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26/01/2009 春节联欢晚会开头没有看到
大山等人的相声,冯巩的小品,赵本山小品里唱歌的小女孩,这几个比较喜欢
毛阿敏不愧是一姐,多年不见,依旧神采奕奕。可怜据说董阿姨只能在苏州上上山寨春晚
对于本草纲目里插辣妹子表示无法理解,但是宋祖英和周杰伦看起来还是挺般配的
各个节目里重复的素材(ネタ)好多,大家不要这样互相抄袭嘛~
0点的时候,抑制不住的泪水夺眶而出(我的神哪,居然写这么……的话)
第五年,第五个春节
不知道改变生活方式以后是不是可以好一点
最近Friends看到第9季,看到Phoebe和Mike那一段的时候感触颇深,哎,至少人家还是相爱的俩人吧
R&R的问题已经明显成为了心结,进入了多一事不如少一事的路人阶段,但在某些人看来反而是感情的升华,真好笑
总之今年终于比较完整的看到了春节联欢晚会,不容易啊,10分钟内换了5个播放软件(下载安装尝试卸载/使用),这光纤,是多么的任劳任怨~
牛年快乐 25/01/2009 北一輝は誰?(1.19)Kゼミはいよいよ最終回 北一輝の大著の最終章を読む予定ですが、その前の十三章を読まなくてもいいかしら! 先週は、コーヒー+コーヒー+LPD+ガムの協力をもらったあげく、 授業中やはり意識不明に陥りました(囧) そして、北の社会主義よりも、国体論よりも、いま一番興味を持っているのは彼の同盟会参加という、ぜんぜん知らなかった事実~ 中国革命に13年ほどかかわり、三井財閥からお金をもらい、革命党に資金斡旋もしていたそうです え? 高校中国近代現代史には、ぜんぜん登場していないのです(宮崎滔天は寅蔵の名で教えられているが) その後、ある台湾の学者が書いた本を見つけて、ふむふむ読んでいました。 そして、北一輝のファンになりました。 同盟会は孫文の魅力ではなくて、留学生が日本でを学んだ民主主義の魅力で成り立ったこと 孫文は西洋かぶれ、西洋諸国に従う一方なので、中国式な革命にふさわしいリーダーになれないこと 中国革命の本質は「排外」であり、革命党人は現段階で留学を通して日本文化に親近感を持っているといっても、日本の国益に屈服・忠誠するわけはないこと まだ読みかけているところで、ここまで来たら、もうこころがひきつけられました。 もともと、中国では孫文に対する批判はめったにないですが(毛沢東よりずっと少ない)、 2003年中国中央テレビが放送した「走向共和」というドラマでは、孫が投機主義者のように描かれ、いろいろ批判されたので、初回放送以降(?)は放送禁止にされました。 ところが、北の目からみた孫は、確かに(主に金銭方面)投機主義者というべき、中国を「日中同盟」に導く人物になれないです。 ――現在一生懸命にアメリカを真似る中国を見てみると、北の心情が十分理解できます。 自分も、名大に留学してた友人も、むしろ日本のほうをもっと注目すべきだと思います(爆)。 叙述の立場かもしれないが、とにかくこの本を読む限りに、北を尊敬するしかないのです。 しかし、中国語のページを開いたら、北に対する評価は 日本ファシズムの理論家、中国侵略を正当化…は一番先に出てきました。 あるWikiみたいなページに、↑の台湾学者と似たよな記述も併記されていますが、やはり対外拡張の正当化は雪げない罪名になっているようです。 (明日はちゃんとした論文をダウンロードして読みますが、家では無理です さて、北一輝の中国受容はどうなったのでしょうか~明日無事に起きれるように>.< そして、偶然にKゼミと同時に、Sゼミの主役は吉野作造になっています。 これも、天津に「お雇い日本人」として活躍した人物です。 (これも初耳です~私、9日までは一体どんな論文を書いたのですか>.<) なんか、北の参照系とされているらしい とにかく、知らなかった大正時代は意外に面白そうです。 日本を帝国主義と人民と分けて考える「二分法」はその時代から既に存在しているようです。 そして、なにより他の人より合理的なのは 留学生に対する判断じゃん! 中国革命は排外的であり、いえ、排外的であるべき、と主張しているのは凄い 北は一体日本人の立場?中国人の立場?それとも理性にそって本音をいっただけですか?この誠実をも尊敬します。。。 日中関係は、日本政府の対中国政策によって変わることは、現在でもそうでしょう。。。 だいたい何もかも留学生にしてもらおうとのような考え方はばかばかしい。。。 このように、時代より先に行き、鋭いセンスを持っている北には、ファシズムのレッテルを貼ってはいけないですよね。むしろ魔王? 以上、メモとして記しました。 ふむふむ、今日は寒かったですね。 24/01/2009 バージニアの悲劇 本月21日、バージニア工科大学のキャンパス内にあるカフェで、二人の中国人留学生の間に、悲しい事件が起こったそうです。博士課程の朱某(=寧波出身、25)が、包丁で修士課程の楊某(=北京出身、22)を殺害しました。楊はカナダで大学を卒業し、一年間仕事してからアメリカに進学し(→22歳の年齢からみれば凄く頑張った)、8日に入学したばかりですが、誰も悲劇の発生を予想できませんでした。
