新新's profile星空叙事曲PhotosBlogLists Tools Help
    28/10/2007

    一大片天空

       *Laure,原谅我盗窃你专辑里的歌名
     **这几天修改几年前的文章,仍然不时会落泪,我是不是太自恋了
    ***我想我现在放手是对的,就像我当时拥抱是对的。下一次,就会是“我想我当时放手是对的,因为我现在拥抱是对的”。
      多数人总喜欢说我们还年轻,说得像还有无限可能。然而唯有过去的时间,才是真正属于自己的。

    子ども


    私の故郷安徽省は南部に美しい山脈がうねりながら長く続いて並んである。そのなか、黄山という世界にも有名な山がある。数えない観光客が毎年も各地から絶えずに来るおかげで、山裾の町は周りにふさわしいほど賑やかになってくる。

    3年前の夏休みには、一人で黄山に行って、山裾の旅館で同じ上海から来た親子二人と知り合いになった。父は有名な通信研究所の所長で、娘は名門高校に受かったばかりであった。彼らにはもう4人の仲間が居た。父の部下で新婚のカップルであった。このような6人は旅行会社に頼まなく、その時まだ流行っていないセルフサービス式のツアーを選んだ。私もそうであった。一人でこんな美しい境に行くのは珍しいが、友達を誘いたくないわけではない。

    春の学期が始めたばかりのある日、いつも笑顔を出さない先生に突然、「秋から4年生になるんだけど、しんさんは日本に留学に行きたくないか」と私に聞いた。「えっ」とびっくりした瞬間が過ぎた後、先生に「はい、今回のチャンスをぜひ私にください」と答えた。
    それから一人で無理に研究計画を書いて、いろんな手続きを済ました後、先生は在留を待っていていいと仰った。しかし、入学が9月となっている短期交換留学プロジェクトは8月中旬過ぎたとしても、選考結果についての知らせとかは一言もくれなかった。このまま4年に入り、院試か就活かすぐしなければいけないことが日本で本場の日本文学講義を聴くことに取って代わっちゃうよ、と独り言を言っていた。こんな状況に対して、先生は「さあ、実は昔も同じだよ、みんな同じように長い時間を待っていてから日本に行けたので、今度も多分同じ状況だろう」と仰った。
    「そういえば、来学期の発表については、日本に行く前までに、先にやりなさい」
    先生が考えるのは、やっぱり一人の学生ではなく、クラス全員のことである。
    クラスメートはこう言った。
    「日本に行ったら、そっちで東大か京大の大学院に進学ができるね。こっちの院試とかさ、もういいよ」
    それに、高校時代の親友、今は違う大学で就活でさんざんなめにあったさまな人も、私のことを聞いたら、「いいんじゃない」「日本で働け」って言った。
    しかし、自分はまったくそう思わなかった。日本語を勉強する目的は、故郷の学校で日本語を教える教師になるのだからである。だいたい日本のことを勉強している人は、日本より中国で就職したほうがふさわしいと思う。
    「だって、自分の国のことは、まだ知らないのはいっぱいあるんだから、外国人に何かを教えるわけはないんじゃ」

    その頃、私は本気にそう考えていた。けれども、いったい留学は行けるかどうか、まだ分からなかった。しかし、分からないまま前には行くべき。これは人生ということである。

     黄山は、西海、東海と北海に分けられる。ツアー初日の午後、同じ旅館で泊まる人たちと一緒に黄山の東海大峡谷に向かっている。
    「しんさんは、明日は一人で登るつもりですか」途中、父親のおじさんは私に聞いた。
    「はい、たぶん一人でですが...」明日の計画さえ知らない私は、やはり少し不安であった。
    「それじゃあ、私たちと一緒に行こうよ」カップルの一人のお姉さんは誘ってくれた。
    「明日は西海大峡谷でしょう。あそこは桟道ばっかり、登りつらい。観光客も救急員も少なさそうで、すごく危ないわよ」
    そんなことを聞くと、私は急に頷いて、「お願いします」と6人と約束した。

     

    翌日の朝4時ごろ、みんなリュックを背負って西海に出発した。黄山は初めてきたが、高校時代の遠足ではクラス全員一緒に万仏山や天柱山(同じ安徽省の名山)を登った経験を持っている。ところが、昔と違うのは、今の私は一人なのだ。高くて、険しい山に一人でいるのである。前に黄山に行きたいって言ってた親友は彼のお母さんに強く反対された。
    「だめだ。君たちまだ子どもだからもん」
    ほかの親たちも殆ど同じ。実は今回のことを、両親には一言も言わなかった。

