぐ隣のお姉さんに「え?もしかして日本人じゃない」って言われてばれちゃった。結果的には、このラジオ放送のお姉さんに取材されちゃった=。=
     (具体的な内容は一応省略させていただく)
     やっぱり行ったのは楽しかったのだ。
    21/11/2006

    燃えろ!アタック

     小学校の時、日本ドラマの「燃えろアタック」は中国で再放送して、クラスでは大人気を呼んだのだ。皆毎日休む時間に校庭に集まってバレーをやったのだ。しかし、その時スポーツが下手だから、一度もやったことがなかった。体育の授業でバレーを練習されたたびにごまかして逃げちゃった。その後、ほかのスポーツ=水泳やランニング、バスケット、卓球など=はだんだんできるようになったけど、バレーはどうしてもできない、というより、大きくなっても、頭を打たれるのをずっと恐れるから、ぜんぜんやりたくなかったことである。
     しかし、日本に来てから、改めてバレーをやり始めた。そのきっかけも偶然だ。それは二回目の韓国語の授業が終わった後、同じクラスの太田さんは目の前に来て、「サークルに参加しないか」って誘ったが、「バレー」を「バスケット」に勘違ったので「OK」って答えた以上、後断るわけがない。結局、「頭を打たれたらどうしよう」っての配慮を抱いたまま出かけた。その日、太田さんと二人の先輩=ちえみちゃんとよりこちゃんと一緒にスープカレーを食べて、いろいろ話し合って少し気が沈んだ。久しぶりの体育館に入ると、すぐやりたくなった。しかし何もできない…
     始まった。まずは「鬼ごっこ」だった。初めて日本人女の子の手をつないだ時、昔から知り合った友達のような感じがした。それから基本の技を練習して、すぐ三つのチームに分けて試合に向けた。何もできないままに試合にも参加するのを、恐れているが、皆「大丈夫よ」「がんばって」って励ましてくれたから、やってみたのだ。太田さんが居たチームはすごく強かった。むしろ太田さんは強かった。ボールをネットの向こうにアタックしたたびに、自分の新しいスポーツショーズを指して、笑顔を出した。その次は私たちの番だ。初心者だから後ろに居させられた。アタックとかは前に居た人だけで十分かもしれないが、サーブなら誰もするはずだ。どうしよう、できないから。そしてもう14対14となった。私はボールを持って、一番後ろの線に立って、深く呼吸して、力を尽くしてボールを打った。奇跡が起こった。ボールはネットを飛び越えた。得点だ。皆大声で「ナイサー」「もう一本」って叫んで、最後に向けた。私もう一度のサーブをして、皆と一緒に勝利を迎えたのだ。ちょっと不思議なのは、その時思っているのは1995年、卓球のワールドカップで何(小山)智麗さんの叫んだ「よーし」とその後彼女が受けた批判。今は彼女がその前中国国家隊で不公平に待遇されたことは明らかだけど、当時はただ「自分の母国を裏切った」とされていた。たぶん彼女にとっては、もっと公平な環境の下に、もっと自由に戦えることは一番大切なことだろうか。正直に言えば、日本人の女の子の叫び「ナイサー」とか「もう一本」とかなどはとても魅力的なものだと思って、心がいつの間にか捕まられるようになった。この時、別に政治関係のことどころが、ただ自分の仲間同士のために戦おうとする気持ちだけなのだ。
     これまでは先月の話。今週の月曜日もまたちえみちゃんたちと一緒にベレーをやったのだ。今回のサーブは前回のようないい運がなくて、何度も失敗してしまった。チームも2回の得点も1点だけで負けたのだ。皆は「惜しい」でけといっても、本当は「悔しい」なのだかもしれない。ほかの二つのチームが対戦する間、私はそばでサーブを練習している。もう一人のりかさんはこれを見てから、教えに来た。(ここは省略、疲れたから)
     最後の一役。すばらしいサーブができた~そして勝つ~11点のゲームは15まで勝負がやっと明らかにした。本当によかったんだ。ふつう中国では、サーブもできない人は決して試合に参加するわけがないものだ。このわけで私みたいな下手な人はいつまでプレーのチャンスがえない。でも今は…まずはやらせて、それからやっているとともに身に着けるように教えられたり、練習させたりすることである。もちろん誰も初めから上手にするわけがない。でも一番重要なのは「やる」。やったらきっとだんだんだんだん上手になれる。皆こういうことを信じているのだ。
     それに、これを信じる力こそは青春だ。
    19/11/2006

    [翻译]那一天,如流浪狗般闯进影视世界[1]

    大家,我终于体会到了翻译自己偶像的文字是一件多么自虐的一件事……

    就这样,夕子开始了
      事情的原委纯属偶然,既无任何背景,也不属于任何一家事务所的我闯入了影视的世界。在那之前只在舞台上表演过,对于拍电视之类的连想也未曾想过。就这样,在既无任何准备、也还不知道自己将面临些什么事的情况下,完成了我的第一个镜头。
      老实说,我对奥特曼一无所知,仅仅是听说过而已,就凭借这点知识闯了进来。
      拍了好几集之后,我才恍然意识到,莫非……这是一个了不起的节目——我就是这么一个优哉游哉的人。
      从那以后,我一直苦于如何去塑造南夕子这个角色。拍摄的时候不能随心所欲,始终无法接近自己心目中的夕子一步。就这样一天天地过去,集数不断增加,对我来说是非常难受的事情。现在回想起来会觉得当时如果能更加轻松、快乐的去看待就好了,实在是可笑,但当时的我就是那样认真得有点死心眼儿的、非常努力的女孩子。
      结果,我又一次像野狗一样逃了出去。对于能在超过四分之一世纪的漫长岁月逝去后的今天仍然支持这样的我的各位,我真的感到非常抱歉,同时也对各位充满了感谢。
      谢谢大家对我的鼓励。
      长久以来掺杂着痛苦回忆的关于〈A〉的记忆,现在正在我的心里苏醒,熠熠生辉。这是支持我的各位给予的光芒。现在,我觉得自己拥有了谁也没有的巨大珍宝。正因为有了往昔的痛苦,如今才能拥有如此灿烂、无可替代的珍宝。谢谢大家温暖的鼓励。
      怀着无比感谢的心情写下以上的文字。