バージニア工科大学って、二年前も世界が震えた無差別殺人事件が起こった場所に違いありません。その時も、最初に犯人がアジア系の留学生だと報道されたら、中国でも日本中でも大ショックを受けたでしょう。一時期アメリカで「韓国嫌い」になっていたと報道されています。今回の事件は最終的どのように受け止められるでしょうか。 インターネット上のコメントは、だいたい当事者の二人が恋愛関係をめぐって争いがあったかという推測に傾いています。留学生はアメリカでいくらぐらい頑張っても、白人社会に参加しにくく、中国人もしくはアジア系の人と付き合うしかないといわれています。特に工科大学の場合、女性の数が少なく、男性はいろんなストレスが溜まって、堪えられなくなることは想像しかねません。ところが、一番怖いのは、○国人コミュニティの内部で、当事者のように先輩が新しく来た後輩を助けてやることは外部の人に当然視されています。しかし、内部に居る人間は、最初から別な目的を持つかもしれません。みんな当たり前だを思っています。極端的に言えば、○国の大学において、後輩(ないし教え子)を個人財産と思う人も少なくないですから。一方、あえて女性であることを武器にする女の子も居ますし、世界はますます混乱が増やしています。 注目したいのは、そんなことは現代だけのことではなく、昔から存在するパタンということ。「外事警察概況」に記載された共産主義思想事件より、恋愛関係をめぐる事件の数は圧倒的多いです。あの時、本気に、北海道に女子学生が少なくてよかったと思ったこともあります。でも、木曜日の「赤レンガ大作戦」の時、前の日記に関連する史料を少し見つけて、それを読んでみたら、大変なこともありました。 明治九年に開拓使に招聘された清国山東省出身の農民、本来は十人でした。彼らに対するいくつかの要求の中で、女性を部屋に泊まらせないようにという条文が含まれています(恥ずかしいが、今はこの条文の写真を見付からない 確かに移民と比べれば、清国農法で実験を行うという目的のもとでの「短期招聘」は微妙ですね。現在の(農業・企業)研修生(在留資格:研修)が過酷な条件で働かせていることに近いでしょう。あの時の清国農民は、最後、二人が帰化して、戸籍を丘珠に編入してもらったので、日本人と結婚したと推測できるでしょう。まあ、「泊まらせる」のは禁止だけど、ススキノに自由に行けることと、妻を買ってもいいことから見れば、それほど厳しく制限されていると思いませんね。 それから、何年経ったのでしょう。1879~2009年、まるごと130年間ですよ! ですから、今日のバージニアの悲劇はバージニアだけの悲劇ではありません。国内でも難しい恋愛、結婚、家族など、外国でどうやってうまく乗り越える覚悟がなければ…それだけではなく、仕事という理性的な活動においても、孤独は感じられるものかもしれません。とはいえ、家にいても、さびしく感じるかもしれません。 (ふむ、少し、小学校の自分に戻りたくなりました。あしたわいわいになるべきの旧暦大晦日だけと、たぶん引きこもり。。。) 22/01/2009 張謇における北海道ラブストーリ書くべき時に書けなかったことです。
戦前、北海道産農業技術が満蒙に持ち込まれたことは、 農業生産にとってはとても大事な地形、気候など自然条件(=風土)が似ているので、 比較的にわかりやすい話です。 ところが、一番最初に、北海道を見習おうと来た留学生は中国東北部の人間ではなく、 揚子江流域の人です。 最初の六人は、浙江、浙江、江蘇、不明、安徽、浙江の出身です。 その後の数年間も、山東からも大勢にやってきたが、それ以外はやはり、江蘇、安徽、浙江などからの構成です。 これを見る限りに、やはり、経済的進んでる地域は、留学とかによって洋学を輸入することに取り組んでいるようです。だって、お金かかりますもん。 江蘇、安徽、浙江、広東、四川、いずれも農耕や蚕桑などが発達したイメージが強いです。 →正しくは、山東は一位を占めていたらしい。