    大学の推薦を受けて、日本留学の手続きをした時、母は「日本には行かないでほしい」と言っていた。
    「なぜ?せっかくなのに…初めて『赤いろうそく』を読んだ時はもう日本に行きたい」
    「一人で遠く行くな」
    「せっかくだから。うちのクラスはみんな行きたい。けどチャンスはなかなかないよ。先生ももうそろそろ四年生だからチャンスを三年生にやろうってずっと反対してたんだよ。だからこのチャンスは、このチャンスは、ずっと頑張ってきたからだ!」
    親への不満は実はもう一つがある。父は上海出身で、文化大革命のせいで安徽で働くようになった。忙しければ、年に一度も実家に帰られない。定年になったら、どうしても上海に戻りたいのも一つの理由をして、上海の大学を私に受験させた。小さい時からずっと北京大学に憧れているが、結局上海の大学に受かった。北京に行っちゃった友達と離れ離れになってしまった。
    だから今、私は一人ぼっちになった。だから一人で黄山にきた。

    黄山には父と母との結婚旅行の記憶がある。しかし、親の愛の証を見てみたいというより、寧ろ一人の能力を検証したかったかもしれない。将来、日本人の友達に故郷を紹介する時、「いや、美しいそうだけど、登ったことはない」というような恥ずかしくなる必要もなくなる。こう考えると、大学の電子掲示板に載せる黄山についての文章をしっかり読んで、コースとスケジュールを決めて、山裾の小さな旅館を予約し、食物と飲料水を用意し、そして、汽車の乗車券を買った。
    これをおじさんたちに打ち上けて、彼らは「一人で全部やったのはすごいですね」と褒めた。しかし、おじさんは自分の娘に「子どもだからやはり両親に教えたほうがいいよ」も言った。重い荷物を背負っている娘はもう少し疲れそうで、目を見張って、軽く頷いた。

    西海大峡谷は観光区としてまだ若い。開発はつい最近なので、道は凸凹で、小売店もない。若いカップルは手を繋いで、速く前に走っているが、私は最後で、気をつけて気をつけて足を踏み出している。この真ん中に、おじさんと娘は歩いでいる。
    おじさんは黄山に来たのは3回目で、山登りには豊かな経験を持つのである。
    「玲ちゃん、歩く時、身の横の草を掴みなさいね」
    「玲ちゃん、リュック重くない?渡して」
    「玲ちゃん、見て、杖をこう使えるぞ」
    「玲ちゃん...」

    声が耳に絶えない。もし自分が娘だったら、ぜったい我慢できないと思うが、今他人として逆にいいお父さんしか思わない。いいね、娘を連れて旅行するというふうに、気持ちは微妙な変化が起こった。娘の顔は、すごく平気で、おとなしく受け入れそうである。
    あっ、娘にとっては今一緒にいる人はみんな大人か。自由に話せる仲間はいないんだ。かわいそうなあ、と彼女に同情を寄せた。
    でも、私がこう考えるところで、娘は何も言わなくて、父の荷物を奪って、自分の肩に載せようとした。あっ、すごくいい子、と私はまた考えた。

     

    大峡谷の素晴らしさは言うまでもない。たぶんいい景色の影響で、インスタントかゆぐらいの食べ物もすごく美味しく食べた。お昼の時間、おじさんまたいろいろ聞いた。
    「日本語を習うのは自分の考えですか」
    「自分で選んだのです」
    「両親の仕事とは関係ありますか」
    「まったく関係ありません」
    「そうか。そういえば、お父さんの年は?」
    「父は午年生まれです」
    馬の属相を聞くと、隣にずっと黙って食べている娘は笑い出した。自分のお父さんも馬だからである。これは私が見た娘のただ1回だけの笑顔であった。

    午後の旅は午前と同じ、娘は相変わらず重いリュックを背負っているが、おじさんは殆ど荷物はない。いい子どもだなあ、いつも父のことを気遣っているとずっと考えていた。自分のことを考えると、なんとなく恥ずかしくなる。ただ、恥ずかしくても、黄山に行く前、親に「上海でアルバイトをする」と嘘付いたことに後悔はしない。必ず主峰に登って、無事にお土産を持って帰ると思っている。こんな私はよく親友に「いつも我が儘な子どもだなぁ」と言われている。