    遗失在往昔的
      那天晚上,全家都已安睡之后,我把自己关在房间里尽情地哭泣。
      原本打算要忘得一干二净,却流下滚滚热泪,对此我只觉得十分吃惊。
      这是在涩谷访谈节目结束以后——去年(2004年)10月16日晚的事。当然,是喜极而泣。
      在这30年的生活中,我几乎从未回忆过关于A的事情,所以完全没有意识到在自己心里藏着能够如此为之动容的阴霾,觉得十分不可思议。
      我既没有想过因为A而会有这样的一天,也一直不想有这样一天的到来。或者说,在我的心里,在我的历史中,从未有过A的存在。这次的Talk Show我拒绝过好几次,但主办方再三邀请盛情难却,勉为其难的出了门。然而现在想起来,实在是不虚此行的。因为,长久以来被封存在记忆深处的A,现在闪闪发光的回到了我的身边。
      我一直把它当作是很久以前人生中的一件失物。我对自己说那并非什么大不了的东西,也不曾去寻找,就这样搁置一旁,又度过了漫长的岁月。
      决不再去回忆、不想去寻找、与我无关——原本打算要忘得一干二净的失物,某日突然被找到了,让我觉得非常吃惊。
      我真的被能够像这样哭泣的自己吓了一跳。一直以来我都是安定、幸福地生活着,所以连自己也没有意识到,原来当年的事情一直梗塞在我心里,连自己都不知所措了。
      那天,在涩谷,支持我的人们挤满了会场,说着“给,你丢的东西找到了哦”,把这段往事还给了我。于是那天晚上,我紧紧抱着被我遗失的往日而哭泣。
    16/11/2006

    白头山

      白木泽先生的讨论课总是让俺恍然意识到自己现在正在远离中国的某旮旯……
      虽然今天野部哥哥在结论里写道:日本近代≠日本+朝鲜·韩国+中国,可是,综观咱们研究室各位哥哥们的研究课题,鲜见有谁与中韩朝无关,甚至像野部哥哥干脆就把阵地架在了长白山。野部哥哥是研究室里少见的特稳重又特活跃怎么看都特诚恳的男生,而且会说好多句中文(汗)。咱们研究室的大哥大叔老爷爷们个个对中韩朝无比感兴趣,某爷爷随手一挥就是一张大陆地图(汗,这话说得感觉别有用意,其实没有)。要给他们讲解中国地理,对俺来说还是有点挑战的。所幸幼儿园时代天天抱着塑料地图狂拼,打下了良好的基础。否则……大家说俺学什么不好干嘛要学历史啊,飙泪。如果日本史有包括电影史文学史也好,如今就可以把学习变娱乐把娱乐当学习了。也罢,为了将来能有一技之长,俺还是乖乖学习如何写论文如何拼提纲吧,等俺将来退休了再来日本做小奥课题的博士论文。
      扯远了,话说,今天提到日据时代的中朝关系(其实复旦各位中国古代史的筒子们也可以多多研究隋唐宋元明清的日朝关系的,秀吉那只猴子当年不是掳了一大批朝鲜工匠,只怕朱舜水的事迹一旦搞清无数教科书又要重编~~),说到高句丽的发源地乃长白山,然长白山现为中国领土,于是引发中朝边境争议。先生问我们在中国有没有人搞这个研究啊,俺孤陋寡闻没看过相关论文,然而媒体上是天天吵的,那叫一个不可开交。话说回来,总不能因为高句丽发源在白头山俺们就把长白山划给朝鲜啊,否则过两天李承晚的阴魂要跑来说大韩民国在上海成立的你们能不能把上海划给韩国啊,答案不是废话么。其实汉族和朝鲜族的事情在中国尚属隐学,是被官方按下不提的,要不是大学里那群韩国小朋友嘀咕谁会意识到有这回事情。民族融合不好吗?杂居通婚不好吗?没见人哈萨克乌兹别克俄罗斯蒙古族都团结着么?东突虽然也很节棍,但是普京跟咱政府够哥们啊。小金死活不肯六方会谈,胡哥帮他挡了那么久美国风暴,他还好意思要啥白头山?
      说来韩国人更加可气,就算高句丽发源是在长白山,那也是朝鲜的事情,你们凭啥抢注端午节?还声称活字印刷是韩国人的发明,当心毕昇爷爷万圣节找你们要糖吃。提到端午节,众大哥大叔纷纷做猛醒状道:嗯,日本也有的喏,啊?中国也有吗?——各位读者,你们说俺不倒地吐血气绝身亡对得起屈原他老人家吗?俺嘴角抽搐,又听得有人念叨:此乃农耕社会一广泛现象~广泛你个头,气象,气象你懂吗?当年小野妹子他们一伙人光把中国历法照搬到日本,也不看看北海道这天,2月能叫立春?这不是咱大陆气候是啥!这就是证据,哼
    13/11/2006

    奥特兄弟对泰罗的忠告

    这是当年正儿八经的官方同人,laf
     
    佐菲:今后即使你身陷困境我也未必会来帮你,所以战斗的时候要小心
    奥特曼:怪兽和宇宙人很狡猾,不要上当,加油
    赛文:你的本领都很强,但我还是担心你不一定打得过比超兽还强的怪兽。要不断练习新的本领,别输给怪兽们(是说万一打不过也不是你这个老师的错吗?)
    杰克:不能滥用奥特手镯。过分依赖它的话,到重要时刻你就麻烦了(喂喂,只许你自己用吗?)
    艾斯:保卫地球是很辛苦了啦。但是决不可以气馁。还有呢,你也给我时不时去去月球,看看夕子嘛~(崩溃了,你自己想看就去嘛)
    12/11/2006

    复旦公派留学攻略(2)