山東省と直隷省とも金持ちですし、洋学にも熱心。自分は山東や東北のことを知らなくて、よく間違っているかもしれない、ご容赦ください。 しかし、揚子江流域であれば、農耕が発達したので、土地は成熟しているのではないか?わざわざ「開拓」とその経済学を学ぶ必要はないだろうと、惑っていました。 このとき、一人の大物、張謇(けん)という中国民族資本家として教えられた実業家の姿は浮かび上がりました。 安徽・桐城出身の方の入学願書とともに綴られているのは、ショウスケ様宛の手紙もあります。 張謇が、1903年より前のいつ頃かに、東京の何とか博覧会にて、ショウスケ様と会ったことがあるらしい。そこで、ショウスケ様から熱い北海道開拓の理想を聞いたことがあります。 実はそのごろ、多くの官僚も北海道に視察しに来ましたが、その史料はどこにあるかはまったく知りません。ショウスケ様も、自分の日記には清国関係のことをあまり書いたりしていないと言われました。 →ああ、人は、やはり自分より強い方しか覚えたくないですね。 歴史教科書によれば、張謇は江蘇出身で、紡績業と鉄鋼業をメインにしていたそうです。だから、彼は1918年より「中華農学会」の名誉会長を務めることを知ったとき、ただ、ただ、ああ、農学会の人々も、実業家の影響力を借りているなあ~と軽く思い、見 過 ご し ま し た 張謇は、江蘇省の(黄海)海岸に、農墾公司を作って、小作人を雇い、未開地を 開 拓 していました。「大農」の実験もしていました 南京農業大学の先生の論文では、「西法」と「アメリカの大農法」しか出てこないですから、昨日、書庫で張謇の伝記を見付かって、探してみると、意外な収穫が~ まず、未開地について、少し説明します。 江蘇省などは土壌がかなり成熟だとされていますが、ここはまったくの未開地と言っても過言ではありません。 原因は、揚子江が毎年ある程度の土壌を上流から持ってきて、六十年ごとに、一キロほど新しい陸地が伸びることです。 この新しい陸地に対して、開拓 張から見れば、上海でクーリーをしているのはほとんどここ(南通)出身の農民であり、みんな苦しい生活を送らねばならぬ根本的な原因は、土地が足りないところにあります。そして、開拓事業は、一人の農民にとっては堪えれない困難があるので、むしろ自分が巨大資本を入れて、大農法によって、一挙に困難を克服しなければならないわけとは張の考えです。 一見すれば、土地を開拓して、綿花を栽培することは、彼自身の紡績業を支える目的ですが、投資と収益の視角から考えると、むしろ開拓のほうは、もっとお金の無駄遣いになりがちですね。 だから、紡績業で蓄えた金を資本にして開拓に投資することは、資本家にとっては、不経済的な行動ではないかと一瞬、思いました。 それから、次の話が出てきました。 儒家は「天地の大徳といえば生のことである」と主張している。この話の意味は、あらゆる政治及び学問は少なくとも大多数の百姓に、最低レベルより上の生活を持たせねばならない。かつて日本に遊歴した時、苦寒の北海道 って、やっぱり、北海道にきてくれたんだ~わ~い 彼は、博聞の人間だから、ほかのルートで大農法を聞いたこともあるかもしれませんが、以上の告白を限りに見れば、その開拓論は、北海道農法と血縁を持ってるじゃん~ 北大の満蒙進出時代、みんなよく「風土の類似」を理由に挙げましたが、 当時、いや、満蒙の時代よりもっと前の1900年代に、既に、経済学的または政治学的な類似によって、中国農業は北海道を見習う理由が指摘されました。 2000年前後、「西部大開発」政策が制定された後、中国では、「北海道開発」の経験を参照したらという意見も盛んでした。自分も、その時初めて北海道に興味を持つようになりました。でも、北海道経験という言葉は、中国歴史にとっては新しい名詞ではなく、凄く長い淵源を持っているのです。今、改めて、教わりました。 張謇は、ショウスケ様と、いつ、どこで会ったのですか 何を話しあいましたか 北海道に来た時、何を見ましたか 史料には出てこないのかな ショウスケ様は、ほんとうに、清国のことについて、何の記録も残さなかったのですか もう、タイムスリップがほしくて、明日、研究室に居るドラえもんに頼むしかないかしら 最後 同じ初耳のことですが 実は、私の出身校復旦大学には、複数の創始者が居り、その一人は張謇です まったく、大学史がもう一人の馬相伯しか言及していないし、キャンパスに張謇と関わるものも一つもないですよ!なのに… でも、これで、やっと、盛宣懐(同じ民族資本家)がつくった交通大学と対等になれるわけです。 PS。