    夜、晩ご飯を食べた後、おじさんはみんなを集めて、明日のコースを打ち合わせている。
    「僕は明日主峰の蓮花峰が登りたくないんだけど...」
    そうだね、もう3回目だから、おじさんは娘とゆっくり写真が撮りたいとは当然である。けれど、登らなければ、私は満足しない。
    「どうしても登りたいなら、しんさんは一人で行くようになるよ。危ないよ」
    しかし、せっかく黄山に来たのに、蓮花峰さえ登らない自分は徹底的に失敗すると思いながら、一人で行くのにした。

     

    おじさんたちと別れてから、今夜泊まる山小屋の前の空き地に腰をかけた。その6人と一緒に歩いてきたんだからこそ、今まで一度も不安に思わなかった。これから未知の明日を考えらなきゃ。自信はないわ。でも、一人の旅行は、元々の計画じゃないか。
    明日が近づいている。目の前にホテルもある。明るいライトの下に、家族を連れてきた男、恋人と一緒にきた女、親の手を繋いでいる子どもがいる。人々の笑い声が夜の風に乗せて、松の梢を掠めて、耳に入って込んだ。なんで今一人でここにいるのか。後悔する気持ちがやっと浮かび上がった。もしも、明日うっかりと転落したら、傷ついたら、荷物なくなったら、と妄想に陥った。
    だから、親友の選択は正しい。どこか行くのは、やっぱり親と一緒にであれば一番安心である。大学の専攻は自分で決めたが、どこの大学に入るかは親が決めたのである。北京に行けなかったけど、自分で百ぐらいの大学から一つを選ぶのよりずっと楽であった。何か不満があったら、親に文句を言ってもいい。逆に、全部自分で決めた人も、その時なんでアドバイスさえくれなかったと親に言う。私たち、まだ本当の困難にチャレンジしたことはない。親から卒業したくないなら別の話であるが、自分のようなやり方はそれよりもっとまずいかもしれない。だって、いつも自分でやる、一人でやると口ばかりかっこうつけて、実際の心奥にはまだ子どもと変わらない。

    そうだ。私の親友は、今、何をしているのか、知りたいなあ。

    旅人が多い。空き地にもテントがとんとん出来上がった。ライトは次々と消えていって、昼間の賑やかさは知らないところに戻った。人々も自分の居場所に戻った。しかし私の居場所は誰のそばであるのか。目をあげると、静かな星空に数え切れない星が瞬いている。

    星はたまにも寂しいでしょうか。

    携帯で親友には電話を掛けた。
    「もしもし、私、今黄山にいるよ」
    「マジ?お父さんと一緒なのか」
    「ひとり」
    それから、親友は「留学のことはどうなった?お母さんが反対しても行くか」と聞いた。
    「うん、もう決めた。けど、大学の交流交換生としても、ビザを取れない可能性もある。だから、行けるかどうかまだ知らないんだ」
    「頑張って行ってね。例え今回行けなくとも」
    「何で、突然にそんなに真剣に」
    「君の夢じゃ。難しくても、一人でも行くのは君だ。時々、俺は君のことが羨ましいよ」
    バカ、今はそんなことを言うタイミングじゃないさ。目が濡れるようになった。
    「黄山はきれいでしょ」
    「綺麗ですよ」
    「気をつけて」
    離れていても、相変わらず優しい親友だ。私もうこれ以上堪えられなくなった。
    「ねえ、何でほかの人はみんな仲間がいるの?なんでこの前、私のことを我が儘と言ってたのか」
    暫く黙った後、親友は「聞いて、今君が見たのはすべてではない。たぶん明日はもっと多くのひとり、ひとり、ひとりと会える。誰でも一人ぼっちの時が必ずあるよ。でも、ずっと一人ぼっちの人間はいない。ほら、さっき褒めたばかりなのに、また泣いちゃった。まあ、私たちまだ子どもだ。君もそう思わないの」

    ついに涙がぽろぽろと零れた。高い山には、空が近く見える。都市よりもっといっぱいの星が見えて、眩しくて、子どもの時の童話世界にいるみたい。

     