      确定了自己要申请的项目以后,请及时将申请所需材料递交学校外事办。一般会要求学生出国出境交流项目院系推荐表(系主任党总支辅导员签字盖章,万一来不及请跟外办老师协商日后递交)、成绩单(在各自院系开20元的那种)、简历(要有中文版)、研究计划(越详细越好、越明确越好,可以捏造但一定要逼真)、各种证书包括语言能力考试成绩,现在留日项目除特别说明之外可以使用托福、GRE和CET6的分数,但日方在未来可能会无视CET6这个东西进而鄙视你,有日语一级的筒子们不要吝啬,J.Test、专八、口译和雅思似乎不流行。大学期间的校三好、先进、很牛的事迹、发在核心上的论文都请附后。
      第一轮申请是在外事办完成的,根据人数的多少可能会有笔试、面试。面试主要是考外语能力,至少请把自我介绍背熟。某几位老师面英语,某几位老师面日语,面日语的同学们声音请大一点以显示自信,面带微笑活泼一点,反正几分钟就撑过去了,实在没有话说就聊聊天气、美食、兴趣爱好。不过根据俺的情报,许多项目(特别是对申请者的专业背景有要求的,因为申请的人很少)的面试非常简单,俺曾经被忽悠的那次根本就没面,直接排了GPA-.-
      外事办会把面试的时间和结果公布在网页上,也会打电话通知。从头至尾都可以打电话or闯进去咨询,老师们都是善良的。
      通过外事办选拔以后请迅速准备申请所需要的材料。成绩单在院系开具,20元,盖上系主任的大印,自己翻译成英文or日文,外事办的网站上有成绩单、毕业证书的模版,BBS出国版和翻译版有大多数课程名称的翻译,空格、斜杠、“以下空白”一个字也不能差。翻译好之后拿回院系盖系主任的大印,再去外事办1楼交钱、敲章(如果之前开的是5元的成绩单就会被凶神恶煞的张姓女人骂死,成绩单格式错误的后果也是如此)。本科不在复旦的同学要回原校开本科时代的成绩单,还要换算GPA,比较麻烦。外事办的工作时间是1、3、5下午送交成绩单复印、盖章,下一个1、3、5上午去2楼领取验明正身的成绩单和毕业证书。复印件上会有“此复印件与原件相同”,翻译件上会有“此系原成绩单的翻译件”字样。敲章8元,信封骑缝封口章2元,复印也是很贵的,但总比你花上好几个20块要好——不打算同时申请好几个学校的话就不必了,一般只有申美国的兄弟们才会一下复印20张……付钱有时在外办1楼,有时在综合楼财务科,大家要做好跑断腿的心理准备(话说,这套程序俺已经忙活过3、4回了,包括帮同学开成绩单>.<)。加急费用加倍(在院系只要跟教务员好好求情就可以)。
      更加详细的研究计划,某些项目要求推荐信,请找牛教授。部分学校要求体检表,随便找个医院体检即可,找个好说话的医生把日文描到日文表格上。俺非常无知的去出国检疫中心做了一个昂贵的(不过合肥比上海便宜许多),是中英文对照的表格,后来才醒悟到只有英美国家才要求so高的规格,日本学校其实无所谓的。索幸俺拒绝了打疫苗的建议,不仅省下一大笔钱,而且免疫系统也少受了一次调戏(俺在俺娘医院打过3次乙肝疫苗均未产生抗体……)。检疫中心会发一本健康证明,可以在O157禽流感SARS突然爆发时交给海关看……
      在读证明、日语能力证明书,本人履历表。请速备齐交外办项目负责老师转寄日方大学,千万不能错过deadline。
      之后请时不时去外办问问进度,还要不要补充材料,以显示你对项目的关心和重视。过一段时间之后日方大学的留学生中心小蜜会直接发email给你,所以请及时检查邮箱,特别要防备hotmail把陌生邮件一律丢进垃圾箱这种卑鄙的行为。但俺还是推荐hotmail邮箱,毕竟中日英各种语言通吃,虽然不时抽风。此时请把外办网站上提供的《因公出国申请表》《个人因公出国申请表》填好、敲章,办理保留学籍的手续(半年以上)。申请国费项目的此时可能会被电话面试,非常惊悚(写了半天俺突然发现这部分内容在外办网站上都可以找到>.<)
      此时大家可以忙里偷闲去办办护照,上海户口学生直接从家拿户口本去民生路1500号签证中心,当场拍摄证件照比较保险,20元,2周可取,200元,5年有效期。复旦集体户口的同学要去派出所开户籍证明,可能会遭到各种荒谬理由的阻拦,请磨嘴皮、撒谎、求外事办老师帮忙打电话……最近听说外办短期交流会强制集体办理因公出国护照并收取高额手续费,其实不必,因私护照足矣(俺也参加过短期交流,当时大家都是自己搞定护照的,此事莫非事出有因?不得而知)。
      在约定答复时间的deadline之前会收到offer,对于杳无音信的学校大家要坚决鄙视,好歹也发一封拒信来嘛~
      在日本居留超过3个月的一般要持《在留资格证明书》申请签证,由于这东西的有效期是3个月,所以日本大学一般会在开学前不久才把它寄过来。日本到上海EMS一般2-3天。申请签证的批复时间是5个工作日。
      此时大家可以忙里偷闲跟日方的小蜜发发邮件,问问自己的指导老师是who,去了以后怎么选课上课,宿舍怎么申请,能不能介绍个打工。进而可以跟指导老师套瓷,当然本科生也没啥必要。牵涉到转学分的问题是比较复杂的,多数行政人员自己也是一头雾水。另一个任务是预订机票,一年交流生尽可能预订往返机票,半年or一年返程open的,比两张单程票便宜很多。关键在于从外国飞往中国的航班都非常贵,例如东京到上海4000+,比上海至东京一年往返还要高出不少。这个预订主要是订座位,等拿到签证以后再让代理出票。如果同行的人比较多,建议组团。俺买过一次5人团体特价,把散客塞进旅行社的那种,非常便宜。强调留学生身份,可以拿到30kg的免费行李额度。
     
      等到《在留资格证明书》和《奖学金支付证明》寄到,就可以去万山路8号申请签证了。各种类型签证的手续都公开在日本驻上海总领事馆的网页上。国费的优越性在此时大放异彩,手续异常简单,将来邀请家属探亲也非常方便。没有奖学金的同学要冒一点被拒签的风险,不过有家里的存款证明or父母一方的在职证明也可以代替。基本上,需要的就是护照、户口簿or户籍证明、在留资格证书、经济证明、小2寸照片、邀请函or录取通知。此外有些很bt的材料,一是学校之间的交流协议,这个在外事办109找俞老师复印;还有是在读证明or最高学历公证。据说很多人是用在读证明签的,但俺也有同学因为没有公证而被赶回来过。公证随便在哪个公证处办理都可以,3个工作日可取,中文版一份即可,100元。南区到上海市公证处很方便,933南京西路站下车往前第一个路口右转凤阳路即可,需要带照片、户口簿、学生证、毕业证书和钱,服务态度不错,周末不休息、晚上6点仍在上班。用户口簿的同学们请注意所有内容是否与现状相符,比如俺就因为学历一栏仍旧是“上高中”而被赶了回去……
      日领馆9点开始安检,周一人较多,8点左右到达即可;其余时间人很少,不必半夜排队。里面的工作人员很和善,会教你填表。自从去年4月某治安事件之后,日领馆只接受非“研修”类的有在留资格证明的个人申请,其余一律在代理机构申请。实际上代理机构也是到领馆来签的,他们专门有一个窗口。窗口里的老爷爷仔细研究过材料以后会让你留下手机号码,一般会在第4个工作日下午打电话要求你第5个工作日的下午去拿。拿到签证以后请打电话给机票代理让他出票、送票,并且告诉日本学校留学生中心的小蜜你的预定行程,有人接机最高,但目的并非为此,而是为了你在到达之后有宿舍可以睡进去……
      现在在上海兑换外汇很方便,持身份证去n个银行都可以直接购买外汇。不过中国银行在周日也有兑换点,比较方便。有奖学金有宿舍的同学不必换太多,现在RMB还是很牛的……中行JCB信用卡没有什么必要,日本的信用卡都是不要年费不要取现手续费的~只是银行下班以后ATM取款要收手续费(韩国也是)。日本也有多家银行办理JCB信用卡(不知是否双币种),但应用最广泛的貌似还是visa~所以,复旦的visa卡请继续使用,记得每年度刷满3笔,网上买Q币也可以的~
    11/11/2006