ある神聖なる場所で、張謇の「謇」を誤字にしたこと、いま、この日記を書き終わった時点、初めて気づきました(号泣 19/01/2009 私は貝になりたい今までみた戦争映画のイメージとかなり違います。 去年Sゼミの時、先生も言及した映画ですが、 何を伝えたいかが分かりません。 景色は綺麗ですが、中居さんは演技が上手ですが、 なぜか、肝心なところなのに、何回も笑いたかったです。 正しく言えば、中居さんは頑張っているところこそ、笑いたかったです。 分からないところが多いです。 ストーリとして、 BC級戦犯の裁判についての映画・ドラマは初めてです。 でも、それは真実とか、真実に近い様子とは思いにくいです。 中居さんは1944年に戦場に向かい、たいした時間経ていなかっただろうか、 戦争に対しては、何も感じられなかったのですか(怒) さっさと幸せな生活に復帰できたのはいいですが、 長官に厳しくされたのに、その重圧から解放された後も、 家族に一言も言わなかったのですか。 その映画化されなかった数日間が知りたいですよ~ そして、巣鴨の中では、本当にそうなったのですか。 (そうしたら、米軍は蒋介石よりやさしかったというべきですよ、 重慶歌楽山の監獄、一度みにいきたくなりました) 家族と面会する時、米軍兵士はそんなにやさしくしてくれたのは想像しにくいです。 (監獄の食器は、現在中国の大学食堂で使われているものと同じですが。。。ショック) それから、映画が表現したいのは何か? アメリカの裁判はいい加減で、とりあえず自分側の兵士の死に日本兵の死で慰めてあげたい? なぜ助命嘆願書は役に立たなかったのですか? 和平条約締結直前、なぜ中居だけを処刑したのか、まさか嘆願書のせいなのか、 そのやり方って、成功した先例なんかないでしょうか。 アメリカ大統領って言ってる瞬間中居の目は、単純だか滑稽だかどっちを言ったほうが適切ですか。 よく分かりません。 既にアメリカと敵になっているくせに、助けてくれると信じるわけはないでしょう。 不適切な言い方ですが、 彼らはアメリカ人にそう厳しく裁判されたことが嫌いとは当然ですが、 でも中国戦場で人を殺した兵士は、ちゃんと生きているじゃん! いったい何を批判しているのですか? 戦争?権威(上官=天皇)?殺人命令? やっぱり、本人もよく分からなかったようですよね。 それはいいとして、そもそも、この映画の内容は薄すぎ たとえ主人公と関わった事件、人物を壁と比喩すれば、 壁の外の空気はぜんぜん入ってこなかったです。 だから、ほかの人とあまり意見を交換したこともないし、 中居の考えもどんどん内向的になり、最後は「貝になりたい」とはいきなり感が強い 家族愛を描くくせに、いきなり一人で貝になりたいとはどういうことですか。 その後、仲間由紀恵たちは、どうやって生きていくのですか。 まったく分かりません。 同じ戦争映画なら、「大日本帝国」のほうは百倍以上インパクトだし、せつないと思います。 PS:「絶唱」の三浦友和と「大日本帝国」の篠田三郎とは、やっぱり知識を持つ青年だから、中居と違ってもっと心強く見えるかもしれません。。。? 12/01/2009 生まれ変わり北の風物は、いつも、こころをぎゅっと引き締めるのです。
ここに来る前、涙をいっぱい掬っていた「すずらん」に関する記憶は、まだ鮮明に映っています。 父親、母親、大切な人に対する愛と 父親、母親、大切な人からもらった愛とは 萌ちゃんの心強さの源ですよね。 適切な理由がなかった場合は、「愛」の一つのことばを挙げれば 何とか通じると、こんな単純な発想には、自分も笑い出しちゃいますよ。 昨日の自分と対面することは、苦しかった。 去年の自分と対面することは、難しかった。 何でもどんどんと言える自分と、 何も流暢に話せない自分と この一年間に何回も喧嘩して、いや、毎日喧嘩していました。 そして、今も生きている自分は、これからも死ぬまで生きていく でしょう。 簡単に「生きる」と「死ぬ」を口にした自分は 本当の自分を持っていないものと思われますよね。 ですから、えらそうに「○○のために」と簡単に言っちゃいますよね。 でも、 今は 一つだけが分かりました。 自分の弱さに、「愛するため」といったような言い訳を言ってはいけないことです。 もし何を愛しているためのなら、もっと強くなれるはずです。 自分のために、強くならないといけないです。 その後、初めて、愛を告白する資格を持つようになると思っています。 |
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