    第三日、一人で蓮花峰を登り、写真を撮って山を降りた。前夜のことを思いながら、歩いていた。

    無事に山すその旅館に戻ってから、もう一度おじさんたちと会えた。おじさんニコニコ笑って、「よし、僕たちと一緒に美味しい徽州料理を食べましょう」と誘った。
    玲ちゃんも大変疲れそうで、顔色が赤くなり、可愛い林檎みたい。きっと十分に荷物を背負って、十分に山を楽しんでいたのだろう。とにかく、よかった。
    おじさんはビールをご馳走してくれた。
    「しんさんはもう大人だから、少し飲んでもいいでしょう。玲ちゃんもよく頑張った。褒める。これからもお兄さんお姉さんに習ってね」
    「それでは、それぞれノ成功に乾杯~」
    「乾杯~」
    私と玲ちゃんとコップをかち合わせる。すっきりしたいい音が聞こえた。

    彼女も誰も、前の夜に泣きながら電話を掛けた私を知らなかった。

    ****

    あれから3年間。玲ちゃんもきっと高校卒業して、大学生になった。もしかして、かつての私と同じ大学かもしれない。その時の交換留学プロジェクトは、結局やはり行けなくなった。よくあることだって、先生は。
    でも、その時の夢は1年前に叶えた。子どもであっても、いつか必ず一人で歩くようになる。

    26/10/2007

    そして、結婚へ

    男の恋愛は名前をつけて保存
    女の恋愛は上書き保存
    そして、結婚へ。。
    今日の徒然草に松本が書いた言葉でした。素晴らしい~
    24/10/2007

    いじめ

    いじめ在这个世界上是广泛存在的
    基本上,在每一年特定的日子偶都会被いじめ
     
    发信人: deliver (自动发信系统), 信区: FDU_F.L.
    标  题: 封禁antonia在FDU_F.L.版的发文权限
    发信站: 日月光华自动发信系统 (2007年10月24日11:53:58 星期三)
    antonia因:
    违反执行办法6.28.1及附则1第F1.1.2条,发表与版面主题不符内容的文章,影响讨论秩序
    应被封禁FDU_F.L.版发文权限1天
    请在处罚期满后(2007.10.25), 向goldenflying写信要求解除处罚.
    如不服本决定, 可以联系处罚决定人或在7日内到Appeal申请复议。
    P.S.:
    执行人: goldenflying
    我只能说,这个版主的脑子被乌鸦打过啦~
    20/10/2007

    白色毛衣

      这个星期,我一直穿白色的毛衣。有两件,一件是从家里带来的,在家里穿;一件是以比白菜还便宜的价格买来的,出门穿。
      从家里带来的毛衣比较温暖也比较好看,但是出门穿另一件,是因为不怕弄脏。我就是这样,喜欢的东西,总是自己一个人宝贝着。
      我觉得开衫比套头衫穿起来娴淑,尽管我不是怎么娴淑的样子。EE说,你像个男孩子。这句话,便在心中盘亘了10多年。
     
      这个星期,开始打工。跟其他留学生相比,简直是在天堂散步一样的工作。但是,才第二天,就被S先生撞了个正着。我:……(躲)。
      不久前才被相马阿姨说过,不支持学生打工。如果是M2的松本同学,一定要做出鄙夷的表情说:你这拿奖学金乱花钱的中国坏人!
      但是我下个月房租交不出了快。那么我到底有多少钱呢银行里还。我不知道。
     
      回来以后一直在感冒,或者头痛,或者咳嗽,17大一次全会闭幕了,会议精神尚未学习。现在,也没有人抓着我教育or让我去教育别人了。
      每天都很想去研究室。但最后总是没有去。路过的时候习惯性地往里面看一眼。13条门的银杏开始黄了。
      我才知道“第三年次编入学”是接受其它大学的本科毕业生的。那末,我可不可以退学去考这个……我真的不是想 研究 啥啥的人
      要末,下周四那天闯红灯被警察抓起来关两个星期也是好的。
      我觉得,我在变得娴淑的同时,变得懦弱了。但是,テーマ是一贯没有的。
     