    Happy Pocky's Day

    青山?人呢?当年可是你老人家口口声声说11月11日是Pocky's Day的啊,为什么今天没有打折的Pocky?甚至我们一群懒虫都因为去晚了没有买到鸡蛋(好在冰箱里还有上上周囤的)
    那么,咖喱 蛋糕杏仁豆腐,闲话休提,上PP
    Happy什么什么Day
    10/11/2006

    关于如何对待生命

    很奇怪。本来爬过来上网是想写写昨天的事情的,然而最终下笔却写到了这个话题上
     
    最近大家在看的一部日剧《14岁的妈妈》里面,小女孩的父母、医生、老师在得知小女孩未希不慎有了小bb以后第一反应当然都是“手术!”
    父亲非常有道理的讲解了为什么“有爱也不可以生”的道理-.-
    然而未希听着妈妈回忆自己出生以前的事情,体会着妈妈当时的心情,最后还是决定要把小bb生出来
    她说:想见到这孩子
    多半也是因为妈妈尊重、呵护了自己的生命,所以自己也要尊重这个生命……我这么觉得。感觉伟大的过头了,但是人类正是这样代代繁衍下来的
     
    然后,今天看的一本记录慰安妇的书。里面有一段受害者全家、全村是如何想方设法为她堕胎的记录
    关键字:当年,罪恶,畜牲恶魔,死亡
     
    不知什么原因,我突然把这两件事情联想到了一起。现在看到的一些关于性犯罪的报道里,也会有“孩子是无辜的”这样的说法,也有受害人会把bb生出来。站在旁观者的立场上,本来就是很难评价他们的做法是否正确的。但是,未成年受害者即使生了这些小孩,显然也是无力抚养的吧。将来怎样对自己的小孩说明出生的原委呢?为了用DNA检测判断罪犯?这样生出来的小孩实在很可怜。
     
    最初,在《侠探寒羽良》里,看到一个故事,女主角小女孩说:“终于知道自己是父母相爱而出生的小孩,(虽然他们都已去世)非常满足。”未希的父母,也是认为一个生命的出生首先要源于家庭的爱。然后父母要提供给小孩良好的成长环境。未希也认同了这一点,将以14岁小孩的身份向着成年人也未必能达到的目标努力(这里姑且不去讨论青春期性教育的过失,只看大家如何亡羊补牢)。以我个人观点来看,这还马马虎虎,反正我是绝对不赞成心血来潮弄个小孩玩玩的思想,也不赞成弄个小孩来实现自己未竟的梦想的思想。当然,这个又跟前面的话题无关了。
     
    问题在于,世界上真的是有很多小孩,他们来到这个世界上并不受欢迎。
    时代背景不同,现在那些DNA证据小孩就不讨论了。那么罪犯的小孩、战争中性犯罪的小孩呢?
    不知道其他国家是怎样对待这些小孩的,但是中国人的话,包括几十年后读到这些书的读者比如我,第一反应肯定都是“弄死”吧?(堕胎过程中出现事故那不是咱们的本意)。原因也许是因为咱们不信基督教天主教,但是基督教国家也未必表现得更加高尚。还记得乔斯坦贾德的小说中提到的发生在挪威的故事。大家怎样对待德国兵的小孩。那是一个父母相爱而出生的小孩,也处处受歧视。
     
    还有著名的《人证》。日本的情况是,一方面日本兵在东亚东南亚作恶多端,另一方面美国兵也给了他们不少报应。《人证》里,那个小孩倒是健康成长了,但母亲却永远无法摆脱自己心里的阴影。总之,这是反映各国风俗、伦理、宗教信念的一个话题。
     
    说到这里,我又想到一个人。
    团时朗,Ultraman Jack的男主角,英姿飒爽的乡秀树哥哥的扮演者,他的父亲也是美国士兵,在朝鲜战争(咱们说抗美援朝)中阵亡。
    好在团哥哥直到现在都还是相当健康的小孩。作为fans,我对苍天感恩戴德。(狂汗!最后又写到小奥上来了!)
    09/11/2006

    Nights of The Knife

    这又是一篇关于ultraman研究的翻译。也不是研究,是04年A的DVD出版之后,fans写给小光的文章。实际的情况与这篇文章的记载其实是有出入的,但是,为了研究的连贯性,我先把这篇译出来吧。
    现在想想,写这篇文章的人也可以算我的偶像了。03年开始拜访他的网站。昨天,我一边翻译一边狂汗。
    有些是我看懂但不会翻译的,勉强译出来;还有一些是我根本没看懂的,揣摩着上下文凑合出来。

     
      首先,以下包括了《Ultraman A》DVD第12卷所收录的星光子专访、以及之前的liner note中所记载的内容。不过略有删减,请允许我写一些自己对于星光子的退出的感想。
      因为有“剧透”之嫌,所以还没有看过DVD的读者请先看完再来点击,否则可能会感到失望。
      当然,这也只是区区一个肤浅的fans所写的东西,也没有什么了不起的,同时也没有记载什么“真相”。但是,请允许我单纯的写下自己的感想。因此,尽管有些“矫情”,但在知道这是“剧透”之后仍然有人看这篇文章的话,我将非常高兴。
      了解以上注意事项的读者请敲门进入下一页。(在原来的网站上是要敲一个门的,jz)
    ================================================
      “那是因为我的……任性,对不起……”
      正如看过DVD第12卷的读者所知,饰演南夕子的星光子退出的理由,即是如此。
      也就是说,是根据她的意愿,而非“收视率走低”和“合体变身无法进入小孩子的游戏”等原因导致的制作方强制“路线变更”所导致。
      当然,前面星光子的话也并不是说能让“真相”大白。
      星光子在访谈中曾说:“对当时的我来说是非常重要的一件事。”西惠子也在访谈中提到:“事实上并非我所能够帮助解决的问题。”确实存在着某些隐情。又因为圆谷官方主页上在《A》DVD的介绍中写着“32年前,仅仅因为一个小错而产生的不和谐之音”等等此类废话,我似乎也作了不少无用功(苦笑)。(但是访谈内容中完全没有提到这一内容,怒^^;)
      但是,所有的“真相”,现在看来已经都无所谓了。当时,星光子到底发生了些什么事情……现在,已经,无论怎样都无所谓了。已经,不再想要去了解所有的事情了。
      只有一件想说的事情,那就是星光子所说的当时是如何“竭尽全力”的。惟有此事无需置疑,我能够切身体会到这一点,感觉到她是怎样认真努力地度过那段时光的。
      是否能够完全理解星光子的心情另当别论,但至少可以认同《A》这部作品全体演职员们贯穿始终的努力。正如她在访谈中所说的“圆谷(当时社长圆谷一?)也对我说了(要)‘改变路线’”,由此可见大家确实是一直精心呵护着“A”这一角色的。每个人肯定都是秉持着积极的态度将这个系列继续制作下去的。这样解释,我自己也可以接受,实在是值得感谢的事。
     