    19/10/2007

    餃子パーティー一回目

    すばらしい半成品成品美味しそう
      4月刚开学不久,一日,在中央图书馆偶遇P同学。P君滔滔不绝地大谈了对梅干的热爱,以及对上海物价的感慨——那时候是低廉——末了,话题一转,等你搬家以后我们去你家开饺子Party吧~于是,在这个目标的指引下,我租了现在的房。优点:离学校近,坐得下,完全的Party向住房。
      于是,搬好家了,买到书架了,Mickey同学每次见到我的问题就是:什么时候饺子?
      原来,因为感冒,是我赖了半个多月的帐啊~
      P君做事雷厉风行(连芳芳都赞许不已哎),(在周三下午)立刻决定周四晚举行Party。藤田省三如果知道了,一定会推举P君做为具有“决断”精神的代表人物。
      周四K先生的讲义,我要报告,周一写完第一版提纲之后,对马克思主义重新发生了浓厚的兴趣,结果历时书已经完全读不进去了,结果周三晚上,冒雨跑去了Big House采购白菜猪肉面粉,还有Mickey君要的辣油。又跑到霜星寮扫荡了从前常用的那些包饺子工具。提纲在高桥同学的建议下被我砍掉三分之二的字数,看上去很美,可是,这三天来对于原文的理解,一点也没有得到提高。更加恐怖的是,下周的演习怎么办?
      暂时忘却这些,跟大家愉快的生活在一起吧。
     
      下午下课回到研究室,P君说三年级的两个mm来不了了,正好M2的中国jj在,P君便盛情邀请之,于是,击破M2松本同学“中国人之间真冷淡啊”断言的结果出现了~P君实在是太有组织天赋了,赞之。可是,P君要去打工,晚上8点才下班,所以,包饺子的乐趣就只好由我们来享受了。之后,P君用甜言蜜语描绘出的蓝图就不攻而破了。(照片里的饺子女王)jj说:我以为只是吃哎,原来还要我动手包-.-~原先说好要把和面的活儿交给Mickey君的,而现实却是:大家拼命揉着面团,擀着饺子皮,我也在认真对待绞肉和白菜,只有某一个人提着相机,在大家身后晃来晃去……
      由于孤身一人在厨房与众多调味料一齐奋斗,所以对那边大家是怎样把爱心和热血包在饺子里的具体情况,我是一无所知。接下来有趣的就是,在第一锅饺子出锅的同一刻,P君踏进了大门。还真的如他所说,吃的时候准到啊-.-;后来P君也为我们表演了炸汉堡肉饼的绝活,不免让人感慨:同样是住在家里的小孩,P君明显比Mickey会做菜嘛~~~
      当晚日本ham赢了本年度的又一个冠军,大家期待着翌日的打折,也欣赏着主教练那句シンジテマシタ(去年是シンジラレナイ)。觥筹交错,由于B型占了绝对多数,所以气氛始终热烈(最近研究室关于血型的讨论很激烈,M1的成员为B3A1,虽然大家都不相信Mickey是B型-.~)。在大家扫荡完全部饺子之后,犬和田先生社团活动结束,还是兴致勃勃的前来了寒舍Orz(吃到了P君的汉堡)
      Mickey:你家不算冷啊为什么你说冷呢?
      我:今天一直开着煤气在煮饺子=煤气取暖器呀~
    18/10/2007

    沉痛哀悼圆谷

    晚上回家以后发现网络失调,折腾了将近1个小时发现是某个选项前面的勾莫名地蒸发了
    勾好,网络正常,连上MSN,看到徐行gg发来这么条消息
     
    円谷被tyo并购了……你可以写blog了……奥特曼以后要变成CG片了……
     
    震惊一下,挺了嘎许多年圆谷还是没节操地没决断地选择了啥啥
    不免联想到最近正在读的藤田省三的论文
    嘎多人拼命要阻止大日本帝国滑向战争的深渊,但还是以失败告终
    失败的原因,是因为明治宪法所规定的“天皇制”本身,存在着致命的缺陷
    摧毁任何事物的力量,都是孕育在该事物母体中的,所有只在历史范畴中存在的结构,越是力争完美,就越要走向毁灭,这是社会发展的客观规律
     
    不过我现在写不出来啥,好像我从来都没研究过圆谷的经营问题
    想来想去,想出下面这句话:
    五十岚同学,请检讨为什么你的票房不够拯救小奥!
     