      说实话,我一点也不喜欢第29集以后的故事。我在网站上也把它们叫做“第2部”单独列出。
      但是,第29集以后的故事也决非是要“抹煞”南夕子,而是“送别”(她)以后的结果,是“决不回头”的结果的作品,是“北斗星司单独变身篇”。
      这样一想,第29集以后的故事,那些从未回忆过南夕子的、突兀的故事,也比过去觉得可爱了。在我写这篇文章的时候正好刚看完《东京大混乱!疯狂的交通信号》,哎,也不是,是真的挺好看的。
      是呀,当时,所有人都是那么的努力……
      所以,我也想要更仔细的看一遍第29集以后。所以我是不是也该重新开始“自你离去”部分的更新了呢?
      但这些毕竟还是现在听到了星光子所说明的这些话之后才产生的想法。到现在才……实在是太久了……
      我想,一定有很多人比我更加想知道星光子的消息。我还是在知道“南夕子将在中途离开”的前提之下开始看《A》的,对于首播时候的那些观众来说,如此突如其来的离别真是……
     
      有关寻找星光子消息的记忆,最近的一件事是“Salon de M78网”所开展的 “寻找南夕子!”吧(很遗憾,这个网页已经关闭了)。这多少跟我也有点关系,当时,认识星光子的人前来留言、甚至论坛管理员还收到了星光子亲笔写来的信,引起了很大的轰动。那时大家都想尽早知道这信的内容,但不知道什么原因,恰巧已经是6月下旬了,便有人故作浪漫的要求“7月7日公布回信”。然后,管理人接受了这个建议(别接受啊^^;)然后,好不容易一日三秋的等到了7月7日,看到的却是“出于不去破坏大家的梦,我就不公开回信的内容了”……这实在是过~分~啊!!!!记得当时非常愤怒。诚然,我没多去考虑管理人和周围的人们的心情,只是觉得“你们自己看了信,为什么就不能告诉别人呢!太狡猾了!”
      不过,仔细想来,当时的愤怒也正是自己开设这个网站的原动力……这点没错。皑皑,其实呢,我是因为幻想着星光子会不会看到才开设这个网站的。
      但是,当时“Salon de M78”的盛况实在是强啊,恰好网络刚刚兴起,反响很大。只此一点就可以很好的证明有多少人渴望着了解南夕子=星光子的消息、了解她本人和近况。
      如此说来,星光子当时是这样说《A》的:“想把这段经历珍藏在心底。”(网页上公开的回信的一部分)这个“珍藏之处”能够借DVD的出版而变成“轻松拿出(回忆)的地方”,我们真的很高兴。星光子在HMV的Talk Show上也曾说:“我一直把大家给予我的宝物珍藏在心里……这一次不再把回忆深藏,而是放在容易取出的地方”如果真的如这番话所说,那真的太好了。
     
      如果她真能看到这个网页的话……
      星光子
      您在DVD第13卷的手记中写道:“始终无法与自己心目中的夕子再靠近一步……如此积累,对我来说是件痛苦的事。”可正是您所饰演的南夕子,才让我们至今仍然喜爱。而且,我想,今后也会如此。
      在冷静沉着之中偶尔可以看到略带几分恶作剧的笑容。
      时有落泪、时有愤慨、时有嫉妒的女孩子气。
      在星司苦恼时对他的由衷支持。
      对星司绝对的信任、毫无迷惑的眼眸。
      此刻即将变身之前,与星司对视凝望、同心同意、一起跑起来的凛然身姿。
      还有战斗结束后给星司的微笑。
      您所饰演的形象的全部,还有您留下的“南夕子”这个角色,对我来说也正是留在心里的珍宝。
      当然,现实中的恋爱和虚构的人物是不一样的。在我的人生中,对于恋爱当然会另当别论予以努力(苦笑),但南夕子这个角色今后也将一直在我心里熠熠生辉,远胜其他。对我来说,《A》也会一直作为宝物而存在。
      所以,星光子啊,请您以后也偶尔将自己心里的珍宝取出来给我们看看,我们将会非常欢喜。您为我们开启的这扇门,我将一直一直珍视它。无论到何时,我们会永远支持您。
      真的,非常感谢。
    *《Nights of The Knife》是TMN(TM NETWORK)在1994年所发表的当时TMN“结束”的歌曲。我觉得歌词与A和星光子的现在非常贴切。“新的开始正在走向门的那侧”、“We are going to make a brand-new day”等等……
      已是黎明。
    07/11/2006

    Ultraman A——市川森一的梦想与挫伤

    为什么!最近俺的blog人气低迷留言率低下……俺伤……也罢,姑且贴一篇周末做的翻译练习上来。这是一位牛人写的有关A的幕后,可以当成A悬而未决的n大谜题的解答来看,希望博大家一笑。(俺最爱的A怒道:市川叔叔的伤痛是用来取笑的吗?俺……逃)

      前几天,我像往常一样上网浏览,在“Salon de M78”所附设的BBS上(ms是奥特曼系列的BBS)看到有人写了自己对《Ultraman A》的个人观点。原本或许应该在那个BBS上回复才对,但这只是我的个人观点,所以还是写在了这里。
      那篇帖子中提到了《Ultraman A》中对南夕子这个角色的处理(指中途突然变成月球人与北斗分别)、未能发挥到极致的男女合体变身的设定、以及由此导致的超人Ultraman的形象的变质等,其中带有很浓的当时观众的单纯感想,给我很深的印象。因此,我也想稍微写一写我对A的理解。