    后记:
    18号K先生的课上,学到了「売家(うりいえ)」这个词,发现用来形容圆谷真是非常贴切。就是爷爷打拼孙子败家……呃……我是不是太刻薄了一点
    15/10/2007

    [转载]初中英语课本的爱情故事

    《九年义务教育三年制初级中学教科书---英语---第一册(上)》
    1994年10月第2版,1996年1月第2次印刷
      关于初中英语课本的误区,我一直觉得Miss Gao和Jim Green他爸有一腿,然后LiLei在第一次去Jim他家见到Jim的妹妹Kate Green的时候就心怀不轨```反正我一直特讨厌李雷,觉得此男猥琐虚伪的要命。还有Jim家貌似很有钱的样子,回英国过圣诞节做飞机,家里还有苹果树```对了又想起来一个证据,有一次他们好像学农去摘苹果,韩美美爬在梯子上,Jim就很紧张的在下面喊Be careful!
      可是韩美美长了一副那种妇女干部的样子,我也不太喜欢。Lucy和Lily里面我比较喜欢Lily。总觉得lily比较单纯,不像lucy那么有心机。(事实证明是我比较有心机```初中英语课本能联想这么多```) 
      想起来还是很令人回味的。还记得有篇课文是问个老太太的年龄,她最后的那句话语音像妖精。
      记得 偶当时汗死 她说的是 it is a secret
      比较诡异的还有那个什么Uncle Wang,创造了一个什么可以飞的自行车,还有一个合成词叫什么来着?觉得他真是科学怪人。。。最最诡异的是有一个电话号码,6098724,是一个对话里面的,我一直记着,而且脱口就出。。。结果不幸在天涯看到竟然有人和我一样对这个号码念念不忘。。。   
      脱口而出的还有:How are you? Fine, thank you ,and you? I'm fine too. 我这个土人一直到现在见了人还老忍不住来这一套```觉得不这样简直没法外国人展开交流```印象比较深的还有李雷和jim玩飞盘那次,jim把李雷的头给砸了,当时觉得jim是成心这么做的,因为这个事情发生在借尺子事件没多久之后。我无比惊喜的发现,竟然狂多人都跟我曾经有过共识,就是Jim喜欢Han Meimei,LiLei也喜欢Han Meimie,但是Lucy喜欢Lilei。我的证据就是有一课,我记得很清楚,“Can I borrow your ruler?”韩美美和李雷坐在第一排,韩美美问李雷借尺子,然后Jim在后面看着他们,眼神十分诡异,就是夹杂着嫉妒,羡慕阴险的目光```然后他旁边坐着Lucy,低着头,我当时觉得是因为Lucy不愿意看到面前的这一幕,因为是女生,不可能象Jim这么感情外露的```所以委屈的低下头```我当时还和我同桌讨论了半天。
      Li Lei,Han Meimei,和Jim Green缠绵悱恻的爱情故事
      这多少让80年代生人有无限的遐思,初中时代的美好回忆又如画卷般展现在了我的眼前。在回忆往昔的时候,我总是很惊叹人民教育出版社的叔叔阿姨们还有那位专到中国来编英语教材的Alexander先生,怎么会起了几个如此经典的名字,让几千万甚至上亿的中国学生反复传诵至今。
      读初中时已然有了点朦胧的男女意识,从那时的观点看来,我就觉得英语课本讲述的就是一个缠绵悱恻的爱情故事:HanMeimei是一个美丽大方聪明漂亮的女孩子,而LiLei和Jim,一中一洋;一个帅气活泼,一个潇洒不羁;少女情怀,谁人可知,据我分析小Han是有可能对LiLei芳心暗许了,而另一方面Jim对韩MM又情根深重,无法自拔。
      这是有实例为证的:当年韩MM课外劳动摘苹果,和树下的李帅哥眉来眼去有点得意忘形了,此时被冷落一边的Jim大叫一声:“Be careful!”由此,关爱之情可见一斑。而韩MM除了简单报以“Thank you”之外,居然又自得其乐地跟李帅哥开始了聊天……
      事情的发展峰回路转,初一下学期,班上转来了两位可爱的加拿大双胞胎——Lucy和Lily,LiLei从此移情别恋,离开了韩MM。综观整个初一下学期,课本上的对话确实以LiLei和双胞胎为主角的居多。此时的韩MM,方才发现了在身边已然默默注视自己有一个学期之久的Jim,从此二人携手走向了幸福的未来```  
      感谢岁月,感谢生活,也感谢人的记忆,能让我们总记得一些美好的过去,忘掉当下的一些不快,并能走向幸福的未来(就像Han Meimei和Jim一样)```
    14/10/2007