      记得有一篇与《Ultraman A》(以下称A)有关的文章——是讲谈社的《Ultraman大全集》还是《新Ultraman大全集》我记不太清楚了,完全凭借记忆,如有错误请大家原谅——回顾了制作时的情况,其中记载了当时有关人士的证言。有关《A》的部分的副标题好像是《神话的终结》。这部分是以该系列的主要策划人和执笔者的市川森一的感想为中心来论证《A》的。
      其中有部分内容相当令人震惊,即《A》实际上是市川梦想受挫的过程。不过,由于每个人所处的立场不同,对于同一件事的观点也是千差万别的,我并非要根据这一篇文章而反驳“当时的情况确实如此”,但至少我能够认同和理解这种说法。即使现在来重新回顾这个系列,也还能感受到这一点。
      从事《A》的策划工作时,市川所塑造的意象中多少有着希腊神话的世界的影子。通过男女合体而产生的、超越性别的超人拥有绝对的力量,是一个雄壮的、积极的世界。我想或许在当初策划时《A》的世界是这个样子的。实际上回顾一下当时的情况,之前所播放的《杰克》的世界,与《初代》和《赛文》中所刻画的世界相比,显得更加贴近观众身边的现实,但还是比较狭隘了些。而紧接着出场的《A》的开头几集场面宏大,当时看得很爽。要说与观众的需要完全不一致的话,我看倒也未必。
      但是,当时的情况是,《A》最初所追求的目标——神话世界中存在着的“绝对的神Ultraman”——无法得到认同。或者是制作方作出了这样的判断——我觉得这是对《A》系列来说最大的不幸。在受到“スポ根モノ”洗礼的当时,能够轻而易举地将敌人粉碎的无敌的超人是很难受到早期观众的支持的。制作方作出这样的判断或许也是无可奈何的。在《杰克》刚开始的时候所策划的《赛文》翻拍计划(未制作)中也认为“上一部作品中的赛文过于强大了”、“连赛文也打不过的敌人是存在的”,显示出某种反省之意。
      但是,在此之前作为超越人类智慧的绝对存在而被塑造出的“Ultraman”形象突然变成了必须拼命努力的浅近的存在,对于儿童的情感来说也是难以接受的。《杰克》中也是,有不少对黔驴技穷又被怪兽胁迫的ultraman的描写,相当的压抑。而这“形象的蜕变”之最为戏剧性的动向显然是在《A》系列之中。然而正因为它旨在展现神话般的雄壮世界,这一变化才给儿童观众留下了鲜明的印象。
      在这一系列中,第5集的大蚁地狱是最早显示出这一预兆的。之后的第7、第8集与妖星考拉和美特罗星人Jr.作战中A的败退以及第13、14集中Ultra兄弟的败北使得英雄形象急转直下。第13集中Ultra兄弟甚至被钉在十字架上,《A》几乎走到了与市川所描绘的世界完全对立的另一头。何况第14集的脚本还是市川亲自执笔。说到第13集(脚本为田口成光)、14集,我觉得可以理解为与市川策划原案的诀别(我记得文章中曾提到剧中十字架的设想乃是市川的建议)。事实上,尽管是主要执笔者,14集之后,市川就没有再写过《A》的剧本,在即将完结时所写的2集(第48集贝劳克恩2世和最后一集)也是在TBS的桥本制片的劝说下勉强写出来的……
      结果,由于原本设想的形象和在外界压力下不得不扭曲的情节之间产生了太大的分歧,市川就此搁笔。
      《A》的最后一集,是与其他Ultra系列十分不同的结尾。战胜了超兽JumboKing的A给地球人留下了这样的话:“希望你们即使被背叛数千次,也要相信友情。”这句话仿佛是市川对原本意欲通过其来描绘、实现自己的梦想、结果却不得不违背本意的《A》和Ultra系列所吐露的自我剖白,令听者非常痛惜。从结果来看,最初策划时市川所创作的元素到了系列结束几乎所剩无几,仅仅剩下被此后的系列继承下去的“Ultra兄弟”的设定,反倒是Ultraman形象此后一直向着“浅近(卑微)化”发展下去,实在是个讽刺的结果。
      虽然这里说的都是些消极的言辞,但在《A》中除了“显”剧情之外,又另外包涵了一个庞大的剧情。值此契机,我突然想把它重温一遍了。
    02/11/2006

    未来へ飛び立てウルトラマンの光を信じて

      1994年2月,我在上海第一次看到了ULTRAMAN A,第一次看到了小光,从那一天起,我一直把她和小奥看成榜样,不断从他们的故事中获得心灵的慰藉。早已不年幼的我迄今还是和千千万万的追星族一样,渴望能够接近自己的偶像。终于,在今天,还不到24岁的我在经过了12年零8个月的期盼之后,第一次,在奥特曼诞生的国度里看到了最新上映的剧场版——圆谷公司和松竹映画为纪念奥特曼诞生40周年而特别制作的《梅比乌斯奥特曼与奥特兄弟》。
      12年零8个月的漫长等待,以至于走进那家偏僻的电影院时像是踏进了仙境。今天是周四,Lady's Day,所有女性观众都可以享受1000日元的优惠价。我穿过一排排的游戏机,冲到售票小姐面前,“欢迎光临。”小姐微笑招呼。“你好,我要奥特曼!”我发誓,今天我的日语说得绝对没有打结,只是我背不出电影的名字,并且在此时,究竟是哪只奥和哪只奥已经不重要了,他们是小奥,这个意义重大。
      放映厅里意外地只有我一个人,安静,温暖,之前我还在地铁站里买了一袋草莓巧克力,庆祝我与小奥在日本的相会(可惜放映前两分钟又进来一个男性社会人,天啊,这是儿童向,今天是Lady's Day!大喊大叫手舞足蹈的幻想破灭了-.-|||还好那男子坐在最后一排的角落,并且容忍了我夸张的动作和尖叫,看来也是来怀念童年的,可是他……不上班么?)幕布拉开,灯光渐暗,正式放映之前还放了一段很长的美国电影预告片,吓得我个土人还冲出门确认我没走错放映厅——我要看40周年特典,不要看其他电影的预告片!
      片头里,带着可爱微笑的五十岚隼士向大家介绍了GUYS队的战斗机等等道具——讽刺的是,这部电影完全没有GUYS的用武之地,完全成为了华丽丽的奥特家族片。影片第一秒,荧幕中间出现一枚蓝色的地球,我的心随之起伏。初代、赛文、杰克、艾斯一起追击一只巨大的亚波人怪兽(话说该怪兽的造型大约抄袭了凤凰星座圣斗士一辉同学的圣衣)第一个出招的是我家A,第一个被摔倒的是A他哥杰克——这个设定似乎不太对,北斗同学怎么可以抢乡哥哥的风头!4只小奥一起用了一个从未用过的招数把这只怪兽封印在了海底,而他们也因此而失去了变身的能力。
      (下面是人间体老爷爷们的出场)
      神户是日本最大的海港城市之一,跨海大桥、高楼林立。一家高级餐馆里,美丽的小姑娘正在吃饭,不小心把玻璃杯碰落了下去。眼看杯子就要摔碎,说时迟那时快,一只手接住了美丽的玻璃杯。玻璃杯也许很普通,但那只手上的戒指却不普通(我大叫了一声北斗,泪水夺眶而出)。镜头一切,一顶厨师帽下是我最最熟悉的咧嘴笑脸。尽管北斗不是我最喜欢的男人间体,但我曾有那么多个日日夜夜站在小夕的立场上牵挂着这个热血男。如今,他的笑脸依然俏皮,但额头的皱纹柔和了脸上的线条,增加了几分温暖人心的力量。我终于明白了为什么有那么多人会喜欢北斗,显然我当年是一心恋着小夕,为她落寞的爱情而扼腕,结果才完全没把这男人当回事——事到如今,我还是要说,他根本就配不上我家小夕嘛,怎么能去中华料理餐馆,应该去孤儿院打义工!
      赛车场,一群小朋友们围着教练,乡终于还是在跟他的离合器方向盘打交道;诸星团一副牛仔装束似乎在做导游;最玉树临风的是早田同学白发苍苍德高望重工程师状……
      GUYS的日比野未来队员驾驶飞行器(忘了名字,还是遵循昭和系的传统吧)前往神户协同调查,遇到了14岁时曾在GUYS少年队接受过训练的绫(或者彩或者亚也反正是Aya)这小姑娘出落得伶俐可爱衬托出未来的呆。在调查中,未来得知Aya的弟弟曾经在3个月前遇上过一次怪兽,当时,吓坏了的小朋友眼巴巴地看着自己心爱的狗狗被怪兽用山砸死(想起了仙剑……)因为自己没能保护狗狗而万念俱灰的小弟弟从此一蹶不振,连见到了一直崇拜的GUYS队员也出言顶撞。未来想方设法安慰、开导弟弟,却始终很难打开小朋友的心门。这时,他听到一个声音说:人心是复杂的(原谅我忘记是谁说的了,但我觉得应该是乡,参照什么“自然是伟大的”)于是他回头看见了4个哥哥(啥?那也就是说小梅正式被列为第7个弟弟了?)大家围绕被封印在海底的怪兽交换了情报,会谈在亲切友好的气氛中进行。4个哥哥当年都是带小孩的高手,轮番向弟弟传授了争取小孩信任的高招。“信任的力量会成为勇气(信じる力が勇気になれる)。”“最重要的是永不放弃,心灵的坚强会成为勇气(一番大切なのは最後までも諦めない。心の強さは勇気になる)。”“而这勇气会将不可能变为可能(この勇気は不可能を可能に)。”于是未来和弟弟约定,一定要相信小梅,只要这番心意能与小梅相通,下一次小梅战胜怪兽以后一定会做出“V”的手势。后面的内容就是姐姐被绑架,亚波人变出了假小梅,好在未来硬撑着赶到揭穿了骗局。几次三番恶战之后4个哥哥纷纷变身,几次三番互相搭救。最后佐菲和泰罗赶到,7只小奥终于再次把怪兽封印回海底,4个哥哥也还能变回人间体,本片结束。V——
      由于小梅是一部复古的作品,所以把他和6兄弟放在一起显得特别和谐,6只皮套都是重新制作的,特技演员显然也都换了新人。初代的脸甚至还像过去一样布满青春痘,除了小梅的皮套略显臃肿之外一切都是那么华丽。4只变身的时候都使用了昭和系剧场版里的镜头,当时的特技那么傻,傻到有一个名词叫作“光学作画”,片场里堆满汽油桶和硬纸板,但昭和系所宣扬的精神——科学、守护、勇敢、信任、友爱——一直被坚持到了现在。剧中人物设定是符合昭和系TV版原意的,看到小梅被亚波人囚禁,北斗立刻要去帮忙,团却不同意,认为4兄弟连自身的性命也得不到保证,白白去送死只会将地球推进更深的深渊;乡站在了北斗一边,早田站在了团一边。然而北斗说:没有了我们,还有人类自己~于是4人才开始行动,真是深思熟虑+猪突猛进的兄弟档啊。由于怪兽竟然是亚波人,所以在特技上采用了与A一贯的做法,仿佛所谓异次元空间的人就是看起来像是水面上浮着的一层汽油。激烈的打斗场面由电脑合成,由于不需再吊钢丝,小奥的飞行速度比昭和时代加快了许多,但明显合成画面不如皮套来得华丽,皮套有一种光泽和神韵是电脑合成不来的,我始终坚信。
      