    乌鸦与豆腐

    ホームマックを出た頃、一羽のカラスが隣の自転車にとまってます。
    ここにはゴミもないし、何で?って思いながら近づけると、ゴミは何なのかが分かりました。
    今朝、コープで豆腐や卵などを買いました。その後電球を買いにホームマックに入りました。コープでビニールバッグはくれなかったから、卵などをリックに入れましたが、豆腐のはこじめじめしているので、自転車のバスケットに置いたままに離れました。その結果、豆腐は半分ぐらいをカラスが食べました。おなかいっぱいになったカラスは隣の自転車に立てて、満足する顔で鳴いてます。
    もしここは日本でなければ、絶対豆腐をカラスの顔に投げ出します。。。でも、ここは日本です。ここで「ゴミ」を投げることは禁止されてます。しようがない。カラスをにらみつけて帰りました。
    でもお豆腐食べたいなあ~帰り道でまたコープに行っちゃいました。
     
    「カラス?フッ」店員さんが笑いました。「じゃあ、今日二コ目の豆腐、消しますね。」
     
    二回目の買物のビニールバッグには、お豆腐がありました。
    13/10/2007

    为科学遵从科学而作

      我的朋友G某,中国一流大学毕业生,未来的科学家。初中跟我趴一张课桌之前,曾是班级里东厂西厂厂长的角色。此兄平素表情憨厚但头脑极为灵活,认识他以后我总算理解了“眼珠子贼溜溜地转”是怎么一回事。
    08/10/2007

    それから

    (这篇blog原本应当用日文来写才对,但是考虑到近期本人的blog的访问数和留言数锐减这一现状,为了取悦更多的读者,决定先出中文版)


      6月还是7月的某日,Mickey君不知是在哪儿发现了小森阳一“此刻重读夏目漱石”的讲演会海报,特意拿到研究室来给我。起因还是2月份滑雪的时候,归途中,泷泽爷爷跟我谈了一路的夏目漱石。啊,多谢了,Mickey君。

      之后买票,讲演会的会场设在近代美术馆,然而问遍了一般发售预售券的各处,均回答不悉此事。最后只能按照海报上的电话打过去问,一位老爷爷接了电话,描述了n久卖预售券的地点(居然是在家里)。还好就在学校附近,于是跑到人家家里,坐下,买票。我之所以要讲述这个繁琐的过程,是为了说明这样的事实。这场讲演会的主办者,是札幌市教育委员会和“宪法九条协会”,也就是说,是个民间的非营利活动,其主旨与反战反改宪直接相关。在日本,反对修改宪法的人很多,你不能把反对改宪和反美或者反自民党或者反右翼(思潮)联系在一起,更加不能把反对改宪和亲华直接划等号,虽然这部分人都是反战的,但人家有人家的出发点。老爷爷姓鹫泽,年纪大了耳朵不太灵光。跟年纪大的人交谈,我挺犯怵。第一怕自己听不明白他们的表达,第二怕自己措辞不当有失礼节。鹫泽老爷爷说家里研究文学的奶奶正好住院去了,由他看家并卖票。鹫泽家跟小森家交往不浅,但具体的我完全没有听明白……老爷爷说自己年轻的时候在徐州修铁路,虽然不是军人没有上过战场,但也算是战争的助力者……还说要是奶奶在家就可以多跟我聊聊了……

      周四接到一个电话,原来鹫泽奶奶出院了,发现买票的人里面居然有一个中国留学生,于是百般诱惑我在演讲之后发言。——可以跟教授直接对话哦~~于是跟她们约好周六先碰一次头。周六在L·Plaza见到了慈祥的鹫泽奶奶和另外两位阿姨。因为我感冒很严重,她们给了我好多好多润喉糖~~关于提问这件事情我只有一个担心,因为此前博士哥哥告诉我说自卫队有人混迹在集会人群中偷拍照片——其实任何地方都不会有我们天真信仰的民主——万一被捅出去说中国留学生粗暴干涉日本内政,我岂不就完了。阿姨们大笑,说怎么可能呢,至少我们有思考的权利有发言的权利……听起来真的好民主-.-