      (下面进入花痴阶段)
      首先有一个疑问,关于导致4兄弟无法变身的战斗,俺听得明明是“半年后,神户港海洋发生异常”,怎么后面整部片子里提到这场战斗都是“20年前”?天啊,4只小奥失去变身能力在日本隐姓埋名20年?可怜的孩子们啊,爹妈怎么不来救你们啊?谁守卫火星来着?乡哥哥你竟然胆敢不娶留美子!诸星团你跟安奴怎样?最莫名的是早田大哥,您不是在最后一集里跟初代划清界限了吗?Zoffy哥哥“萨夫利”同志不是送您一条命么?为什么您之后五次三番还能变成初代!——可见失去变身能力只不过是借口,根据剧情需要可以让他们变不回人间体or变不成奥特曼,太过分了,奥特老爹,您快来蹂躏一下编剧!
      其次那么多怪兽在太空里蹦达,为什么偏偏选择了亚波人?再说亚波人在A里就已经被“彻底”消灭了2次了,竟然还能在14年后再出来蹦达还连累4只小奥不能变身?看来这一次编剧学聪明了,在片尾,亚波人只是被“封印”而没有被粉碎,应该是在为50周年纪念作品做铺垫。然而,亲爱的编剧,50周年的时候还有几位爷爷奶奶能陪着我们一起蹦达?还是打算让迪加、小梅在轮椅爷爷们的指点下率领更年轻的小奥上前线?如果真是那样,请问他们还跟亚波人有啥关系?为什么不是圆盘生物?
      我觉得北斗那戒指好像比72年版华丽了,好在他今次没有喊出“奥特合体(Ultra Touch)”的惊悚话语,强烈要求高峰圭二和小光各戴一枚饮交杯酒!显然老爷爷比老奶奶更容易掩饰年龄,本剧场版剧情内未见任一老奶奶出现,甚至连实际上一直活跃在奥特演艺界的樱井浩子也没有弄点龙套角色出现(这就是我的错了,华丽丽的大制作怎么能让女一变龙套!)
      GUYS的小姑娘们不好看,还学得像是山本百合子+ZAT男一般的油腔滑调好吃懒做,这么说也许过分了一点(我指对百合子),但确实百合子是最居家的女队员,特别是头发剪短以后一点也没有剑道4段的风采了。感觉未来似乎和任何女性角色都不太配啊,不像昭和系,我们立刻就能从人堆里认出那个属于主角的Miss Right;不过平成系好像没有让Miss Right们死掉过,相比之下昭和系太血腥了。顺便说,本片统共只挂掉了一只可怜的狗狗,真是小奥系列在人道主义上的一大进步。
      为了显示小梅与昭和系的亲缘关系,小梅不仅重现了姐弟组合,更加让“救小狗”这一主题从TV版贯穿到了剧场版,希望下次能够换成救小猫。GUYS队员素质参差不齐,感觉太幼齿,当年的TAC队一群人也没比他们大几岁啊,成熟多了。姐弟档也是,看过小梅再想想星野、次郎和段,这群小孩怎么可以那么勇敢?健一戏份不多就不讨论了。
      下面严肃批评筱田三郎同志。如此华丽丽的40周年作因为你的缘故竟然没有出现东光太郎的脸,这应不应该!第一你是现役男优,舞台TV电影都有涉足,fans遍布日本列岛;其次跟你一样享有盛誉的森次晃嗣也不顾自己年迈发福、更加发福的团时朗哥哥甚至还染了花白胡子,于情于理你都不应该怯懦!第三泰罗一直是6兄弟中最被宠爱的一个,小夕都没有做饭给北斗吃过你还听过小夕弹钢琴,结果泰罗同学好意思在20年后飞到地球上来说一句什么“我们来晚了”吗?人家佐菲大哥是没有人间体,你、你给我说,你溜到南太平洋哪个岛上钓鱼去了?说到这里,我突然想起来其实也不能完全责怪筱田,因为在泰罗第53集中光太郎同学把变身徽章还给了老妈,可是早田不也跟初代一刀两断了吗?如果不是因为筱田的原因,编剧至少可以让光太郎和ZAT队在片中露个脸吧?我美丽的森山泉T_T
      不过我美丽的留美子也没有出现,出现的是坂田秋兄妹,看来能够载入史册的始终是初恋。及至A估计大家全都不记得梅津姐弟啦,什么?香代子是谁?A中的女一显然从始至终只有小夕!神奇啊,有22集没有露面的主角……传说中的安奴我终于看见了一张侧脸,哪位高人来给我讲讲她和团的故事吧……似乎也是史上怨念极大的一对怨偶。
      接着我要郑重辱骂编剧同志,虽然本片叫做小梅与6兄弟,但是奥特爹妈也可以晃一个镜头的吧?既然连爱迪、乔尼亚斯和迪加都出现在了回顾镜头中,为什么偏偏没有我家雷欧!不错,雷欧兄弟属于旁枝末节,但是凤源好歹是诸星团的门生吧?如果不是为了什么保卫地球,小源难道不是幸福的跟百子生活在一起!还有我美丽的星凉子,奥特公主都没有资格吗?麻烦50周年请务必完整,不要因为人家收视率低就抹消人家的存在……
      最后我要隆重的感激一下本片策划。剧中多次穿插了昭和系TV版的画面,我看到了MAT忠厚的南以及我最最热爱的TAC美丽的南,我一眼就可以辨别出那是妖星考拉和死刑奥特五兄弟里的画面。可惜没有认出来关西小帅哥冰川清到底演了谁。以后请记得把演员表打在前面(合肥的电影院现在都直接掐掉片尾的,无耻!)最后片尾的40周年PARTY太令人感动了,我先是在友情出演里看见了小光的名字,接着在镜头里看见了樱井阿姨、菱见百合子阿姨,还有池田骏介(MAT的南猛)……看见了小光做华丽妇人姿与高峰圭二举杯。不得不说她这身装扮太华丽了,于是这部电影我是从头到尾流着泪看完的。以上。

    最后盗用两张UltramanA.com上的照片,这是7月17日40周年那天举行的见面会。樱井浩子、我家光、菱见百合子
    01/11/2006

    有岛武郎故居行——赠tanizaki先生

      上周五吃过早饭,抬头看看太阳竟然已经偏西。我踩着自行车去了离宿舍最近的地铁站,从那里乘车到了一个叫做真驹内的地方,再换乘公交车来到了位于札幌郊外的札幌艺术森林。此行的目的原本只是为了一个城市空间艺术展,但当我看到游览地图上标着“有岛武郎旧宅”时,立刻激动的决定要去瞄上一眼。
      从空间艺术展的展厅走出来,不多远就看到一栋被红顶的白房子掩映在树丛之中。门口有一位工人正在打扫落叶。这栋房子给人的感觉出奇的好,第一反应是会想起win98里有一个类似画面的屏幕保护。推开门,把鞋子放在玄关外,里面的阿姨立刻抬起头来跟我打招呼。札幌的10月底已经开始变冷,尽管室内生了火炉,但还是能感受到树林里的寒气。阿姨找了份房子主人的介绍给我,还特地找出了中文版来。柜台上摆了一排关于有岛的论文集,其中就有俺当年大抄特抄过的辽大刘立善同志的著作~顿时感到十分亲切。阿姨说可以随意参观、拍照,只有楼梯上挂着的油画除外。后来我才知道不能对油画拍照倒也不仅是为了保护,而是为防止伪造。屋子里的图画、报纸、文件、照片都是实物。在国内,如鲁迅故居是断然不允许触摸拍照的。
      有岛武郎,除了如我们所知的是白桦派的代表作家之外,也是一位画家。北海道大学现在依然存在的“黑百合会”就是武郎所创办的绘画同好会。屋子里挂了不少武郎的速写和水彩画,这些都有被印成明信片。武郎在札幌农学校(北大前身)念书时借住在新渡户稻造家中,而这所房子在武郎身后也一度被作为北大院生寮供学生居住(很大很大的阿~)。关于武郎的生平,我就不多叙述了,google比我的脑子好用,呵呵。
      (话说,这段时间在北大博物馆里正在举办新渡户稻造“武士道精神”的展览,当然也与有岛同学密切相关。)
      刘立善翻译过有岛武郎的论集《爱是恣意夺取》,有岛本人的经历也可以应证他这一思想。夫人芳子去世n年后,有岛与新闻记者波多野秋子殉情。关于这段经历,故居的阿姨饶有兴致的向我八卦了很久,甚至搬出了厚厚的有岛文集。原来,这位波多野秋子是艺妓的私生女,从小被一位波多野先生看中,波多野与自己的妻子离婚之后娶她为妻,不惜重金栽培她成才。然而秋子还是爱上了有岛武郎,两个人经常私会。波多野知道之后便向有岛敲诈勒索,扬言否则便告他们通奸之罪。有岛的朋友甲代有岛支付了一笔钱,但有岛知道后却非常郁闷。一方面,他不在乎去与波多野争夺这位女子,但波多野却不愿“竞争”而仅仅是“出售”。笃信基督教的有岛当然认为这是对自己爱人的不敬。另一方面,波多野对秋子的恩惠也成为两人面前的一大难题。最后两人不得以而殉情。——关于这位波多野秋子女士的身世,乍一看来颇似陀思妥耶夫斯基《白痴》中的娜斯塔霞·菲列波夫娜,只是那部小说俺没看完,只记得最后应该没有人死。说到这里,不得不提到《白痴》这部电影在日本也曾被搬上过银幕,而饰演(ms是)男主角的森雅之正是有岛武郎的长子。这实在是一个大巧合啊~