      于是,周一下午我顶着狂风骑车跑去美术馆听传说中的小森阳一来讲我最喜欢的夏目漱石。讲堂外面排了长长的队,有点出乎我的意料。教授先上台朗诵了《梦十夜》的第一夜,然后开始了演讲……原来在漱石的作品中有这么多地方涉及到战争啊……教授的声音太有魅力,听得我有些恍惚,恍惚中很想回到明治时代去。

      后来就提问啦……被主持人隆重介绍了,问了一个从高三至今盘亘在我心头的问题:《心》里面的先生在遗书中说“我觉得明治精神始于天皇也终于天皇”。这句话,以及这句话与乃木大将夫妻殉死事件之间的联系我一直无法理解(btw有人很ci地在课堂上引用过这句话来说明一个啥问题,结果我更加莫名,现在明白了,引用是可以的,这句话可以套到明治时代几乎每一个方面去,但是仅仅那样的话,是无法触及问题的核心——明治政权与往昔日本政权的不同之处,在哪里?不是在它究竟学了荷兰英国还是德国,而是在于天皇,这个重于富士山的角色的崛起)。天皇的重要性我在这半年里被教育了很多次。教授还说,其实殉死这个行为在明治以前是被禁止的,结果这下维新啦,近代啦,我们不向将军效忠了改向天皇效忠了,所以乃木大将夫妻的行为在当时才会轰动一时。另外还问了一个很e的问题:您希望学习日本文学的中国人以及其他国家的读者,怎样来理解日本文学?教授很high地说:结合作品的时代背景~~阿哈哈,大受鼓舞,我一定要努力为很多很多小说平反去……

      还有一位老先生提了一个很牛的问题:请谈谈漱石与北海道的关系。在我印象中,漱石与北海道毫无关系(这一点上,北海道还不如所谓的“满洲”)。然而,如雷贯耳的回答出现了——

      夏目漱石的本籍地(原籍),是北海道的岩内郡(不知道大家对这个地名还有没有印象,就是我们研究室泷泽爷爷的家乡啦)。但是漱石本人一生中从未踏上过北海道的土地。在漱石(公开发表)的日记中透露过,自己在何时将本籍地迁至北海道。他迁户口的原因(不是为了高考加分)是为了逃避征兵。在日清(中日甲午)战争时,负责北海道开发的移民叫做“屯田兵”=武装移民,所以户口在北海道的人,自然被视作正在服兵役,所以不会被二次征发。漱石就是来钻这个空子的。由此,作家的反战精神可见一斑。听到这里,台下又提出了新的问题:为什么是岩内呢?教授一笑:这我就不回答了。Q:なぜ岩内(いわない)ですか。A:それは言わない(いわない)です。[这种幽默被称作駄洒落(だじゃれ),意为没有营养的笑话]

      还没有结束。演讲会后,鹫泽奶奶和阿姨们又热情邀请我一起去高田屋参加庆功会。据说今年的演讲时间和内容是在去年的庆功会上就决定好的,可见小森教授对札幌这个根据地的青睐。原来小森教授下个月就要去清华演讲,我非常无聊的八卦了一下,他果然认得青山gg啊……吐血,早知道我就死活混到青山gg在清华出人头地然后帮我套个牛教授去念文学555教授很善良的说个么等你毕业回上海了我就去复旦演讲啊555我毕业是要回中国的可是我回不去复旦啊复旦跟我有啥关系我是被伊拉一脚踹出来的垃圾。不过艾姐姐那么喜欢漱石,小森教授一定会很受欢迎的。教授很同情地问我:被点名在100%日本人的会场里发言是不是感觉(阿姨们)很暴力啊~我顿时感受到了一堆哲学概念的重量555念哲学也很开心的反正我这人绝对不适合历史不适合的>.<跟阿姨们谈了很多很多,特别佩服她们在离开校园那么遥远的年代里始终坚持做着自己的研究。

      最后,札幌小森阳一亲卫队队长鹫泽老太太指定了明年的演讲主题:樋口一葉。话说我原先不知道为什么一叶能够荣登五千日元纸币(而漱石却被从千元纸币上撤下了),不知道她为什么会红,但是看完《日本的时代史》之后就豁然开朗了(但是没有摸过漱石图案的千元纸币我死不瞑目啊),想知道答案的人自己去看书。教授立刻撒娇地说:好啊,那要您穿和服在台上扮一叶才行~众阿姨齐齐点头称赞。